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新刊レビュー
『劇場』又吉直樹著 「300万部」を突き抜けた、平成の名作


前作『火花』が300万部を突破したそうだ。

かつて書籍編集者だった頃、「100万部を超えると世界が変わる」という話を何度も聞いた。作品や本を巡る様々な状況が変化するということでもあるが、たくさんの人に読まれ、存在を知られることによって、書き手のモチベーションそのものが変わってしまうことがあるのだ。よくも悪くも。

私が身近で目にした例に限っていうのであれば、「悪く」の方がずっと多かったし、ましてや初めて書いた小説でそんなタイミングを迎えた作家で、「よく」なったという人はほとんど知らない。もちろん、なにがよいか悪いかは一概には言えないのが前提だけれど。

300万部というのは100万部3回分にあたるわけで、もはやよくなるのか悪くなるのか想像もつかない。パタンパタンと何度も反転することだって考えられる。そんな勝手な期待と不安とともに読んだ、又吉直樹さんの第二作であるが、これがもう、すごかった!

『劇場』というタイトルが冠されたこの物語、主人公の男は小さな劇団をやっている脚本家、演出家だ。演劇に命をかける覚悟で創作に望んでいるものの、努力は一向に報われない。「才能がない」という捨て台詞とともに劇団員に逃げられ、資金がないので次回公演も打てない。そしてなにより問題なのは、どんな芝居をやるべきなのか分からなくなっていること。今、この時代に、たくさんの劇団が存在し、たくさんの芝居が上演されている中で、自分が新しいものを作る理由はあるのか? 根本的な問いの中を果てしなくグルグルしているのである。

そんな男の前に、ある日突然、ひとりの女の子が現れる……と書くと所謂ボーイ・ミーツ・ガールものだと誤解されてしまいそうだ。確かにガールにミーツはするのだけど、この後のストーリーをざっくりと説明しても、本作の魅力をほとんど伝えられないので、読みたい方はどうぞ読んでください。そして私は、この小説を批評っぽく語ることからも降りたいと思います。

主人公の煩悶とともに、読者である私の心は、えぐられた、傷つけられた、血だらけになった。さらに、すごく臭い言い方になるけど、流した血の温もりに包まれた。

主人公の男が探していた、芝居を作る理由は、うがった見方をすれば、又吉さんが小説を書く理由に重なる。芸人が小説を書く理由、文豪を愛する自分が小説をかく理由、そして300万部の重さを引き受けて、新しい小説を書く理由。

男がその理由をはっきりとつかんだ時、読み手が感じ取るのは……自らが生きていく理由に他ならない。あなたでも彼でも彼女でもなく、私自身が今、ここで生きていく理由だ。また臭い言い方をしていることを恥ずかしく思いつつも、本作を現代文学の新たな名作としておすすめしたい。

(新潮社 1300円+税)=日野淳



『バッタを倒しにアフリカへ』前野ウルド浩太郎著 愛するものを殺しに行く男


いったいどうなっているんだ? というタイトルと装丁である。

バッタを模した衣装を来て、捕虫網を構える中年の男。

もちろん一冊の本になっているくらいだから、単にふざけているわけではない。本書は大真面目にバッタを倒そうとしている男のドキュメントなのだ。

幼き日からファーブルに憧れ、バッタという昆虫に特別な愛情を抱いてきた著者。昆虫博士となるべく大学を卒業し、ドクターまで取得するが、「ポスドク」が好きなことを自由に研究できる環境は日本にはほとんどなかった。ましてや著者の専門はバッタ。日本においてはほとんど需要がないのだ。いったいどうやって生きていったらいいのか迷う著者。

しかし世界に目を向けてみれば事情は違っていた。アフリカには数年に一度、バッタの大群によって農作物が壊滅的な被害を受けている地域がある。防除技術を開発するための専門機関もあるらしい。こここそまさに自分が活きる場所だ! さしたるコネも事前情報も語学能力もないまま現地に飛び込んだ著者を待ち受けていたものとは……。

人間にとって害虫であり、著者にとっては愛の対象であるバッタとの日々がなんともユーモラスに綴られている。そもそもバッタはいつもそこにいるものではなかった。著者はまず、研究対象であるバッタ探しに悪戦苦闘する。生息エリアに向けて何百キロも悪路を走ったり、現地の子どもたちに小遣いを与えて捕まえさせたり、砂漠の中でサソリの恐怖と戦いながら張り込みをしたり。そのドタバタがかなりおかしい。

そして様々な条件が重なった時に起こる異常発生の場面が、クライマックスとして最高だ。バッタたちによって黒く染められる空。その時、著者の胸に浮かぶ、恍惚と職業的責任が入り交じった感情が、なかなか小説的というか、他にあまり読んだことのない形をしていた。

好きなことを仕事にした人のハッピーな自伝であるし、世界という枠で仕事を考えようという呼びかけはビジネス書っぽくもある。でも私は、滑稽味のある人間ドラマとして秀逸だなあと思った。

(光文社新書 920円+税)=日野淳



『僕が殺した人と僕を殺した人』東山彰良著 30年前の台湾、少年たちは眩しかった


友人知人の多くから「この間、台湾に行ってきて」という話をよく聞く。かく言う私も先月、10年振りに台湾を訪れ、「なるほどね」と思った口である。なるほどこれは人気なわけだ。近くて、活気があって、美味しくて、リーズナブルで、安全で。しかし本書の舞台となっている台湾は、30年前という時代的な隔たりもあって、もっとずっと猥雑で混沌としている。

『僕が殺した人と僕を殺した人』。ずいぶん物騒なタイトルが付いたこの物語は1984年の台湾と2016年のアメリカを行ったり来たりしながら展開していく。

84年パートの主人公である「ぼく」は中学生。兄を殺されたショックで母が混乱してしまったこともあり、一時的に父の幼馴染みの元に預けられている。牛肉麺屋を営むその家にはなかなかに悪ガキな兄弟がいて、彼らと「ぼく」ともう一人の不良少年の4人は、青くて美しい友情を育んでいく。

一方、アメリカパートの語り手である「わたし」は台湾から移住した弁護士。少年7人を殺害し、全米の注目を集めた殺人鬼「サックマン」の弁護のためデトロイトにやってきた。刑事事件からは足を洗ったはずの「わたし」が「サックマン」の弁護を引き受けたのは、彼が台湾時代の知り合いだったからだ。

ストーリーは台湾で少年たちが計画した犯罪と、「サックマン」による7つの殺人との関連性を軸として進んでいく。「サックマン」とは一体誰なのか、なぜ彼は殺人鬼になったのかを巡るミステリーとも言える。しかし謎そのものよりも、台湾に生きる少年たちの放つ眩しさがものすごく際立っている。

少年たちはそれぞれのっぴきならない事情を抱えながらも、来るべき未来、まだ見ぬ世界が、今よりもよきものであると疑わなかった。牛肉麺屋の獣臭い湯気にまみれ、路地に舞う土埃で顔を汚しながら。

そして30年後のアメリカ、あの時少年たちが憧れてやまなかったアメリカに住む「わたし」は、世界も人間も思っていたほどよくならなかったことを身をもって知っている。だからこそ「わたし」は「サックマン」の弁護を引き受けたのだ。あの頃が、あの頃だけのものではないと感じたくて。

さて、私たちが「うまい!」とか「安い!」と喜んでいる現在の台湾にも、そういう青くて美しいものはあるのだろうか。いや、台湾は台湾だとして、私が生まれたあの町にはまだあるのだろうか。

(文藝春秋 1600円+税)=日野淳



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