
川崎市宮前区土橋。今こそ都心から電車で30分の新興住宅街だが、半世紀前は50戸ほどの農村だった。その農家に生まれ育った著者は、幼いころから実家の土蔵の扉に貼られた1枚のお札が気にかかっていた。黒い獣が描かれ、祖父母が「オイヌさま」と呼んでいたあの紙切れは何だろう? 自分と地元とのつながりを見つめ直すため、ビデオ片手に古老を訪ね歩く謎解きの旅が始まった。
やがてそれは一編の記録映画となり、高い評価を得るに至る。本書はそこから生まれた旅の記録であり、丹精を尽くしたノンフィクションである。
お札は奥多摩の御岳山にある神社からもたらされていた。江戸時代から土橋の農民が1年の無事と豊作を願ってはるばる神社に詣でる「御嶽講」は、今も土橋で営まれていた。御嶽講に同行し、里びとを山へ導くために代々受け継がれた「御師(おし)」の存在を知る。この御師が御岳山から土橋の家々を訪ね、祝詞を上げてお札を配るのだ。丹念な取材の先にはやがて関東の山々に広がるオオカミ信仰が浮かび上がる。驚きと発見にいざなわれて、著者は里と山をつなぐ素朴な祈りの世界に足を踏み入れていく。
都会の中に今も息づく山岳信仰をたどる著者の探索行に付き合ううちに、首都圏のイメージは一変した。まるで柳田国男の世界ではないか。地域の風景は変わっても、土地に根ざした人々の心はしぶとい。昔から変わらぬ大事なものは、実は私たちの足元に眠っているのかもしれない。
(新潮社 1500円+税)=片岡義博
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怒濤の文明論。冒頭の指摘から意表を突かれる。今、人類史上初めて地球上の文明が統一されつつある!というのだから。え? 9・11テロ以降、「文明の衝突」は先鋭化しているのでは? いや、目先の動きにとらわれるな。数字と数学の体系から絵画の遠近法、健康と若さへの信仰、権利の平等意識など、みんな人類共通の財産として地球を広く覆っているではないか――。
さてこうした「近代化」は、実は先史時代に始まったとする仰天の仮説を裏付けるべく、壮大な知の冒険が幕を開ける。先史人の意識と行動から、言葉や神話の発生、国家の成立を経て現代のインターネット社会まで。歴史学、社会学、哲学はもとより人類学、芸術学、生理学など古今東西の知見を総動員して世界文明成立の歴史が記される。
考察の武器として導入されるのが、「する身体」と「ある身体」という独創的な二分法だ。無理を承知で要約すると、前者は戦争や農耕など外に向けて働きかける生産的・実用的な身体の営み、後者は化粧や行儀作法など個々の自己確認のための身体の営みを指す。著者は個人の重視という近代思想の源を「ある身体」の発見に見いだし、世界文明の成立を「ある身体」の尊重と普及のプロセスとして跡づけていく。
歯ごたえ十分の460余ページ。人類の総体を見極めようとする齢77歳の知的野望に驚嘆する。しかもあとがきには既に続編のプランが……。知の巨人、いやもう知の怪物と呼ばせていただきたい。
(中央公論新社 3200円+税)=片岡義博
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なんじゃこりゃ!というのが読む前の感想であり、また読後感でもある。
平賀源内は江戸中期の博物学者にして医者、発明家、画家、事業家……つまりダビンチのごとき万能の天才であり、同時にオナラの型を分類するような極め付きの変人だった。戯作者でもあった源内が「風来山人」のペンネームで書いた大ヒット作が『風流志道軒傅』だ。
SF冒険物語か風刺小説か艶笑譚か。実在した江戸の名物講釈師を主人公に据え、仙人より授けられた羽扇の霊力で、諸国の色町から海を渡って巨人の国や小人の国、長脚人の国を遍歴する奇想天外の短編だ。まさに江戸版ガリバー旅行記。それを講談調の「自由訳」で現代によみがえらせた本書もシャレっ気に満ちている。例えば講釈師を紹介するところ。
「歯なしの口を食いしばり、皺だらけの顔を打ちふり、虫が好かない世間の人を、くわっと白眼をむいて、味噌八百、めっぽうやたらにこきおろす」「その説くところは神仏儒のざくざく汁、老荘の芥子ぬた、氷の吸い物、稲光の油揚げ。跡も形も残らないたわいのない話で、泣いている子も笑い出す」
富士山の型を取るべく大量の紙とのりを30万隻の船で運ぶ主人公は、たどり着いた「女護が島」で女郎屋ならぬ男郎屋を始め、女性客を呼び込む。こんなハチャメチャな妄想話を自慢げに披露した源内も破格の自由人だが、それを大喜びでもてはやした江戸庶民も滅法おおらかだ。このおバカな状況、少しうらやましい。
(言視舎 1500円+税)=片岡義博
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