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2008年12月26日
ブッシュ・シューズ、注文37万足
ブッシュ大統領が12月14日、イラクでの記者会見で靴を投げ付けられるという珍事があった。二回も投げ付けられたが、ブッシュ大統領はたくみに“攻撃”をかわした。暗殺された大統領は少なくないが、靴を投げ付けられた大統領は前代未聞、これからもめったに見られない光景だろう。映像ニュースを転載したユーチューブは大賑わいである。
23日の共同通信電は、その靴を製造していたトルコのメーカーに注文が殺到し、従業員を100人も増強したと伝えている。この不況時に従業員を増やしているのはこの靴メーカーだけだろう。
注文は"事件"の直後、イラクから入り始め、年間で1万5000足しか売れなかったものが、37万足もの注文となっており、この会社は靴の名前を「ブッシュ・シューズ」と改めたそうだ。アメリカからも1万9000足の注文があるというから、これからもっともっと売れるのだろう。
ブッシュ大統領が12月14日、イラクでの記者会見で靴を投げ付けられるという珍事があった。二回も投げ付けられたが、ブッシュ大統領はたくみに“攻撃”をかわした。暗殺された大統領は少なくないが、靴を投げ付けられた大統領は前代未聞、これからもめったに見られない光景だろう。映像ニュースを転載したユーチューブは大賑わいである。
23日の共同通信電は、その靴を製造していたトルコのメーカーに注文が殺到し、従業員を100人も増強したと伝えている。この不況時に従業員を増やしているのはこの靴メーカーだけだろう。
注文は"事件"の直後、イラクから入り始め、年間で1万5000足しか売れなかったものが、37万足もの注文となっており、この会社は靴の名前を「ブッシュ・シューズ」と改めたそうだ。アメリカからも1万9000足の注文があるというから、これからもっともっと売れるのだろう。
ブッシュ大統領は不屈(くつ)の精神でイラク戦争の正当性を強調したかったのだろうが、屈(くつ)辱のシーンは全世界に放映された。大統領はこのまま鬱屈(くつ)した気分で政権終(シュー)末を迎えることになる。一幕のシーンをみた世界の人々は「クックッ」と笑いを抑えることができなかったそうだ。
米国内でもブッシュの威信は落ちており、米国のヒストリー・ニュース・ネットワークが4月1日公表した歴史家109人にするネット投票では98%が「失敗した大統領」と認定し、61%が「史上最悪の大統領」と酷評した。ブッシュ靴事件は直後から、インターネットを駆け巡り、数多くのゲームやビデオ・マッシュアップをも生み出している。後世の人々はブッシュ大統領を「靴」というキーワードで思い出すことになるかもしれない。
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【カイロ23日共同】イラク人記者が首都バグダッドでブッシュ米大統領に投げ付けた靴のメーカーに注文が殺到し、トルコ西部イスタンブールにある同社は注文に対応するため従業員100人を臨時で雇うことになった。フランス公共ラジオが22日伝えた。
靴メーカーの担当者によると、「事件」が起きてから22日までに計37万足の注文が舞い込んだ。これまで、投げ付けられた靴のモデルは年間1万5000足しか売れていなかったという。同モデルは「ブッシュ・シューズ」と改名された。
靴は工場から出荷時の価格が1足27ドル(約2400円)。
注文は当初イラクからが大半だったが、その後、ほかの中東諸国をはじめ、世界各国から集まるようになった。米国からも1万9000足の注文があった。
中東のアラブ諸国では、同記者の靴投げを「英雄的な行為」と支持する声が広がっている。
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2008年12月25日
鶴岡協立病院を貸しはがしから救った草の根力
NBonlineで内藤真弓氏が「地域医療を“貸しはがし”から救った草の根の力」という意味深いコラムを書いている。いくつか視点がある。まずは金融機関の「貸しはがし」が病院にまで及んでいる点。画一行政のもとで財政からの支援もまさに"貸しはがし"状況が進んで、地域の診療機関が危機にひんしているのはここ数年の傾向で、決して見逃しにできない。
もう一つは消費組合が運営している医療機関がまだ全国にいくつもあるということである。1932年、賀川豊彦が新渡戸稲造らと組んで東京に「東京医療利用組合新宿診療所」を開設し、中野総合病院となった経緯はあまり知られていない。病院は医療法人が開設するという常識に挑戦した。医療保険がほとんど整備していない時代に、賀川が切り開いた天地はまさに革命的だった。つまり医療も助け合いの協同組合で行えば誰もが病気になっても困らないというものだった。当然ながら、 協同組合による病院設立は、当時の医師会から大きな反対運動を受けた。
現在の中野総合病院は「生協法」のもとにあり、JAが運営している厚生連の病院は「農協法」の管理下にある。厚生労働省は「病院=医療法人」の元で一元管理しようとしているが過去に設立された協同組合立の病院だけはどうにもならないのである。ちなみに株式会社による病院も少なくない。麻生首相の親戚が運営する飯塚市の「麻生病院」は株式会社である。(元47編集長=伴 武澄)
地域医療を“貸しはがし”から救った草の根の力 NBonline
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2008年12月24日
価格破壊に曝されなかった自動車とメディア
アメリカのビッグスリーの経営は末期的症状である。今年の売り上げが前年比3割減、4割減では経営が成り立たないのも当然である。昨年来、債務超過となっているゼネラルモーターズが依然として上場し続けられるのが不可解である。
日本の自動車メーカーも対岸の火ではなくなった。トヨタ、ホンダでさえ、通年赤字経営となる見通しを発表した。この先、どこまで赤字が膨らむのかさえ見えなくなった。販売台数減と円高が経営を挟撃している。特に円高が1ドル=80円台が定着するとほとんどの輸出企業が先の見えない経営環境に突入するはずだ。
自動車に次いで危ないのがメディア業界である。大手新聞でも赤字に陥るとされ、、一部の全国紙では身売り説もうわさされている。なぜ自動車と新聞なのか。職場で議論になった。双方とも90年代の「価格破壊」にさらされなかった業界だという結論に達した。
「なるほど」。そういうことかもしれない。環境問題と燃料費の高騰が日本の自動車業界を後押しした。円高でも輸入ディーラーが差益還元を十分しなかったことも幸いした。新聞業界は独禁法の手厚い保護に守られながら、日本語という"障壁"で外資と直接競合することがなかった。しかも電通、博報堂という広告業界の寡占が世界的にも高水準の広告費収入を維持してきた。
トヨタは2007年、生産台数でGMを抜いて世界のトップに躍り出たが、この10年間で生産を2倍に増やしている。80年代の日米自動車貿易摩擦の反省から、各メーカーとも国外での生産に力を入れてきた。海外生産の強化によって、結果的に円高にも強い企業体質になったが、この10年の日本車の売れ行き増で輸出にも拍車がかかり、為替変動に極めて弱い体質に戻っていたのだ。
国内での自動車離れはきのう、今日に始まったわけではない。その昔、若者が就職してまっさきに買うのがマイカーだった。しかし、初任給は据え置かれ、年功序列賃金が廃止される中で、自動車価格はどんどん上がってしまった。むやみな排気量アップや装備品の高級化が原因である。金利は低いとはいえ、自動車ローンへの恩恵はあまりない。自動車離れが進むのも当然である。
なぜ、自動車は価格破壊を免れたか。理由は単純である。90年代に進んだ円高にもかかわらず、輸入車ディーラーは輸入車価格を高い水準に据え置いたから、国内メーカーは価格面での競争にさらされなかった。トヨタのカローラとフォルクスワーゲンのゴルフは古くから世界市場でシェアを争ってきたが、日本でのゴルフはカローラの2倍近い価格で売られている。オーナーとなれば、部品や車検価格に「輸入車」というハードルもある。
輸入車は高いというバカバカしい常識が今もって日本では通用しているから不思議でならない。多くの業界では輸入品との価格競争で、「価格破壊」を余儀なくされたのに、自動車業界だけはその競争にさらされなかった。短期的には幸運だったかもしれないが、ここへきて円高の「免疫力」のなさが業界に大きな試練となって跳ね返ってきているのだ。(続く=元編集長・伴 武澄)
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2008年12月17日
中国でプラグインハイブリッド車が発進
中国の民族系自動車会社である「比亜迪」(BYD)は15日、家庭用電源から充電可能なプラグインハイブリッド車「F3DM」を発売すると発表した。すでに官公庁には納車している。
ガソリンエンジンと電気モーターを備え、モーターだけでもフル充電状態で100キロ以上の走行が可能。専用の充電スタンドで20分、家庭用電源で9時間でフル充電できるという。価格は14万9800元(約200万円)。
使い方にもよるが、日々の通勤や買い物ではほとんどガソリンを消費せずに運転ができるため、燃料費はガソリン車の10分の1程度で済むといわれている。トヨタもハイブリッド車「プリウス」のプラグイン版を近く販売する計画だが、中国の新進メーカーに先を越された格好だ。
BYDはもともと、二次電池生産で世界のトップクラスのメーカー。2003年に自動車メーカーを買収して、自動車業界に参入したばかり。最先端のリチウムイオン電池でも日本メーカーなどと先陣争いをしている。米著名投資家ウォーレン・バフェット氏の関連企業であるミッドアメリカン・エナジー・ホールディングスが同社の新株10%を取得するなど話題を呼んでいた。 来年後半には、 純電気自動車も発売する予定。
2008年10月28日 欧米で走り始めた電気自動車
2006年11月30日 Who killed the Electric Car
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2008年12月16日
Gente Miuda卒業式で聞いた悲しい話
14日は群馬県大泉町にある日系ブラジル人学校「Gente Miuda」(ジェンチミューダ)の卒業式に招かれて出席した。財団法人国際平和協会が毎年秋に「東京遠足」をプレゼントしているご縁だ。全校170人余の同校の卒業生は二十数人。幼稚園から中学まで年齢層はさまざまだが、日本と違って親子がフォーマルに着飾って晴れやかな式典だった。
一方で、悲しい話もたくさん聞いた。大泉町は三洋電機と富士重工の工場があり、その下請け企業群も多く、早くから日系ブラジル人雇用に熱心だった地であるが、100人単位での解雇情報が日系人社会を揺さぶっている。「Gente Miuda」の場合、来年の始業式に来ないことが決まっている児童・生徒が40人にも及ぶという。みんなブラジルに帰国する。
日系ブラジル人雇用は法律の整備もあり、90年代初頭から急増した。日本に先祖があることが分かれば誰でも日本で働くことができたが、最近では「二世ならいいが、三世はダメ」というように就労ビザの発給も厳しさを増しているから、いったん帰国すると二度と日本で働けない人もいる。そういう事情を知ってか知らずか、日本で暮らしていけなくなったブラジル人の帰国ラッシュが始まっているのだ。
華やかな式典の片隅でGente Miudaの先生の一人が寂しそうにつぶやいた。
「ここに出席している子どもたちはいい方なのです。衣装代や式典の負担金を支払えない子どももいるのですよ」
「浜松では日系ブラジル人のホームレスが現れて、キリスト教関係者が炊き出しをしているというニュースを知っていますか。私が住んでいる伊勢崎市にもいるんです」
楽天的なブラジル人たちはあまり貯金をしない。車を買って住宅を購入した人もたくさんいる。このまま日本で定住を決意した人たちも少なくない。しかし、就労の実体は「派遣」のまま。これまでは派遣であっても一生懸命働けば、普通の日本人並みの生活を楽しむことができたが、アメリカ発の経済危機が急速に日本経済に襲いかかっていて、真っ先に仕事を失うことになっているのだ。
解雇されて、ブラジルへ帰国するチケットを買える人ばかりでない。解雇されて家を失い、帰国できない人たちが駅前での生活を余儀なくされている。親子連れのホームレスが出現したという情報もある。
一番悲しかったのはある小学生の話である。家庭での会話から、親が金に困っていることを知って、放課後に自動販売機をまわり、忘れた釣り銭を集めていた。5000円ほど貯まったところを父親に知られて、生活費のために親に貸しているのだそうだ。(元編集長 伴 武澄)
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