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『綴られる愛人』井上荒野著 「疑心」が人を支配する

2016年11月28日


行き着く先が2人のハッピーエンドではないことを、おそらく読み手は冒頭で悟る。就活の波に乗れない21歳の大学生が、35歳のエリートサラリーマンを装って、女に宛ててしたためた手紙から物語は始まる。女からも、大学生のもとに手紙が届けられる。35歳の児童小説家が、28歳の専業主婦を装って書いている。手紙の中でその専業主婦は、夫から日常的に暴力を受けている。だからエリートサラリーマンに救いを求める。誰かが、私の夫を消し去ってくれたらいいのにと。

小説家・柚(ゆう)も実のところ、編集者である夫から、目に見えない暴力を受けている。「支配」とか「パワハラ」とか呼ばれるそれである。書き上げる物語のディテールから、食事会に着ていく服装まで、夫に逐一チェックされる。柚が夫の目を盗み、自らの意志で書き始めた物語を、夫は軽やかに破いて捨てる。僕みたいな男がそばにいてくれて、君は本当に幸せだね。セックスの後、そんな言葉を吐いたりもする。柚は柚で、この人から離れたら自分は本当に何も書けないのではないか、という恐怖に足を絡め取られて動けない。

大学生は、そんな彼女の、半分嘘で半分本当の手紙に使命感を燃やす。俺が彼女を救わねばならない。時に自分を試すかのような女の文体に呼応しながら、そしてうだつのあがらない自分の人生に辟易しながら。彼は35歳のエリートサラリーマンなどではなく、もっとずっと幼い心の持ち主だということを、文面から露見させていく。

そして計画は実行される。小説家が書いた夫の行動経路と絶好のタイミングを、大学生は信じて狙う。けれど本作の真の魅力は、そのスリルやサスペンスうんぬんではない。

人がどれだけ「疑心」に支配されて生きているか、という恐怖だ。

彼らは互いの手紙を読みながら、ここに書かれていないことに思いを馳せる。最初は幸福な行為である。見えない顔や聞こえない声を想像するときめき。けれどその行為の主軸がだんだんズレてくる。あなたのここが知りたいのに、手紙にはそれが書かれていない。あなたはなぜそれを書かなかったのか。書かれていないことにこそ、あなたの真実は潜んでいるのではないか。――この感情には身に覚えがある。手紙ならずとも、メールやSNSで、毎日のようにつきまとう疑心だ。

そして2人がたどり着くのは、昂ぶりでも失速でもなく、ただ、ピリオド、である。一気に読み進めてきた一冊を、ふう、と息を吐いて閉じる。急に部屋の静けさがなだれ込んでくる。そうそう、自分の日常はこっちなのだったと、読み手も自分の日々へ戻る。近づいたり離れたり、信じたり疑ったり、安寧に見えて実は十分に忙しい自分の日常へと。

(集英社 1500円+税)=小川志津子


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