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 佃島盆踊りは、佃島の人たちの無縁仏の霊を慰..
佃島/盆踊り(上)
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新刊レビュー
『アイスクリームが溶けてしまう前に(家族のハロウィーンのための連作)』小沢健二と日米恐怖学会著 オザケン流、ハロウィーンに見る諸行無常


90年代ポップカルチャーを代表する「王子様」といえば、誰がなんと言おうとオザケンこと小沢健二一択なわけです。しかし久々の復活を果たした彼は「歌ヘタ」「笑顔汚い」「おぬし、さてはヒアルロン酸注射したな?」など散々な言われよう。でも小沢健二最大の魅力はビジュアルや歌声、メロディやアレンジもさることながら、歌詞であると勝手に思っていますので、オザケンがおじさんだろうとおじいちゃんだろうと、整形してようと植毛してまいと、どっちでもいいんですよ。

そんな歌う哲学者(と勝手に命名)こと小沢健二は、日米恐怖学会と共にハロウィーンに関する絵本を出版しました。日本では「渋谷と六本木でリア充がバカ騒ぎする祭」という認識でしかないこのイベント。発祥地であるアメリカでどういうお祭りなのか、異邦人の目から見たその文化が描かれています。

ハロウィーンが現在の形になったエピソードや、家族で変装する際のアイデア、「一回休み」の年のこと、思春期の仮装に起きる変化、そして訪れる、終わりの予感……。ハロウィーンという文化の変遷と、子供たちの成長、2つの時間軸が展開されます。

私にとって、小沢健二の歌詞の醍醐味は、刹那を鮮やかに切り取り、そこに無常を見るところなんです。例えば、ほら。「菫る風を切って公園を通る/汗をかき春の土を踏む/僕たちが居た場所は 遠い遠い光の彼方に」(流れ星ビバップ)、「過ぎて行く夏を洗い流す雨が/降るまでの短すぎる瞬間」(天使たちのシーン)、「本当は分かってる/2度と戻らない美しい日にいると/そして静かに心は離れてゆくと」(さよならなんて云えないよ)

……ね、素敵でしょ? そんなキラキラと輝きを放つ「いまこの瞬間」を、その過ぎゆく切なさを、言ってしまえば諸行無常をハロウィーンという異国の文化にも見出し描いているのが、さすがだなとうならざるを得ないのであります。

子供から大人まで楽しめ、そしていつ読むかによって表情がまったく変わるであろう一冊。小さな友達にプレゼントしようかな。あとこれまで全然興味なかったけど、子供を育てるって、とても素敵なことなのかもしれないな。ちょっとだけそう思いました。

(福音館書店 1400円+税)=アリー・マントワネット



『組長の妻、はじめます。女ギャング亜弓姐さんの超ワル人生懺悔録』廣末登著 強烈すぎる社会見学


表紙の賑やかさからして小説かなーと思って手にしたら、聞き書きのノンフィクションだそうで。

本書は、女性では珍しいギャングの首領として、裏社会、大阪府警で知らぬ者なしのナニワの猛女の波乱爆笑の半生が語り口調で書かれている。

ヤクザの家に生まれ、転校を繰り返した少女時代。故郷の大阪に帰ることになってからリアル「積み木くずし」状態の従姉の影響で不良の道へ。中学生でシンナー、万引き、警察のお世話デビューを果たしているから驚く。はやっ。開始まだ26ページですよ。

それからあれよあれよと悪い仲間とつるむようになり、高校は1カ月で退学処分となった(シンナーでラリって、注意してきた教師をうっかり蹴飛ばし階段から落としたそうな……)。

働き始めてから彼女は覚醒剤にハマり、その資金を稼ぐため自動車窃盗を始める。そして始まる「公園で木の実を拾うような感覚で」車泥棒をする日々(ちょっと言い方かわいすぎません?)。そこから彼女の人生はジェットコースターのように加速していき、気付けば関西圏の悪い人達から「姐さん」と呼ばれるようになる。

エピソードがいちいち凄まじ過ぎて圧倒される。例えば、覚醒剤で完全にキマっちゃってる彼氏が運転する車に乗っていたら(なぜ乗る)、車が民家の塀に突っ込み恥骨を折る、とか。山の中の留置所で話し相手がいなかったときは、巣を張っている蜘蛛と友情を深めた(数日ぶりの再会では生きていたことに涙したそう。まじか)、とか。男女で刑務所のごはんが違うとか(ex.女子は米少なめにデザートあり、男子は豚キムチに米てんこ盛り)、独居房では花の匂いが漂ってきてなぜかと尋ねたらお隣さんが林真須美(!!)だったとか。林真須美は花が好きで、部屋には花がいっぱいだと刑務官は言う。姐さんは林真須美と、塀を挟んで「もう春やなあ……桜がキレイやわ」なんて他愛のない会話を交わしていたんだとか。

三度目の刑務所では「30代後半の女性として恥ずかしくない教養を身に付けようと」冠婚葬祭の本を読み、今度こそまっとうに生きようと出所後に「メロディーハイム」の一室を借りる。がしかし、一瞬で悪のアジトと化してしまい、結局彼女も、関西圏の悪い子電話相談室の窓口のようになって「いま、セコム来たばっかなら、あと7分は大丈夫や。それ以上、そこに居ったらポリ来るで。早う仕事片付けや」などとアドバイスをしている。

笑いながら読み進めていたが、気になる言葉があった。「三つ子の魂百まで」と彼女は言っていたのだ。

「淀んだドブ川の中」を歩いてきた彼女は、土手の上の道、つまりカタギの社会では生きられないと語る。土手の上の人からは「犯罪者」と非難され、土手の下の人からは「裏切者」と言われるかもしれないと恐れる彼女。取り調べでは黙秘どころかお地蔵さんと化し(精神的拷問に打ち勝つ、相当の肝の太さと自制心が必要なんだとか)、刑務所では誰とも群れなかった鉄の心臓を持つ姐さんが、カタギの道へ這い上がることをこんなにも恐れていることが意外だった。

抱腹絶倒で読み切ったが、裏社会の根底にある絶望が、諦めが、やるせなくもあった。どうか、ドブの中から「土手の上」を眺める若者が、そっちに行きたいと願ったとき、背中を押してくれる誰かや、何かがありますように。彼らが自由に生きることを諦めませんように。強烈すぎる社会見学を通して、その世界で生きる彼らが少し、身近に思えるようになった。

(新潮社 1300円+税)=アリー・マントワネット



『漫画 君たちはどう生きるか』原作・吉野源三郎 漫画・羽賀翔一 この手で何を掴もう


生まれてはじめて骨を折った。仕事終わりに同い年の上司と「29歳のクリスマス」を観ながらお菓子を食べ、その後帰りの車内で竹内まりやの「FOREVER FRIENDS」をガンガンかけながら「イエーイ! 我らフォーエバーフレンズ!!」と盛り上がり、ごきげんなまま着いた自宅前、雨に濡れた玄関先で転倒し、骨折。全治三カ月。しかも右手首。チーン。

落ち込んだ。自分を責めた。いつ仕事に復帰できるかわからない。ということはいつまでみんなに迷惑をかけるかもわからない。仕事に穴を開けるのは、祖母の葬式以来初めてのことだった。あんなにはしゃいだ自分が憎い。バカバカ! アラフォー間近のくせに雨の中スキップした私のバカ!!

……そんな時に手に取ったのが本書だった。1937年に児童文学者・吉野源三郎により書かれた名著が、80年の時を経て漫画化され、新たな命が吹き込まれたのだ。

主人公の「コペル君」は中学生。物語は彼の叔父さんが近所に引っ越してきた日から始まる。銀座のデパートの屋上から東京の町を見下ろすコペル君と叔父さん。「人間って、分子なのかも……」何気なく呟いたコペル君のその一言から、二人の日々はガラリと色を変えて動き始めるのだった。

人間としてあるべき姿を求める、というと堅苦しかったり説教臭そうだが、本書はそういった啓蒙的な側面は持っていない。「僕たち人間は、自分で自分を決定する力を持っている」、その道を、迷い悩みながら選び進むことこそが、「正しい道」なのだと叔父さんはコペル君に語っている。どう生きるのが正解かは本書にはほとんど書かれておらず、強いていうなら正解を考え続けることが正解だと言っているようだ。

物語の後半、友達を裏切ってしまった自責の念に駆られるコペル君に、母親が少女時代の忘れられない思い出を話すシーンがある。「それを忘れられなくて、いやな気持ちになる……?」そう尋ねるコペル君にお母さんは笑顔で答える。「ううん、そんな自分にお礼を言いたいくらいなのよ……」と。それを聞いてコペル君は立ち上がり前を向く。自分の弱さを受け入れ、自分がしてしまったことを認め、真っ直ぐに友達に謝ることを決意したのだ。その表情は清々しく、とても明るい。

苦い経験も自己嫌悪も、傷付けられたことも傷付けてしまった人も、感情に振り回されることなく、誠心誠意向き合うことができたら、それらはすべて私たちを豊かにしてくれる。そんなことを教えてくれた一冊だった。さあ、私はこの動かない右手で、どんな宝物を掴もうか。

(マガジンハウス 1300円+税)=アリー・マントワネット