自暴自棄の時代
【うーむ】
茨城県土浦市で23日、24歳の男が8人を殺傷した。男は前日「たまたま見かけた」男性を殺害。調べに対し「駅で7、8人を殺そうと思った」などと供述した。詳しい動機などは不明だが、無差別殺人を計画していたとされる。25日、JR岡山駅で男性を突き落として死亡させた18歳少年は「人を殺せば刑務所に行ける」と動機を述べた。
ここ数年、こうした「自暴自棄」ともいえる事件が目立つように思う。2004年に奈良県で起きた小1女児誘拐殺人事件で死刑判決を受けた男は、公判で反省の態度を見せず「早くこの世とおさらばしたい」と述べた。昨年、親類2人を殺害し現金を奪ったとして死刑判決を受けた男は「破滅するため、恨みのあるやつを殺して自殺しようと思った」と公判で述べた。最も典型的なのは2001年、児童8人を殺害した池田小事件で「捕まえて死刑にしてほしかった」と供述した元死刑囚だろう。
共通するのは、社会に対する不満、というより、怒りだ。もちろん、それは自分勝手で筋違いな感情だが、本人にとってみれば「自分は恵まれない境遇に置かれている。それは(自分のせいよりも)、他人や社会のせいだ」ということになるのだろう。その結果「社会との無理心中」とでもいうべき行動に走る。
もちろん、責任は間違いなく本人にある。しかし、では、こうした事件を発生させたこの社会には何も問題はないのだろうか。学歴や家柄、経済的条件などに基づく社会の壁は依然厚い。それに加えて、圧倒的に広がる格差…。そうした要素は犯罪にも結びつく。逆に言えば、どんな残虐非道な事件でも、そこには何か、社会的な要因があり、有益な示唆が含まれているかもしれない。今回の2つの事件も「異常な若者による異常な犯罪」と片付けるのではなく、そこからわずかでも教訓を導き出し、人々の幸福に還元する─。それが社会の責任ではないだろうか。(47NEWS編集スタッフ 小池新)
投稿者 47news : 2008年03月27日 16:47
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://office.kyodo.co.jp/mt-cgi/mt-tb.cgi/31706

