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新刊レビュー
『ひきこもらない』pha著 街の中で家を拡大する


「ひきこもらない」の反対は「ひきこもる」になるはずで、54万人と言われるひきこもりの人々を擁するこの国への提言っぽいものかと思った。でもそういうまっすぐな話ではなかった。

一カ所に留まり、同じ仕事、同じ人間関係の中で長い間生きていくことができないという著者。街のいろんなところへウロウロと出歩き、時にブラリと違う街に旅に出て、引越しを繰り返しながら暮らすという日々を綴ったエッセイだ。と書くと、全然ひきこもりと関係ないじゃないってなりそうだけど、まったく無関係というわけでもない。

著者は基本的に他人とのコミュニケーションが苦手で、やる気や根気、体力も十分とは言えない。そして家にいるよりも、外の世界の方が素晴らしいなんて思っていない。性分としては間違いなくインドア派である。

しかし著者の場合は、性格や経済の都合上、家に閉じこもっているわけにもいかず、とりあえず玄関から外には出る。生産性やコストパフォーマンス、プライバシーやリラックスなどを求めて、街中の様々な場所を転々。カフェやファミレス、漫画喫茶やサウナなどを渡り歩き、その場で自宅のようにくつろぐための努力をする。まるで出先にひきこもっているみたいだ。

本書には「街を家として使ってみる」という言葉が出てくる。家の機能を家の外にどんどんアウトソーシングした方が自由で効率的じゃないの? と言うのである。仕事をするならカフェ、食事はスーパーか外食、洗濯はコインランドリー、風呂は銭湯かスポーツジム、それで特に問題はないでしょう? と。

「眠る場所以外を街に外注する、つまり都市の不特定多数の人間とシェアするようにする」

誰もが著者のように暮らしたいと思わないにしても、おそらくは高度経済成長の過程で固定された「家」という概念に縛られる必要はないのだと気付かされる。

仮に「ひきこもる」のだとしても、「家」を街の大きさに拡大することは可能だし、他人と様々なものを共有しながら「ひきこもる」こともできるということだ。それではもう「ひきこもる」とは言わないかもしれないけど。

(幻冬舎 1200円+税)=日野淳



『ボクたちはみんな大人になれなかった』燃え殻著 憎たらしいくらいの感傷に


つまりこれは“くらった”ということだ。

記憶の底がかき混ぜられて、とうに忘れていたと思っていた恋情、嫉妬、憤懣、後悔が次々と浮き上がってきた。もう二度と会えない人たちの顔が瞼の裏に代わる代わる現れて(そんなに多くはないけれど)、恥ずかしさと申し訳なさでいたたまれなくなった。そしてこんなふうに私を脅かすこの小説が憎たらしいと思った。

主人公はテレビ業界の片隅で美術やデザインを業にする40代の男。結婚はしていない。特定の彼女もいない。忙しく働いて、適当に遊んでいたら、いつの間にかこの歳になっていた。大人になったなんて自覚がないまま、鏡の中にずいぶんと老けた自分の顔を見付けて驚くような男だ。

男には20代の頃、好きになった女がいた。「唯一自分よりも好きになった、信仰に近い存在だった」。アルバイト情報誌の文通コーナーで知り合ったその女とは、いつも渋谷の安いラブホテルで会っていた。容姿はまったくよくない女だったけれど、密室に二人だけでいると安心できた。目標もやるべきことも見つからない日々の中、女がくれる「きみは大丈夫だよ、おもしろいもん」という言葉が男を支えてくれていた。

この物語は、ある日フェイスブックを開いていた男が、間違ってその女に友達リクエストを送信してしまうところから始まる。突如噴き出してきた過去が現在の時間に絡み付き、もう会えなくなった人、今日で会えなくなる人、好きだった人、好きになれない人たちがぐちゃぐちゃに入り交じって、「大人になれなかった」主人公を激しく揺さぶる。お前はそれでよかったのか、と。

「ボクたちはみんな大人になれなかった」というタイトルの「みんな」の中に主人公と同世代である私も含まれるのかどうか、読後の今もよく分からないでいる。含まれたいのか、含まれたくないのか、微妙だ。しかしこの憎たらしいくらい感傷的なストーリーを見事に“くらって”しまった自分が、そんなに嫌いではないことは確かだ。

(新潮社 1300円+税)=日野淳



『パドルの子』虻川枕著 世界がこうだったらいいのに


パドル、puddle。どこかで聞いたことがあったけど、正確な意味はよく分からなかった。

本扉を開くと、親切にも「リーダーズ英和辞典」からの引用が。<…に水たまりをつくる、ごちゃまぜにする、混乱させる>とある。なるほど。

この物語において、水たまりはつくる前にそこにあった。

どこに? 中学校の校舎の屋上に。しかもその水たまりでは、学校一の美少女が水着姿でバタフライしているのだ!

発見者である男子中学生・水野は、目の前の光景にもちろん驚愕。

「君はーー。ここで、何してるの?」

勇気を振り絞って、水の中の同級生・水原に訪ねる。

「そうね。今日からこれは、パドル、そう呼びましょう」

……と、以上が主人公とヒロインが初めて言葉を交わす場面。青春の眩しさもここまで突き抜けていれば、恥ずかしいとも感じさせない。

その後、水野は巻き込まれるようにして水原とともに屋上の水たまりでパドルをすることに。猛暑に堪えかねての水遊びでも、授業をさぼっての暇つぶしでもなく、パドルには確たる目的があった。

パドルをすると世界の要素の一つが変えられるのだ。こうであってほしいと強くはっきりと心に描いたことが、パドルの成功とともに現実となる。二人は、この世から携帯を失くしたいとか、車社会を根絶したいなどと願いながら、屋上の水たまりにダイブ。世界の時系列や秩序をかき回し、改変を試みるのである。

そもそもなぜこんなことを? というところを説明してしまうと、ネタバレになってしまうので、それはさておき。

私は著者にとって、この小説を書くということがパドルなのではないかと感じた。世界がこうだったらよかったのにという願望から、屋上に水たまりを用意し、登場人物たちの手で世の中をかき混ぜさせて、その先に新しくて好ましい世界を立ち上げようとしているのではないか。そうじゃなければ、こんな物語は作らないはずで。

すべての小説にはそういう部分があるのだとしても、本作のキラッキラな青春の裏側には、切実で強い願いが垣間見える。それ故、甘酸っぱいだけでは終わらない小説が出来上がっているのだと思う。

(ポプラ社 1400円+税)=日野淳



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