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「村上春樹を読む」(69)「雨田具彦」―名づけについて(上) 『騎士団長殺し』を読む・その4

2017年06月23日

雨田具彦の名前が表れる『騎士団長殺し』の一節
雨田具彦の名前が表れる『騎士団長殺し』の一節

村上春樹は小説に出てくる人や物への「名づけ」というものを大切にしている作家だと思います。今回の「村上春樹を読む」は、村上作品における「名づけ」の問題を考えてみたいと思います。

村上春樹の小説には、非常に印象的な「名づけ」があって、物語を読み終わって、ずいぶんたってからも<あれは何だろう>と考えるほどの名前がいくつもあります。

例えば、『1Q84』(2009-2010年)に「麦頭」というスナックバーのような店が出てきます。

その店に男主人公「天吾」が入っていきます。「天吾」を尾行していた「牛河」が、その店名について「むぎあたま」と読んでいます。そう読んだ後で「牛河」は「そして首を振った。まったく、なんというわけのわからない名前を店につけるんだろう」と思っています。

それは東京の中央線の高円寺駅南口から、少し距離のある人通りのない道路を少し歩いたところにある店というような設定です。でも「麦頭(むぎあたま)」なんて、実に魅力的な名づけですね。

先日、青梅街道沿いにある「蚕糸の森公園」(農林水産省の蚕糸試験場跡地)から、中央線の高円寺駅南口までを歩いてみたのですが、その時にも、どこかに「麦頭」という店はないか、それに近い名前の店はないかと思いながら、足を進めていました。

「まったく、なんというわけのわからない名前を店につけるんだろう」というような書き方を村上春樹がする時には、何らかの意味がその名前に込められている場合が多いと思います。私はこの「麦頭」という名前に非常に魅力を感じていますが、その名づけの理由についての推測が、まだよくできていません。

村上春樹はビール好きですので、「麦酒(ビール)」からつけられたのかもしれませんが、でも「頭」という部分もすごく印象的な名です。このコラムの読者のなかで、「麦頭」について、見解をお持ちの人は、その考えを教えていただけたら幸いです。

「麦頭」は「店名」ですが、人名では『1Q84』の女主人公の「青豆」という名字もずいぶん変わった名前ですね。

この連載でも以前書きましたが、その「青豆」については、1つは村上春樹作品を貫く色として「青」があり、その「青」は「歴史」を意味する場合が多いので、歴史に関係した名前かな…と思っています。また『1Q84』は青梅街道沿いに展開していく物語ですので、「青豆」は「青梅」とも関係しているのではないかと考えています。

「あおまめ」「おうめ」の音も少し似ていますね。それについては、この連載の中でも書いていますし、『空想読解 なるほど、村上春樹』(2012年、共同通信社)という本にも収録されていますので、興味があったら読んでください。

また「麦頭」の「麦」の字と「青」の字も、現在の字形だけを並べて、パッと見ると、字形の上部が似ている感じがありますし、「頭」には「豆」の文字も含まれているので、「麦頭」は「青豆」とも関係しているのかな…などという妄想も、私の中にあります。

そんな村上春樹の「名づけ」へのこだわりを、私が最初に強く感じた作品は『ダンス・ダンス・ダンス』(1988年)でした。この作品は『羊をめぐる冒険』(1982年)の続編的な作品です。『羊をめぐる冒険』には「いるかホテル」というものが出てきます。その「いるかホテル」に「僕」を導いた「あの高級娼婦をしていた女の子」に『ダンス・ダンス・ダンス』の「僕」は会わなくてはならないと思うのですが、その女の子には、『羊をめぐる冒険』では名前がありませんでした。

その女の子に『ダンス・ダンス・ダンス』では「キキ」と名づけられます。その場面をちょっと長いですが、引用してみましょう。

「何故ならキキは今僕にそれを求めているからだ(読者に・彼女は名前を必要としている。たとえそれがとりあえずの名前であったとしてもだ。彼女の名はキキという。片仮名のキキ。僕はその名前を後になって知ることになる。その事情は後で詳述するが、僕はこの段階で彼女にその名前を付与することにする。彼女はキキなのだ。少なくとも、ある奇妙な狭い世界の中で、彼女はそういう名前で呼ばれていた)。そしてキキがスターターの鍵を握っているのだ」

このように、「あの高級娼婦をしていた女の子」に『ダンス・ダンス・ダンス』で、いささか急にというか、突然「キキ」という名づけがされています。この引用した文の中で「名前」「名」という言葉が何回も記されていて、村上春樹の名づけへのこだわりぶりを示していると思います。

このちょっと唐突な名づけは、たぶん物語の都合で急に書き込まれたような形をとっていますが、実はそうではないかもしれません。

なぜなら『ダンス・ダンス・ダンス』の冒頭部近くに、新・いるかホテルで働いている、眼鏡がよく似合う感じの良い「ホテルの精みたい」な23歳の女の子が登場します。その女の子に「ユミヨシ」と名づけられるのは、300ページほど後、文庫版でいうと、下巻に入ってからなのです。

この作品に登場する人たちは、みな非常に遅れて名づけられている人が多いのですが、そのゆっくりとした名づけも、明らかな村上春樹の「名前」に対するこだわりを示していると思います。「キキ」の急な名づけとは対照的な非常にゆっくりとした名づけなのです。この急な名づけと、ゆっくりとした名づけは、村上春樹にとって、意識的なことではないかと、私は考えています。

その「ユミヨシさん」について、少しだけ考えてみると、これも名字としては、ずいぶん変わった名前ですね。この「ホテルの精みたい」な女の子が「ユミヨシ」という名であることを知った「僕」は「試しに東京の電話帳を片っ端から繰ってユミヨシという名前を捜してみた。信じられないことに東京都内には二人のユミヨシ氏がいた。一人は『弓吉』という字になっていた。もうひとりは写真屋で、かたかなで『ユミヨシ写真館』とあった。世の中にはいろんな名前がある」と『ダンス・ダンス・ダンス』に記されています。

これ以上のことは記されていませんので、「ユミヨシさん」を漢字で記せば、どのような文字かは確定できませんが、1つの候補として「弓吉さん」である可能性があるということだと思います。

『ダンス・ダンス・ダンス』の前編に相当する『羊をめぐる冒険』には「不吉なカーブを回る」という章がありました。その「不吉なカーブ」は「異界」に入っていくカーブでした。円錐形の山をのぼるために、古いジープが右へ右へと大きなカーブを切りつづけていきます。ジープを運転している管理人は「地面ももろい。でもそれだけじゃねえんだ。なにかこう、不吉なんだよ。羊さえここではいつも怯えるんだ」と話しています。その「不吉なカーブを回る」ことによって、「僕」は「鼠」に再会しています。

『ダンス・ダンス・ダンス』の「弓吉」は、この『羊をめぐる冒険』の「不吉なカーブ(弓)」に対応した命名ではないでしょうか。

『ダンス・ダンス・ダンス』で、ユミヨシさんが、新・いるかホテルの16階でエレベーターを下りると、真っ暗です。そして廊下をゆっくり進んでいくと「廊下が右に曲がっていた」という場面があります。そこは「異界」です。

「僕」もある時、エレベーターのドアが開いて、気がつくと真っ暗闇です。そして「廊下が右に折れていた」のです。その「異界」の世界で、「僕」は「羊男」と再会しています。「羊男」は「僕」に対して「もっと前に来ると思ったよ」と話しました。「だからずっと待ってたんだ。この前誰かが来た。あんただと思った。でもあんたじゃなかった。きっと誰かが迷いこんできたんだね。不思議だね。他の人間がそんなに簡単にここに迷いこむことはできないはずなんだけど」と「羊男」は「僕」に話しています。

『羊をめぐる冒険』では、「僕」が「鼠」と再会した時、「鼠」は「羊男」の姿を借りて、「僕」に会いに来ています。ですから「羊男」は「鼠」と重なる部分を持った存在です。

その「羊男」が「この前誰かが来た」と話しているのは、もちろん「ユミヨシさん」のことですね。この『ダンス・ダンス・ダンス』という作品には、曲がった世界、カーブした世界、ワープして戻ってくる世界がいくつか描かれていますが、「ユミヨシ」が「弓吉」だとすると、「不吉なカーブ(弓)」を曲がって「異界」の世界に入っても、ちゃんと日常の世界(吉い世界)に戻れる力を持った人として、「弓吉さん」は『ダンス・ダンス・ダンス』という長編の中に存在しているのではないかと、私=小山は考えています。

このように、村上春樹の不思議な名づけには、その意味を考えてみる価値がある、つまり名前が物語としっかりつながっているという面があるのです。

さて、そこで新作の『騎士団長殺し』(2017年2月)なのですが、これも村上春樹の名づけへのこだわりが、強く反映した作品だといえると思います。

この長編の題名にある「騎士団長」は、モーツァルトのオペラ『ドン・ジョバンニ』の冒頭で殺される人物です。放蕩者ドン・ジョバンニは美しい娘、ドンナ・アンナを誘惑し、それを見とがめた父親の「騎士団長」と果たし合いになって、刺し殺してしまいます。

日本画家の「雨田具彦」が、その有名な場面を日本の飛鳥時代の情景に「翻案」して、描いた絵画が「騎士団長殺し」です。「雨田具彦」が、かつて住んでいた家に暮らすようになった肖像画家の「私」が、屋根裏からその絵を発見することから、全体の物語が動いていきます。

前回の「村上春樹を読む」で、この新作の中を一貫して「雨」が降り続いていることについて書きました。村上春樹が大好きなスコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』も重要な場面で、よく雨が降っているので、それと対応した「雨」でもあるだろうと思っています。

そのように『騎士団長殺し』は、全編に「雨」が降り続いている物語です。「雨田具彦」の「雨田」は、もちろんそれと対応した名前でしょう。また「雨」と「田」を合わせれば、「雷」という文字ですが、この「雷」のことも何度も作中に出てきます。

例えば、『騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編』の冒頭部に、主人公の「私」と妻との出会いについて書かれているのですが、そこには次のようにあります。

「私」がガールフレンドとデートをしているときに、どこかのレストランでたまたま出会って紹介され、「私はほとんどその場で彼女と恋に落ちた」のです。そのことについて「私は一目見ただけで唐突に、まるで雷に打たれたみたいに彼女に心を奪われてしまった」と村上春樹は記しています。「彼女は、死んだ妹のことを私に思い出させたのだ。とてもありありと」とも加えています。

さらに「私」が、肖像画のモデルとなる13歳の少女・秋川まりえと話す場面が、『騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編』の冒頭部にあります。そこで「私」は死んだ妹のことと、スズメバチに刺されたショックで死んだ秋川まりえの母親とのことを関連づけながら、こんなふうに話しています。

12歳の時に死んだ妹は生まれつき心臓の弁に欠陥があり、いわば体内に爆弾を抱えて生きているようなものだったことを述べて、だから「家族はみんな日頃から、最悪の場合をある程度は覚悟していた。つまり君のお母さんがスズメバチに刺されて亡くなったみたいに、まったく青天の霹靂というわけじゃなかった」と「私」は秋川まりえに言います。

秋川まりえは「青天の霹靂」という言葉を知らなかったようで、「せいてんの…」と応じるのですが、すると「私」は「晴れた日に突然雷鳴がとどろくことだよ。予想もしなかったことが出し抜けに起こること」と説明しています。

ここでも「雷鳴」のこと、「雷」のことが記されているのです。

もう1つ、紹介してみましょう。

この物語は、たぶんモーツァルトのオペラ『ドン・ジョバンニ』と関係した題名がつけられているからだと思いますが、ドン・ジョバンニは、スペイン語でドン・ファン、つまり放蕩者の代名詞で、そのためか、「私」が絵画教室に通ってくる人妻と性的に交わる場面が何回も描かれています。

その場面でも、「雷」が鳴っているのです。「我々はいつものようにベッドの中で抱き合った。そしてその行為のあいだ二人ともほとんど口もきかなかった。その日の午後には雨が降った。秋にしては珍しい激しい通り雨だった。まるで真夏の雨のようだった。風に乗った大粒の雨が音を立てて窓ガラスを叩き、雷も少しばかり鳴ったと思う」とあります。

このように「雨田具彦」の「雨田」は「雨」を象徴している名前でしょうし、「雷」も十分意識された「雨田」なのだろうと考えています。

なぜなら村上春樹にとって、「雨」と「雷」はとても大切なものであるからです。他の小説から、1つだけ例を挙げてみましょう。

例えば『1Q84』のハイライトの場面。女殺し屋である「青豆」が、農業関係のカルト宗教集団「さきがけ」のリーダーと対決をして、青豆が男を殺害する場面。

「青豆」がリーダーの男と、ホテル・オークラの部屋で対決していると「遠くで雷鳴が聞こえたような気がした」と書かれていますし、リーダーは「今に雨になります」と告げています。

そして、青豆が尖った針先を、リーダーの首筋のその微妙なポイントに当てます。

その時に「稲妻のない落雷が窓の外でひときわ激しく轟いた。雨がばらばらと窓に当たった。そのときに彼らは太古の洞窟にいた。暗く湿った、天井の低い洞窟だ。暗い獣たちと精霊がその入り口を囲んでいた。彼女のまわりで光と影がほんの一瞬ひとつになった。遠くの海峡を、名もない風が一息に吹き渡った。それが合図だった。合図にあわせて、青豆は拳を短く的確に振り下ろした」と書かれています。

つまり「青豆」は「雷」の激しく轟いた中で、リーダーを殺害しているのです。その「雷」と、その後の文章は太古の洞窟で語られた神話的な物語のように描かれています。

さらに、その時、男主人公の「天吾」のほうは、17歳の美少女作家の「ふかえり」と一緒に部屋の中にいますが、ふかえりが「こちらにきてわたしをだいて」と言います。「オハライ」をすると彼女が言うのです。

その時「雷鳴は更に激しさを増していた。今では雨も降り始めていた。雨は怒りに狂ったみたいに横殴りに窓ガラスを叩き続けている」のです。「ノアの洪水が起こったときも、あるいはこういう感じだったのかもしれない。もしそうだとしたら、こんな激しい雷雨の中で、サイのつがいやら、ライオンのつがいやら、ニシキヘビのつがいやらと狭い方舟に乗り合わせているのは、かなり気の滅入ることであったことに違いない。それぞれに生活習慣がずいぶん違うし、意思伝達の手段も限られているし、体臭だって相当なものであったはずだ」とも記されています。

「ノアの洪水」「方舟」という言葉からして、ここにも「雷」と神話の関係が意識されて書かれています。ですから「天吾」と17歳の美少女作家「ふかえり」との交わりは神話的な行為ということなのだと思います。

このように、「雷」と「雨」のなかで「青豆」はリーダーを殺害し、その後、タクシーで新宿駅まで出て、荷物をピックアップして、おそらく青梅街道を通って、高円寺南の隠れ家に向かっています。さらに「激しい雷雨」の中で「天吾」と「ふかえり」の交わりがあり、村上春樹的なねじれによって、「青豆」が「天吾」の子供を妊娠するという展開に繋がっているのです。

『1Q84』で「雨」と「雷」が、どれだけ大切なものであるかが、分かっていただけるかと思います。そして、その「雨」と「雷」の大切さは、まさに『騎士団長殺し』の「雨田具彦」の「雨田」という名前の中に込められていると思うのです。

そして「雨田具彦」の「具彦」のほうなのですが、「具彦」の「具」も『騎士団長殺し』に頻出しています。「具」は「とも」とも読みますが、「そなわる」とも読みますね。

その「具わる」の例から紹介しますと、この2000枚、1000ページを超える大作『騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編』の最後の最後のところには、こんなことが書いてありました。

これまでの「村上春樹を読む」でも、『騎士団長殺し』の中で、村上春樹が大好きな『グレート・ギャツビー』のギャツビーに相当する謎の資産家「免色渉」のことを紹介しましたが、その「免色渉」と「私」との違いについて、この長編の結論である最後の最後に「なぜなら私には信じる力が具わっているから」と記してあるのです。

さらに『騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編』の冒頭近くには「私」について「ポートレートを描く特別な能力が具わっています」と書かれています。

「私には信じる力が具わっているから」と「ポートレートを描く特別な能力が具わっています」は、意識的な「具」の用法でしょう。この「そなわっている」は「備わっている」と書くのが、普通かとも思いますが、村上春樹はあえて「具わっている」と書いているのです。

「雨田具彦」も「私」も画家ですので、「絵の具」という言葉がたくさん出てきます。さらに敷地内の雑木林の中の「穴」から「鈴」が出てきて、作中、重要な役割を果たすのですが、それは「仏具」の一種とされています。それについても「素朴な仏具」「昔の仏具」など「具」という文字が繰り返されているのです。その「仏具」である「鈴」が発する音は「何かの器具か道具を使って立てられている音」とも書かれています。

ここに、明らかに「具彦」の「具」は、意識的に村上春樹によって、使われていると思います。「彦」は成人した男性を表す言葉ですね。

そして、一番、私=小山が、心動かされた「具」は「具体的なものを探して」や直観の「具象化」という言葉です。

前の「村上春樹を読む」でも紹介したように、モーツァルトのオペラ『ドン・ジョバンニ』の冒頭で殺された「騎士団長」が、60センチぐらいの大きさの存在として形体化して作中に登場します。その「騎士団長」は自分のことを「イデア」だと話しています。騎士団長について「イデアというのは、要するに観念のことだ」とあります。『騎士団長殺し』とは、つまり、その「イデア」=「観念」を殺す物語です。

あまりに大きくなりすぎて、肥大化した「観念」というものが、いまの時代、世の中を壊しているのではないかという考えが、村上春樹の中にあるのでしょう。

その肥大化した「観念」というものの対極として「具体的」「具象化」というものがあるのではないでしょうか。

我々はいま「観念」によって生きるよりも「具体的」なことの記憶の一つ一つを大切にして生きるのが重要なのではないかということを村上春樹は書いているのではないかと思います。そのような価値観が「具彦」の「具」には込められているのではないかと、私=小山は考えているのです。

そして、今回の『騎士団長殺し』で、最も謎を含んだ名づけは何と言っても「免色渉」という人物でしょう。「免色渉」の名づけに対する、私=小山の考えを記そうと思いますが、それは少し長いものとなりそうですし、今回の「村上春樹を読む」もかなりの長さとなりました。「免色渉」の名づけに対する、私=小山の考えは、次回の「村上春樹を読む」で記したいと思います。(共同通信編集委員 小山鉄郎)


こやま・てつろう 1949年、群馬県生まれ。共同通信社編集委員兼論説委員。村上春樹氏の文学や白川静氏の漢字学の紹介で、文芸記者として初めて日本記者クラブ賞を受賞(2013年度)。「風の歌 村上春樹の物語世界」や「村上春樹の動物誌」を全国の新聞社に配信連載。著書に『村上春樹を読みつくす』(講談社現代新書)、『空想読解 なるほど、村上春樹』(共同通信社)、『村上春樹を読む午後』(文藝春秋)。外に『白川静さんに学ぶ 漢字は楽しい』『白川静さんに学ぶ 漢字は怖い』など。



空想読解なるほど、村上春樹 小山鉄郎


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