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格闘技
祖国と妻を捨てたナポレスの決断 キューバ革命とボクシング

2016年12月13日

世界フェザー級タイトルマッチの調印後に握手をかわす関光徳(右)と、シュガー・ラモス=1964(昭和39)年2月12日、麻布プリンスホテル
世界フェザー級タイトルマッチの調印後に握手をかわす関光徳(右)と、シュガー・ラモス=1964(昭和39)年2月12日、麻布プリンスホテル

キューバの国家元首(国家評議会議長)を務めたフィデル・カストロ氏が11月25日、90歳の生涯を閉じた。

同氏は1959年、バティスタ政権を打倒してキューバ革命を成功させ、その後すべてのプロスポーツを禁じた。このカストロ氏の登場がキューバのプロボクサーに与えた影響は計り知れない。

その代表的な男が元世界ウエルター級チャンピオンのホセ・ナポレス(メキシコ)だ。世界王者という夢を求め、祖国と妻を捨ててまで異国に走り、最後には英雄の座を勝ち取った。その闘いはドラマに満ちている。

ナポレスは40年4月、キューバのサンチャゴに生まれた。10歳をすぎるとプロボクサーを目指し、まずアマチュアで活躍。58年8月、18歳のときにプロデビューし、1回KO勝ちを飾った。

若きホープの前途は有望だったが、プロが禁止されたため、途方にくれるだけ。そして61年7月、ハバナからメキシコに旅立った。さらに愛する夫人は身重。それでもボクシングに自分の人生を懸けるための大きな決断だった。

すべての犠牲を払い、ひたすら練習に打ち込んだ。実は64年3月、日本で当時世界スーパーフェザー級7位の吉本武輝(リキ)と対戦、1回KO勝ちしたことがある。この試合を見た人は、的確なショート連打にただ驚いたという。

帰国後も実績を積み上げていくが、あまりの強さに世界王者からは敬遠される日々。こうして“無冠の帝王”とまで呼ばれるようになった。これがナポレスの代名詞となる。

69年4月、ようやくチャンスが来た。世界ウエルター級王者カーチス・コークス(米国)が挑戦を受けてくれたのだ。ナポレスは「コークスにはひたすら感謝している。全力で勝ちにいく」と必勝を宣言したほどだ。

試合はスタートからナポレスが主導権を握る。タフな王者を追い詰め、13回終了TKO勝ちで悲願の王座奪取を成し遂げた。歓喜にあふれたメキシコ人がリングに流れ込み、ナポレスにも目に光るものがあった。「この日を一生忘れない。これまでの苦労が吹き飛んだ」―。

ナポレスと同じようにキューバ革命で祖国を去った名ボクサーに元世界フェザー級王者シュガー・ラモス(メキシコ)がいる。不気味なパンチャーで、来日して関光徳(新和)を吹っ飛ばしたこともある。ナポレスとラモス。両者ともキューバ人らしい運動神経に恵まれていた。(津江章二)