
本書は民俗学と介護の両分野に新しい可能性を開く瞠目の書である。
前著『神、人を喰う』でサントリー学芸賞を受賞した民俗学者の著者は4年前、大学准教授の地位を捨て、郷里静岡の特別養護老人ホームで介護の職に就いた。食事やトイレの介助の合間に聞く老人たちの生い立ちは驚きと発見に満ちたものだった。
村々で蚕の雌雄・産地をえり分ける「鑑別嬢」。農家の副業でやった流しのバイオリン弾き。電線を引くために山村を渡り歩いた技術者は“高度成長期の漂泊民”ではないか。これまでの民俗学が目を向けなかった「忘れられた日本人」がここにいる! 猛然と聞き書きを始めた著者はやがて「介護民俗学」なる新分野を提唱する。
それは介護現場にも新たな収穫をもたらした。認知症の老人の昔語りをひたすら書きとめるうちに、意味不明だった言葉はかつての暮らしぶりとつながり、不可解な行動が意味を持ち始めた。介護「される側」だった老人が昔語りを「する側」に転じたとき、自信や能力が回復し、聞き書きを冊子化した個人史が家族との関係を編み直すこともあった。民俗学の働きかけが現場にもたらす変化は実に躍動的でスリリングだ。
聞き書きの時間を著者は「至福の時間」「幸せの日々」と表現している。驚きの連続は喜びの連続でもあった。著者がなぜ大学を辞めたのかは分からない。ただ、その人生と学問を前に押しすすめたのは介護現場だった。時代を生き抜いた老人たちの存在だった。
(医学書院 2000円+税)=片岡義博

世界にあふれる「お粗末な中国製」(原題)の舞台裏を生き生きと描いたノンフィクション。欧米の有名経済誌が軒並み絶賛したビジネス書――なのだが、登場人物が演じるドタバタ劇とトホホな展開は、どこか上質のコメディー映画を思わせる。
著者は中国南部で欧米の企業相手にビジネスを仲介する米国人コンサルタント。自社製品を中国で委託生産しようと現地入りした米国の輸入業者は、「なぜこんなに安くできるんだ!?」とホクホク顔だ。
ところが、いざ製造が始まると事態は一変。工場の衛生管理はお構いなし、数字はごまかす、材料を変えて粗悪品を作る、模造品を作って売る、土壇場で値上げを要求する。知的財産権や安全性への配慮などあらばこそ。あの手この手で目先の稼ぎを狙う。
文句を言っても悪びれることなく、「格安だから仕方ない」「そのほうがいいと思った」「勘違いした」「聞いていない」。トラブルごとに輸入業者はいらだち、焦り、激怒するが、返品や品質検査は費用がかさんで結局あきらめることに。こりゃコピー製品があふれ、毒ギョーザ事件も起こるわなぁ。
利益を求めて相手の弱みにつけ込む中国製造業者の狡猾ぶりには人ごとながら腹が立つが、あまりの厚顔無恥ぶりがだんだんおかしくなってくる。彼らは酷薄なグローバル資本主義のカラクリをあざ笑っているかのようだ。「だって資本主義って利潤追求が最優先なんでしょ?」。彼らがコピーしたのは製品だけではなかったようだ。
(東洋経済新報社 2200円+税)=片岡義博

お坊さんの法話というのはおおかた退屈でつまらないと勝手に思っていたが、北九州のお寺の住職によるこの法話集は違った。大所高所から教えを説くのではなく、自身の経験や檀家さんから見聞きした話をつづっているからだろうか。たとえば祖父にまつわる体験談。
住職のじい様は80を超えたころ、突如意味不明の言葉を発し、寝ているばあ様の顔に小便を引っかけたりし始めた。とうとう来たかと家族が覚悟した3カ月後、孫を呼び出したじい様は「おい、わしが本当にボケたとでも思ったか」。仕事一筋で家族を顧みない息子の心を家族に向けさせるための芝居だったのだ。うそも方便。じい様の体を張った方便だった。
結婚、子育て、病気、嫁姑の確執。昔から変わらぬ営みと俗事に私たちは日々思い煩う。仏典をひもとくまでもない。導きのヒントは人々の暮らしの中にある。苦労を乗り越えようとみんな知恵を絞って悪戦苦闘してきたんだから。そのありさまを伝えるのもまた人間の知恵だろう。
四国巡礼を毎年欠かさぬ老夫婦がいた。女房はひどい腰痛持ちだった。巡拝10年目、ある札所で女房がはずみで石段からまっ逆さまに転げ落ちた。もはやこれまでかと思ったが、女房はケガどころか腰痛がすっかり消えていた。それから夫婦は残りの人生を遍路の世話に尽くした。
30年ほど前に実際あった話だとか。庶民の知恵を宿した昔話や伝説はこんなふうに生まれ、語り継がれていくのではないか、と思った。
(イースト・プレス 952円+税)=片岡義博
| 片岡義博のバックナンバー | 最新の新刊レビューへ |
- 『「あの日」からぼくが考えている「正しさ」について』高橋源一郎著 つぶやかれたメッセージ
- 『アマゾン、シングーへ続く森の道』白石絢子著 地球の裏側から問い返される
- 『痕跡本のすすめ』古沢和宏著 古本と持ち主に何があったのか
- 『FUKUSHIMAレポート~原発事故の本質~』FUKUSHIMAプロジェクト委員会著 第三者の立場で事故を検証
- 『俺に似たひと』平川克美著 介護で初めて向き合う父子
- 『性欲の科学』オギ・オーガス、サイ・ガダム著、坂東智子訳 人は何にコーフンするか
- 『オオカミの護符』小倉美恵子著 今も都会に息づく山岳信仰
- 『世界文明史の試み』山崎正和著 野望に満ちた知の冒険
- 『[自由訳]平賀源内作 風流志道軒傅』風来山人著 イノベーター源内研究会編・訳 天才の妄想が爆発
- 『一般意志2.0』東浩紀著 民主主義をバージョンアップせよ!
1| 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9

| 花まるシネマのバックナンバー | 花まるシネマ一覧へ |

| エンタメコラムのバックナンバー | エンタメコラム一覧へ |

| エンタメスポーツのバックナンバー | エンタメスポーツ一覧へ |

