47NEWS > 地域ニュース > デスク日記 > 2007年04月

« 2007年03月 | メイン | 2007年05月 »

2007年04月28日

加速する北陸でのATM無料化


AI-20070104-0007983_1_s.jpg

北國銀行のATM=金沢市内



 北陸3県でATM無料化が加速している。きょうは福井新聞が「10月から県内2銀行と5信金が休日・時間外も含めて相互に無料化する」というニュースを報じた。1月に北国新聞が石川県地銀の北国銀行が時間外・休日の無料化を報じた時、大手マスコミはどこも本紙で報道しなかった。


 全国で進んでいるATMの“無料化”は①提携金融機関の拡大②コンビニとの提携③郵貯との提携などだが、北陸で特徴的なのは、利用者にうれしい「休日や時間外の無料化」が進められている点である。


 北陸3県の地銀間の時間内の相互無料化、石川県の信金の完全相互無料化は進んでおり、北国銀行と富山第一銀行は4月から24時間365日の無料化を開始した。今回の福井県の銀行+信金による無料化は石川県と富山県にも拡大するものとみられ、近い将来、郵貯ATMの包囲網は磐石となることはほぼ確実だ。
 

 ■ATM手数料 県内7機関10月から相互無料【福井新聞】
 ■ATM完全無料化で提携 福井の7金融機関、石川にも影響か【北国新聞】


 ■國銀がATM完全無料化 地銀で初、4月めどに 時間外手数料も不要【北国新聞】

 ■ATM手数料 無料拡大 北陸の信金【北日本新聞】

 ■JAバンク石川も参戦 ATM無料化【北国新聞】

 ■福井銀も無料化へ ATM時間外手数料 北國、富山第一銀と連携【北国新聞】

 ■ATM無料化で提携 石川、福井の10信金 6月から実施【北国新聞】


 (紫竹庵人)

コメント (1) | トラックバック (0)

2007年04月27日

エジソンの発明と失敗

 イタリアのコモ出身のアレサンドロ・ボルタが電池を発明したのは1799年。ナポレオンが支配した時代でイタリアという国はまだなかった。そして1832年、フランスのピクシーが手回し直流発電機を発明する。その発電機に電流を流して回すモーターは1834年、アメリカのバーモント州のサマリーとダベンポートによって開発される。ここまで電気は直流のことだった。


 そもそも交流が普及したのは、エジソンが1879年、白熱電球を発明してからのことなのだ。


 しかしエジソンが白熱電球の実験をしたのは直流だった。一般家庭で電球を灯すためには電気が必要だったが、当時はまだ電気が“供給”されていなかった。そこでエジソンはニューヨークで電線を引いて電気を供給する事業を開始した。もちろんそれは直流だった。


 交流発電機はエジソンの部下のニコラ・テスラによって実用化された。エジソンはかたくなに直流方式を主張したが、事業化でテスラの交流を採用したのはライバル会社のウエスチングハウスやトムソン・ハウスだった。


 直流方式は電圧降下のため、半径3キロ程度しか送電できなかったが、交流だと、高い電圧で送電して、どこでも100ボルトに下げられる。送電の効率からすると直流は交流に対抗できるはずもないことがやがて分かった。


 しかし、エジソンは最後まで直流に固執し、高圧の交流がいかに危険かを示すため、イヌやネコを感電させる実験までして抗議した。おもしろいエピソードとして残っているのは、エジソンがつくったGEの当初の会社名はエジソン・ゼネラル・エレクトリックだったが、エジソンの態度にあきれた後継者たちが、会社名からエジソンを取ったということだ。


 発明王の最初のつまづきは直流に固執したことだったと思っていたら、四国新聞の4月23日のコラム「一日一言」にエジソンの最初の失敗作は「1868年、21歳の時に初めて特許を取得した発明品は『電気投票記録機』である」との紹介があった。


「議会の採決の際、いちいち投票箱まで歩いていくのは時間の無駄。議席でボタンを押せば、たちどころに投票結果が分かるようにすればいいじゃないか―。エジソンは自信満々に議会に売り込んだ。しかし議会は導入を断った。採決に時間をかけるのは戦術の一つだし、この機械を使うと少数派の言論が奪われかねないとの理由だった。エジソンの発明は必要ないと判断された。」のだそうだ。


 19世紀の中ごろにすでに「電気投票記録機」が発明されていたというのは驚きだったが、アメリカ人がその最新鋭の機械の導入を断った理由が“民主主義に反する”というのも興味ある判断である。
4月24日付・機械を超える議員に【四国新聞】


 (等松英尊)

コメント (0) | トラックバック (0)

2007年04月26日

読者の関心 vs. 新聞社の価値判断

 ニュースサイトの編集をしていると、ときにジレンマに陥ります。それは新聞・通信社が考える伝統的なニュース価値判断と、利用者からよくクリックされる記事の価値との溝についての問題です。平たくいえば、多くの人がクリックするニュースと、新聞社が「これは重要だから、ぜひ読んでほしい」と考える記事が、必ずしも同じではないことに、私たちはときに戸惑うのです。


pritynagashima.JPG


 最近の47NEWSの例で言えば、先の統一地方選の市川市議会選挙で、タレントのプリティ長嶋さんが初当選したというニュースがあります。このニュースは、新聞・通信社のニュース序列でいえば必ずしも上位にあがってきません。しかしこの日、47NEWS編集部では「実験的にこれを主要ニュースとして目立つ位置で紹介しよう」と判断しました。結果、このニュースが〈47NEWSニュース言葉ランキング〉では2日間にわたって1位となり、多くの人がクリックしたことを証明しました。


 いまここに相反するふたつの考え方を提示してみます。


 ひとつは、ニュースの価値判断をするのは読者であって、新聞・通信社が一方的に価値を押しつけるのは良くないという考え方です。マスメディアは読者の関心の高いニュースを提供していればよく、新聞・通信社もクリックされる記事を通して、読者のニーズをつかむべきだというものです。たしかに、読まれない記事を掲載しても意味はありません。この考え方には説得力があります。

 もう一つの立場は、放送メディアをめぐる「視聴率至上主義」に似た問題を、新聞・通信社に持ち込んで良いのかという考え方です。たしかにネットの世界は、人気ランキングや人気投票を取り込みやすく、やり方によっては最も効率的な〈民意反映ツール〉になるかもしれません。しかし、過度な商業主義化はマスメディアがもつべき公共性を損ないかねません。やはり公益性や公正さを重視した視点を提示するべきではないかという伝統的な新聞社的な考え方をバッサリ捨てることはできません。


 47NEWS編集部は、当面ふたつの考え方の間を行きつ戻りつしながら、ニュースサイトのあるべき姿を提示していきたいと思います。

(すね毛)

コメント (1) | トラックバック (0)

カンボジアで15校目の学校




 10年以上も前から「セカンドハンド」というリサイクルショップを経営してその収益でカンボジアに学校を建設しているNPO法人が高松市にある。代表は新田恭子さん。本業はフリーのアナウンサー。国連教育科学文化機関(ユネスコ)主宰のカンボジアでワークショップに参加してから直ちに行動を起こし、ほとんど一人でカンボジア支援のスキームをつくった。そのNPOから年に4回「セカンドハンド通信」が届く。その度に「偉いもんだ、かなわないな」とただただ頭が下がる。


 人間は弱くて忘れやすいから、読んだ翌日から日々の仕事や生活に埋没してしまう。また3カ月すると「あー、そうだった」と何も出来ない自分を振り返る。それでも新田さんのおかげで年に最低4回は自分の行いを振り返る時間をつくってもらっていると感謝している。


 このニューズレターには毎回、胸きゅん物語が書かれている。昨日届いた「48号」には、カンボジア南東部のスヴァイリエン州のコープリン村での15校目の学校建設の経緯が紹介されている。3月25日、村で建設決定を発表する席で新田さんは村民に向かってスピーチをした。


「日本は豊かだから学校建設なんて簡単な支援だと思う人もいるかもしれないけれども、決して簡単ではなく、この資金の陰には多くのボランティアの方々の協力、支援者たちの思いがあるんです」


 学校から国道まで10キロの道のりがあり、自動車も満足に走れない。学校建設のためにはまずは資材を運ぶために道路建設から始めなければならなかった。地区の村民には農地提供と道路建設の協力を仰いだが、なかなかよい返事をできない村民もいた。村長の一言が村全体を動かした。「私たちにはいくら努力しても建てることが出来なかった学校が今現実になろうとしている。村の子どもたちが読み書き、計算できることで将来が大きく変わる。知識は何よりの財産だから、今私たちが農地を提供することで子どもたちの未来を開こう」と呼び掛け、全員の合意を得ることができたという。


 セカンドハンドが、この地区に学校がないことを知ったのは同NPOが支援している職業支援センターの職員が遠くてセンターに通えない人たちのために実施している出張指導がきっかけだった。以前に村民がお金を出し合ってお金ができた分だけ少しずつ、2教室から校舎建設から始まったが、その後が続かなかった。事情を知ったセカンドハンドは別の土地に5教室の学校を建設することになった。

 その記事の下に小さい字で「※」の解説があり、「この学校建設事業の一部に匿名希望の方から、生前、教育に熱心であったご両親の遺産を充ててほしいとご寄付いただきました」と書かれてある。なかなかできることではない。日本も捨てたものではない。


 寄付で成り立っている途上国支援のための慈善団体は数多くある。問題は人件費や経費でせっかくの寄付金が生きないことである。しかし、セカンドハンドだけは違う。新田さんの強力な指導力で売り上げや寄付のほぼ全額がカンボジアにわたる。ぜひ、あなたも胸きゅん一族に仲間入りしてほしい。


 カンボジアに3つ目の学校を建てたセカンドハンド


 完成したキリチョンコ小学校2棟目の校舎


 NPO法人セカンドハンド


 (紫竹庵人)

コメント (0) | トラックバック (0)

2007年04月25日

久能山東照宮に140年ぶりの葵使



 4月17日、半休を取って静岡市に向かった。京都の知人から連絡があり、上賀茂神社から140年ぶりの葵使が久能山東照宮にフタバアオイを献上するから参加しないかと誘われた。17日は徳川家康の命日で、毎年全国の徳川ゆかりの人々が集まる御例祭の日だった。


 東照宮は日光が本家だと思っていたが、実は久能山が本家なのだ。久能山には家康の墓があり、日光の東照宮は久能山から分霊されたものであることを初めて知った。葵使は「家康の命で1610(慶長15)年、上賀茂神社に自生していたフタバアオイを駿府城へ献上したのが始まり」。その後は江戸城にも献上していた。


 明治維新で幕府が崩壊し、葵使もなくなった。上賀茂神社などがフタバアオイを平和や環境のシンボルとして復活させようと話し合う中で、江戸城への行程を記した古文書が見つかったことが分かり、神社と「京都紫野ローターアクトクラブ」などが復活を企画した。


 来年の日本でのサミット開催地は北海道の洞爺湖に決まったが、京都は最も有力な候補地だった。たぶん警備を最優先して洞爺湖のホテルに決まったのだろうと思う。もし京都での開催となっていれば、主要国の首脳に子どもたちが育てたフタバアオイを“献上”しようという構想も一部であった。


 賀茂川上流一帯に群生していたフタバアオイがほとんどなくなってしまったのは、開発が原因とされている。もともと清流を好む植物なので川の汚れに耐え切れなくなったのだろう。京都は1997年に世界環境サミットが開かれ二酸化炭素の削減を求めた「京都議定書」を締結した地。地球的環境問題の“メッカ”的存在となっている。フタバアオイに込められたメッセージは「環境」なのだ。


 その京都のフタバアオイが持つメッセージを世界に広めたいとするのが「葵プロジェクト」の一面でもある。洞爺湖でのサミット開催で各国首脳へのメッセージ伝達は不可能となったが、プロジェクトは終わったわけではない。始まったばかりである。息の長い運動を全国に広げてもらいたいと思う。


 家康しのぶ御例祭でフタバアオイ献上が復活久能山東照宮【中日新聞】


 葵使 140年ぶり復活いたす 上賀茂神社から家康に献上【京都新聞】


 (紫竹庵人)

コメント (0) | トラックバック (0)

2007年04月24日

サミット-新聞社サイトも悲喜こもごも


 2008年の主要国首脳会議(サミット)の開催地に北海道・洞爺湖が決まりましたが、誘致合戦に敗れた地域の新聞社のウェブサイトには地元の複雑な表情がにじみ出ています。


 国際的な大イベントは、地元経済を活性化させる効果や、国際的に名前を知らしめるなどのメリットが期待できるため、2008年サミットについては、日本各地から開催地として名乗りが挙がり、誘致合戦が繰り広げられてきました。洞爺湖のほかに有望視されていたのは、①京都・大阪・兵庫の財界が呼びかけた「関西サミット」、②横浜・新潟両市が主張していた「開港都市サミット」、③岡山・香川両県も負けじと盛り上げていた「瀬戸内サミット」--です。

 しかし、北海道・洞爺湖に決まったことで、“落選”した地元新聞社は以下の記事をウェブサイトに掲載しています。


・【神奈川新聞】サミット開催地横浜落選で横浜市長が会見

・【新潟日報】サミット 新潟は外相会議期待

・【山陽新聞】サミット 北海道・洞爺湖決定 失望隠せぬ関係者

 なお、以下の記事は、サミット誘致合戦がどれほど熾烈だったかを知る手がかりになります。ご興味のある方はどうぞ。

・【神戸新聞】三つどもえ、誘致合戦過熱 08年サミット

・【四国新聞】誘致合戦一段と過熱-08年サミット国内開催地


 おっと、忘れるところでした。サミット開催地に決まった地域の新聞社ウェブサイトは、おおいに賑わっています。たとえば以下の記事をご覧ください。

・【室蘭民報】「道と綿密に連携」-サミット開催地・長崎洞爺湖町長

・【室蘭民報】洞爺湖サミット決定、地元「観光客増に期待」の声相次ぐ

・【室蘭民報】室蘭の自治体や業界などもサミット決定に喜びと歓迎

・【室蘭民報】白老町は首脳陣夫人の「アイヌ文化体験ツアー」に期待

・【北海道新聞】洞爺湖の名、世界に 町長、満面の笑み 警備や費用懸念の声 サミット決定

・【北海道新聞】サミット決定 本紙が号外配布 道内6都市

・【北海道新聞】道、推進局を設置へ 洞爺湖サミット

(すね毛)

コメント (0) | トラックバック (0)

夕張・東洋・長崎の新首長の初日



 一夜明けて 見えない政策、人物像【長崎新聞】


 長崎新聞は企画記事の冒頭「つい4日前まで一職員にすぎなかった人物が、45万市民の暮らしを預かる行政トップに登り詰めた。付き添う2人の秘書課職員が、置かれた立場の変化を象徴していた」と書いた。
 伊藤一長前市長の死去による追加立候補で、選挙期間が3日しかなかったことに加え、弔い合戦で娘婿の横尾誠氏が優勢と考えるのが普通だが、結果は予想を大きくくつがえすものだった。無名の一職員が3日で 78,066票を獲得できたからくりが知りたい。


 公約実行へ全開 反核町長の「長い1日」【高知新聞】


 高知県東洋町の新町長となった沢山保太郎は、「原子力発電環境整備機構の理事長に少し緊張しながらも毅然(きぜん)とした表情で直接電話。応募撤回を求める文書は職員に任せることなく、自身が野根郵便局に直接出向いて配達証明付きで郵送した」。
 Wikipediaの「革命的共産主義者同盟全国委員会」(中核派)には「1973年、部落問題をめぐる意見の対立から沢山保太郎が除名」とある点に注目したい。


 夕張新市長 藤倉氏会見 市民会議3カ月内に 医療・福祉を最優先【北海道新聞】


 財政再建団体となった北海道夕張市の市長選で初当選した元会社社長藤倉肇(ふじくら・はじめ)氏が二十四日、札幌市内で北海道の高橋(たかはし)はるみ知事と会い、「どんなことをしてでも夕張を良くしていきたい」と決意を語った。
 藤倉氏は知事公館で、高橋知事と約十分間会談。宮崎県の東国原(ひがしこくばる)英夫(ひでお)知事を例に「夕張市長に会おうという観光ツアーができるぐらい頑張りたい」と述べると、高橋知事は「大変な時期だが、再建に努力してください。道としても支援していく」と応じた。
 夕張市は藤倉次期市長の下で約三百五十三億円の赤字を十八年間で解消する再建計画を進める。想定を上回る人口流出も起きており、市民が希望を持てる地域の早期再生が最大の課題となっている。(共同)


 (紫竹庵人)

コメント (0) | トラックバック (0)

2007年04月23日

これも選挙、あれも選挙



 投票率99%、棄権2人だけ 新潟県粟島村議選


 新潟県粟島村の村議選(定数8)では有権者数303人のうち、入院などの理由で棄権した2人を除く301人が投票、投票率は99・34%だった。過去2回は無投票だったが、今回は9人が立候補し12年ぶりの選挙となった。選管によると開票作業は20分で終了。親せきで同姓の候補者もいたが無効票や案分票はゼロ。最低当選ラインは31票。たぶん日本一「重い一票」の選挙だったのだろう。粟島村には申し訳ないが、有権者が300人ならば、わざわざ議員を選ぶまでもない。地方自治法に残る「村民会議」でものごとを決めればいい。そんな印象を得た。


 落選した9人目の松浦武次氏は55歳の“最年少”。詳しい事情は知らない。偶然かもしれないが、この村では“年功序列”で決まる???


◆◆粟島浦村議選 開票結果(定数8―9)選管最終◆◆


 当    38  脇川  登 63 無新 (1)
 当    38  本保 清逸 64 無新 (1)
 当    35  本保 信勝 67 無現 (3)
 当    35  菅原 米男 71 無現 (4)
 当    33  本保  茂 69 無現 (5)
 当    32  松浦 春次 66 無新 (1)
 当    32  本保 友明 57 無新 (1)
 当    31  脇川 為雄 64 無新 (1)
      27  松浦 武次 55 無新    


【注】カッコ内数字は当選回数。無は無所属。


あと54票…ああ再試合 宮城・加美町長選 支持者複雑


 夕張市長戦は7人が立候補して、再選挙も懸念されたが、藤倉氏が乱戦を制した。宮城県の加美町長選では54票足らずに再選挙となった。再選挙は過去に3例あるそうだ。同日投開票のフランス大統領選は得票1位のサルコジ氏が過半数を取れず、2位のロワイヤル氏と決戦投票となった。日本の場合、有効得票の4分の1を取れないと再選挙となるが、フランスの場合は過半数。どちらが民主的かと問われれば、フランス大統領選に軍配を上げざるを得ない。


草の根運動で激戦制す 上小阿仁村長選当選の小林宏晨氏


 村内で3人の小林さんが村長選に立候補、元大学教授の小林宏晨氏が“激戦”を制した。なんと24年ぶりの村長選だというから驚く。3人の小林さんはそろって現村長である北林氏の教え子なのだというからおもしろい。小林宏晨氏は上智大学を卒業後、ドイツで博士号を取得した学究派、著書も多数ある。まだ69歳、生まれ故郷に戻ってどんな村づくりをするのか注目したい。


 6人の「百瀬」さんが当選 長野県波田町町議選


 長野県波田町の町議選(定数12)では立候補した14人のうち、百瀬姓6人全員が当選した。これまでも議長、副議長含め3人が百瀬姓だったが、これで半数が百瀬姓となる。百瀬姓だからすべての議題で一致するとは思えないが、“親族”が結集すれば町政は動かせる。うーん。


 町民1万5000人のうち百瀬姓は6%で最多なのだそうだ。これは圧巻である。苗字でなく名前で呼べば問題はないというかもしれないが、6%つまり900人の百瀬さんがいるとなると区別、判別は難しくなる。ちなみに議長は百瀬今朝春さんで、副議長は武春さん……。


百瀬武春   73 農業          無現
百瀬禎省   71 [元]校長       無現
百瀬今朝春  74 卸業          無現
百瀬清子   67 [元]銀行員      無新
百瀬智     54 会社員         無新
百瀬友宏   71 [元]自衛官      無現


プリティ長嶋氏トップ当選 「満塁ホームランの気分」市川市議選


「夕張の営業マンに」新市長に藤倉さん 民間の経営手腕強調


 (紫竹庵人)

コメント (0) | トラックバック (0)

2007年04月20日

すでに田植えの季節

AI-20070307-0018367_1_s.jpg
中学生も手伝い、超早場米の植え付け
3月6日、南さつま市金峰町尾下


 きょう田植えの記事がいくつかあった。「もう田植えの季節なのだ」と一人合点していたが、「ひょっとして」と思い、47ニュースを検索してみた。あるはあるは……。47ニュースは昨年12月24日にスタートした。記事入力は12月1日からだが、「田植え」の記事は全部で231件もあった。


 さかのぼると最も早い記事は3月3日の鹿児島沖永良部島での田植えだった。島内ただひとつの和泊町・大城小学校同校の学校園にある水田で子どもたちが田植えをしたというお話。沖永良部島は鹿児島県といってもほとんど沖縄に近い。
  南日本新聞 「沖永良部島唯一の水田で田植え 和泊・大城小」


 本格的農業という意味では鹿児島県南さつま市の金峰地区。3月6日であるから相当に早い。「田植え、もう待てない」という南日本新聞サイトの記事を主要ニュースに貼り付けたことを思い出した。暖冬の影響で苗の生育がよく昨年より4日早かった。ただ気温10度前後で田んぼの水は冷たく、手伝った子どもたちは「足が凍りそう」。イネの品種は超早場米「金峰コシヒカリ」。この地区では7月中旬に稲刈りが始まるのだそうだ。
 南日本新聞 「田植え もう待てない」


 8日には宮崎県串間市、15日は高知県四万十町興津、23日は香川県と徳島県と続き、25日の宮崎日日新聞サイトは「県内雨20度越超す陽気、早期水稲田植え最盛」という田植え記事を掲載している。4月に入ると毎日のように早場米の田植えの記事が登場する。
 宮崎日日新聞 「県内雨20度超す陽気 早期水稲の田植え最盛」


 47ニュースは季節の歳時記も不可欠と考えている。日本列島を串刺し的に鳥瞰できるのがこのサイトの取り柄である。サクラの開花宣言もあと青森県と北海道を残すのみとなっている。各地で茶摘みも始まり、本格的田植えシーズンも間近である。忘れていた。鯉のぼりの吹流しもこの時期の大切な風景のひとつである。「お出かけ特集 ここにも泳ぐよこいのぼり」はなかなかの出来ばえです。


(紫竹庵人)

コメント (0) | トラックバック (0)

障害者プロレス

 きのう(19日)の〈ホッとニュース〉で、「初の単独興行、白熱ファイト 仙台・障害者プロレス団体【河北新報(会員登録)】」という記事が掲載されました。障害者団体がプロレス興業をすることに、すこし驚かれた方もおられるのではないでしょうか。


kahoku.jpg

 障害者がスポーツや表現活動をすることについて、これまで多くのマスメディアは好意的・・・ともすれば“美談調”に伝えることが多かったように思います。「障害にも負けず」「障害を乗り越えて」というニュアンスが見え隠れしていて、そうした障害者をめぐるニュースの中に、「プロレス」なるものが入り込む余地は少なかったように思います。


 というのも、このところ人気の「K1」と違って、プロレスには「いかがわしいショー」「八百長」と眉をひそめる人が少なくなかったからです。ある種の「いかがわしさ」(←プロレス関係者ごめんなさい)のなかに、美化されがちな障害者が登場し、ときに「反則プレー」や「場外乱闘」などのパフォーマンスをする。そうした光景に衝撃を覚える人がいても不思議ではありません。じつをいうと、わたし自身、10年ほど前、東京を本拠地にする障害者プロレス団体「ドッグレッグス」の興業を見に行ったことがあり、少なからぬショックを受けた経験があるのです。


 試合から数日後、ドッグレッグスに所属していたある障害者レスラーから話を聞く機会がありました。正確な言葉は覚えていませんが、彼はおおよそ次のようなことを話していました。


 「たのしいかややってるんだ。大きな声援を受け、感情をつつみ隠さず、思い切り体を動かすのは、気持ちが良いこと。試合に勝って拍手を浴びると、素直にうれしい。障害者プロレスが嫌だ、見たくないという人の中には、ぼくらを型にはめてしか見られないのかもね」


 ドッグレッグス主宰者は1997年に『無敵のハンディキャップ』という本を文藝春秋から上梓しており、現在は文庫化されています。仙台・障害者プロレス団体「ODAZUNA」への理解も深まると思います。ご興味のある方はご一読を。


■関連リンク
障害者スポーツ団体「ODAZUNA」 http://sendai-cares.net/m/42.html
障害者プロレス「ドッグレッグス」 http://homepage3.nifty.com/doglegs/
メールマガジン 障害者プロレス『FORCE』の挑戦 http://www.mag2.com/m/0000083706.html 

コメント (0) | トラックバック (0)

2007年04月18日

タクシー値上げに逆行し、初乗り200円台も




 各地でタクシー運賃値上げの動きが出ているが、地域によっては値上げを断念したり、逆に初乗り運賃を値下げする動きも出ている。47ニュースの面白みは興味ある地方紙の記事をヒントにサイト内検索すると、思わぬ情報に出会うことである。


 きょうのニュース探索の発端は岩手日報の「止まらぬ競争激化 岩手県内のタクシー業界」という記事。盛岡地区では初乗りを280円に設定する動きもあるというのだ。http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20070418_7


 「タクシー」「運賃」で47サイトを検索すると72件の関連ニュースがヒットした。石川県では金沢地区以外で値上げの申請率が規定の7割に達しないため、全県での値上げが微妙になっているという。http://www.hokkoku.co.jp/_keizai/K20070414301.htm

仙台地区はすでに「運賃上げ見送り」なのである。

http://jyoho.kahoku.co.jp/member/backnum/news/2007/03/20070323t12020.htm


 驚いたのは「美唄でタクシー値下げ戦争 初乗り全道最安 業者、もう限界」という北海道新聞の記事。初乗り運賃「230円」のタクシーがすでに存在しているということである。もちろん初乗りの距離は短いがほとんどバス運賃とほぼ同じである。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/economic/21174.html?_nva=18


 道新の記事によれば「値下げの口火を切ったのは美唄交通。以前は3社とも初乗り1・4キロまで530円だったが、2004年3月、「近くまで乗る高齢者などに少しでも乗車回 数を増やしてもらう」と470円に下げた。他の2社も追随し、同年12月に相次いで470円になった。すると、美唄交通は05年10月、初乗り700メートルまでを310円に値下げ。他の2社も対抗して昨年3月に同じく270円に下げたが、美唄交通は同11月、さらに40円安い230円にした」ためなのだそうだ。


 タクシーの運転手からすれば大変なはずだが、逆にここまで料金が下がればバスがやっていけなくなる。近距離ならみんなタクシーに乗ればいいということになる。複数で乗れば一人当たりの負担はさらに安くなるというものだ。


 さらに古い記事を検索していると西日本新聞1月12日の「パンダタクシーが初乗り290円」という記事もあった。福岡の通常の初乗りは590円で1・6キロまでなのだが、パンダは850メートルまで290円という。初乗り200円台は珍しいことではないのだ。安いタクシー運賃の話題はまだまだあるかもしれない。それぞれの県内の話題としては当たり前の話なのかもしれないが、きょうは驚きの連続だった。


 (紫竹庵人)

コメント (0) | トラックバック (0)

2007年04月17日

新聞社にとってのSNS

 新聞社がSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サイト)を運営し始めています。SNSといえば、日本ではmixiやGREEが有名ですが、佐賀新聞が昨年、一般紙では初めてSNSを導入しています。佐賀新聞SNSの愛称は「ひびの」で、利用者は拡大中です。そしてきょう(17日)、仙台市に本社がある河北新報がSNSコミュニティ「ふらっと」をオープンしました。




 SNSは、個々の利用者が新聞社サイトに個別アクセスする「n対1」ではなく、利用者が相互に交流する「n対n」を前提にしたネットの仕掛けです。一人ひとりが自分のページを持ち、友だちどうしで日記を見せ合ったり、共通の興味関心をもつ人が集ったりするのに利用されるのが一般的で、若い人や女性を中心に利用者が増えています。




 いうまでもなく、新聞社は、速くて正確な情報を送ることが期待されています。そんな新聞社がSNSを導入することで、なにが可能になるのでしょうか。一概には言えませんが、地元に点在する情報発信者や元気印の起業家、NPOなどを結びつける場を提供するなど、従来の〈送り手-受け手〉というモデルでは考えられなかったコミュニケーションの可能性を秘めていますね。 


 え、わたし? もちろん両SNSのメンバーです。(すね毛)

コメント (0) | トラックバック (0)

2007年04月13日

温家宝首相訪日の果実



PN2007041201000269.-.-.CI0002.jpg

 温家宝首相の訪日に際して、29年前の鄧小平氏の訪日フィーバーを思い出した人も多いかと思う。二度にわたる失脚から不死鳥のように復活し、1978年10月に日本を訪問した。日中平和条約の批准書交換が主な目的だったが、中国の最優先課題は、文化大革命で疲弊した中国経済を立ち直らせることにあった。中国でまだテレビが人々にとって高嶺の花だった時代に、日本経済の発展ぶりを全土でテレビ放映し、日本が中国の経済発展の模範であることを視覚的に訴えた効果は絶大だった。


 すでに新日鉄が全面支援した上海宝山製鉄所の建設は始まっており、翌年、北京を訪問した松下幸之助氏は北京松下カラーブラウン管工場の建設を約束した。当時としては西側による最初の対中大型投資だった。


 世界が驚いたことは訪日の2カ月後、中国共産党が「経済の改革開放路線」を採択したことである。鄧小平氏は「先冨論」を掲げ、10年でGDPを4倍にすると公言し、誰もが実現不能と思われた社会主義経済の市場化を現実のものにした。


 今回の温家宝首相の訪日では、同首相の国会演説が実現した。冒頭、「昨年10月の安倍首相の訪中が氷を割る旅だったなら、今回の訪問は氷を溶かす旅となるよう願っている」との期待感を表明し、歴史認識問題では「日本政府と日本の指導者が侵略を公に認め、被害国に深い反省とおわびを表明したことは積極的に評価している」と述べた。


 注目すべきはこの国会演説が中国全土で中継された点である。29年前の鄧小平氏の手法とまるで同じだった。国会演説で注目された発言は実は日本へのメッセージというより、中国人民へのメッセージではなかったかと考えた。これらのメッセージを中国国内の人々にしっかり伝えることが訪日の目的だったとすれば、たぶん温家宝首相の訪日は日中両国にとって大成功だったのだろうと思っている。(林東風)


 http://www.47news.jp/CN/200704/CN2007041201000247.html

コメント (2) | トラックバック (0)

ふしぎ写真 雲の矢印

20070413_1730.jpg


 琉球新報のサイトで、面白い写真が掲載されました。

 「矢印雲の向こうは?」と題した短い記事です。写真が命の記事なので、サムネールを紹介します。ぜひジャンプしてみてください。
(すね毛)

コメント (0) | トラックバック (0)

桜のうんちく(11) 松阪山中の宣長の奥墓

しきしまの大和心を人とはば
朝日ににおふ山桜ばな


 あまりにも人口に膾炙された本居宣長のうた。国学の開祖の一人である宣長の墓は松阪市郊外の山中にある。生前自ら設計した通りにつくられ、そこに一本の山桜を植えるよう命じた。宣長が死んだのは1801年だからすでに200年以上の歳月が経つ。


 200年前に植えられた山桜ではないが、今も宣長の奥墓には一本の山桜が立つ。周りの桜が盛りを過ぎたころ、その一本の山桜が花をつかせる。宣長の山桜は山の杉の木立に競うように上へ上へと伸びている。ひょろ長い桜木は美しいとはいえないが、この時期、遠路訪れた旅人の心を潤わすものがある。


 宣長がひとかどならぬ桜狂となるには理由がある。長く実子に恵まれなかった父親が吉野の水分神(みまくりのかみ)に通ってようやく生まれたのが宣長だった。自ら吉野の桜の精と信じたとしても不思議でない。晩年、門人たちを引き連れてこの時期、吉野へと旅立ち、『菅笠日記』をものにした。桜追慕の旅日記である。


 宣長の生涯の師匠となった賀茂真淵もいい桜のうたを残している。


 うらうらとのどけき春の心より にほひ出でたる山桜ばな


 もろこしの人に見せばや三吉野の 吉野のやまの山桜ばな


 (平成の花咲爺)

コメント (0) | トラックバック (0)

桜のうんちく(10) 南殿の桜の続き



 京都を訪ねて御所が左京区にあるのをおかしいと感じた人は相当な京都通だ。御所を中心に左右があるはずなのに。歴史教科書の平安京の配置図は覚えていると思う。あの図は設計図のようなもので実際建設されなかった部分も描かれてあると教わったこともあるが、これは定かでない。


 平安時代、内裏は度々の火災で焼失した。内裏が再建される間は里内裏といって貴族の邸宅に仮御所が営まれたが、鎌倉時代、天皇と幕府が対立して起きた承久の乱(1221年)の前後に消失して以降、再建されることはなかった。再建中に里内裏とされていた土御門東洞院殿、つまり現在の御所が正式の内裏となった。後堀川帝の時代である。


 東洞院は上皇のお住まいの意味で、現在の京都御所には仙洞御所が東側にある。土御門殿といえば、藤原道長が住んでいた寝殿造りの邸宅。後に後白河上皇の所有になったこともある由緒ある場所である。これが明治2年まで続いた内裏である。


 桜とは縁のない話ではない。その里内裏でも左近の桜だけはずっと殿上人たちに春の訪れを伝えていたということだ。(花咲爺)

コメント (0) | トラックバック (0)

2007年04月12日

赤ちゃんポスト問題

 熊本市の慈恵病院できょう(12日)、「赤ちゃんポスト」の設置工事が始まりました。この問題の是非について私に語りうる知識や見識はありませんが、かつて大阪で乳児院や児童養護施設の子供たちを定期的に新聞紙面で紹介した経験があり、そのことを思い出しました。


 さまざまな事情から親と離れ離れになった子供たちの多くは、里親の家庭で育てられるか、あるいは乳児院(1歳未満)や児童養護施設(1歳以上)などの福祉施設で育てられています。ただし日本の場合、里親希望者が少なく、圧倒的に多くの子供は施設で育てられています。欧米では里親希望者や養子縁組を望む人が多い傾向があるようですが、おそらくキリスト教的な規範の影響でしょう。


 さて、慈恵病院が設置する赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)は、乳児院に入る前の段階、すなわち、家庭内の養育から社会による養育へと移行する分岐点です。子供にとって最初に重要なことは、健康・生命の危険を減らすことであり、その次に生育環境をより良いものにすることでしょう。その昔、取材で施設に足を運ぶたびに「おっちゃんはだれのパパ?」「もしかして、ボクのお父さんちゃう?」などとじゃれついてきた子供たちのことを思い出すと、いまも胸が締め付けられます。


 赤ちゃんポストをめぐって安倍首相は今月6日、「匿名で赤ちゃんを置き去りにすることは許されないのではないか。政府は一般的に認めることはない」と不快感を表明しましたが、むしろ、よりよい施策を検討することこそ政治の使命でしょう。同時に、マスメディアの社会的役割も問われますね。(すね毛)


■関連リンク
・【熊本日日新聞】健康・医療 こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)
・社団法人・家庭養護促進協会大阪事務所 あたらしいふれあい

コメント (0) | トラックバック (0)

2007年04月11日

ある内部告発

 北海道の話題が続いてすみません。


 すでに1週間ほど前のニュースですが、すこし気になる事件があります。4月4日に北海道新聞が「中国研修生違法残業『内部告発で降格人事』 美瑛町商工会前事務局長が提訴へ」という記事をサイトで紹介しました。詳しくは記事をじっくり読んでいただきたいのですが、大ざっぱに記事を紹介しましょう。


 美瑛町商工会の前事務局長の主張は、(1)勤務先の内部で「不正」に気づいた(2)勤務先の役員たちに「是正」を求めたたが聞き入れられなかった(3)法務省に相談したところ、立ち入り検査がおこなわれて「不正」が社会に公表された(4)「監督を怠った」として勤務先から処分を受け、降格された-というものです。真実は、やがて法廷で明らかになるでしょう。


 「不正行為」というのは「中国人研修生に派遣先で違法な時間外労働をさせたり、虚偽の研修報告書を国に提出していた」という内容のようで、事件の最大の被害者が中国人研修生であることは言うまでもありません。ただ、前事務局長の行動には、自分の勤務先で「不正」が行われたらどうするか-という、だれもが直面しうる普遍的な難問が含まれています。みなさんはどう考えますか?


 ちなみに、日本では昨春(2006年4月1日)に公益通報者保護法が施行されました。内部告発を行った労働者を保護する法律です。
(すね毛)


■関連サイト
・内閣府国民生活局-公益通報者保護制度ウェブサイト http://www5.cao.go.jp/seikatsu/koueki/

コメント (0) | トラックバック (0)

2007年04月09日

昨夜、誕生した小樽商大生の女性市議


9406_1.jpg
初当選を決めた山口さん(左)。

 13の都道県知事選を中心とする投開票が8日あった。知事選ではこれはというドラマもなくイマイチ盛り上がらなかった。昨夜来、各社のサイトを人間クロールしてオッと驚いたのが、札幌市議選で小樽商大の女子学生が当選したニュース。「あれっ、被選挙権あるのかな」と思って読み進めると30歳というから“最年少”でもない。写真から真面目そうな人柄がうかがえる。なんとなくホッとした。


 一方で、44都道府県議選では無投票で当選した議員が416人もいた。定員が2544人だから2割近い。北海道は11選挙区19人、山形県では9選挙区14人、福島県は9選挙区12人、栃木県に到っては総定数の3分の1に当たる8選挙区17人が無投票だった。ためいきの出る数字ではないか。


 これはわれわれが望む民主主義ではない。たとえ立候補者が定員内であっても信任投票ぐらいはするべきではないかと思う。以前に高知県での衆院選で投票率が5割を切ったことがあったが、地方選挙ではもはや当たり前の世界となっている。地方に課題がないわけではあるまい。「誰がなっても同じ」では誰も投票にいかなくなる。


 魅力ある人材が列島から枯渇して久しいといわれるが、いつの時代だって人材はあまたあるわけではない。有為の青年は存在するのではなく、みんなで「探し」「育てる」のだという思いを強くしている。


 山口さんがんばれ!


 (紫竹庵人)


 若者の声届けたい 札幌市議 樽商大生・山口さん当選 【北海道新聞】

コメント (2) | トラックバック (0)

桜のうんちく (9) 南殿の桜




 吉野の花 左近の桜みな一重にてこそあれ(徒然草)


 4日から京都御所が一般公開された。「左近の桜」は南殿つまり紫宸殿の前庭の東側に植えてある桜のことである。西側には「右近の橘」がある。桓武天皇が平安京に遷都したときには左近には梅の木が植えてあった。やんごとなき樹木を左右に植えるのは中国の宮廷の影響だろうとされている。橘は柑橘系の木で中国から伝来し、果実が尊ばれ、冬でも落葉しない。桜は日本古来の木で花を愛でる。二つの樹木は対照的である。


 紫宸殿の庭には左右に左近衛府と右近衛府という近衛兵の府があったことから左近、右近とよぶようになった。紫宸殿に向うと桜は右にあるのに、なぜ左近なのか。この左、右は天皇の御座からみて左。右ということだ。左京区も右京区も同じような発想から命名された。ではどちらが位が高いのか。もちろん左である。外来の橘より日本の桜が上ということにもなる。


 「左近の梅」が「左近の桜」になったのはいつごろなのかというと、どうやら仁明天皇(833-850)の時代に梅の木が枯れて桜好きだった天皇が桜に植え替えさせたということらしい。仁明期以前の嵯峨天皇や淳和天皇の時代すでに桜会などと称して桜を愛でる催しはあったが、内裏に初めて桜を植えたのは仁明天皇だった。当時、文書はすべて漢文が使用され、和歌も万葉仮名が使われていたが、まもなくひらがなが生まれる。日本が唐風から脱皮して日本の古典文学が花開くにはまだ時間がかかるが、日本人自身が“日本”を意識し始める兆しが左近の桜の誕生となる、といったらいいすぎだろうか。


 以来、内裏は何度も消失したがその度に新たな桜が植えられてきた。天徳4年(940)、内裏が何度目かの消失に遭って再建された時、重明親王弐部卿の家の桜を植えたという記録があり、それは吉野の山桜だったとされている。現在も左近の桜は山桜である。平安時代、日本には接木という手法が知れ渡っていたようで、貴族が競って移し植えていたとされ、重明親王弐部卿の家の桜も元をたどれば左近の桜の接木だったかもしれない。今に到るも左近の桜がずっと同じクローンだったら面白い。(花咲爺)

コメント (0) | トラックバック (0)

桜のうんちく (8) 外山の霞


高砂の尾上の桜咲きにけり


        外山の霞たたずもあらなむ


 東京は桜が満開になってから天候不順である。きのうは黄砂とまがうほど空が低かった。今日も雨模様である。せっかく桜が咲いたのに「外山の霞たたずもあらなむ」という気持ちである。

 またまた百人一首から選んだ和歌の作者は大江匡房(おおえのまさふさ)。子どものころ百人一首にのめり込み8割がた覚えて近所のお兄さんたちに勝負を挑んだことがある。中学生や高校生に勝つのが楽しかった。意味も分からず覚えた和歌は相当程度今でも覚えている。最近は暗記をばかにする風情があるが、とんでもないことである。暗記こそが勉強だったと今頃になって思い返している。

 大江匡房は、後三条天皇と白河上皇の信任をえた平安時代有数の碩学。時に菅原道真と比較された。頼朝の家臣となって鎌倉幕府設立を支えた大江広元の曾祖父である。小学生のころはそんなことはどうでもよかったのだ。

 僕らの世代はこの時代の歴史をほとんど知らない。どうしてか最近分かった。古典つまり『平家物語』を読んでいないからである。先日は薩摩守忠度のことを書いたが、匡房はもう少し前の人物である。源氏方は八幡太郎義家が棟梁だった時代。奥州の清原氏が滅亡に追い込まれる「後三年の役」で金沢の柵で雁の列が乱れるのを見て伏兵を察知したのは匡房から孫子などを教えられていたからだという。孫子の兵を語る傍らこの季節には桜が気になって仕方ないのはやはり日本人ということだろうか。ちなみに全国の八幡様はこの義家を祀ってある。(平成の花咲爺)

コメント (0) | トラックバック (0)

2007年04月07日

UFOではありません

 きょう(7日)の主要ニュースに、「あれっ、夕日が3つ!?【北日本新聞】」と題する面白いニュースが掲載されました。写真をよく見ると、中央にある大きな夕日の左右に、小さな夕日のような光が2つ見えます。もちろん、合成写真などではありません。富山県で6日の日暮れどき、約1時間にわたって観測されました。


p.jpg

 太陽がいくつも見えるこうした現象は、気象用語で「幻日(げんじつ)」と呼ばれています。北日本新聞ウェブサイトでは、「上層の薄い雲をつくる氷の粒がプリズムの働きをして、太陽の光を屈折することで現れる。虹のような色の変化があり、太陽とほぼ同じ高さに現れるため、太陽が三つあるように見える」と説明されています。いわゆる「暈(かさ)」の一種のようですが、それにしても、なんとも神秘的な光景ですね。


 ちなみに、月の場合も同様の現象があり、「幻月」と呼ばれています。こちらも空中にある氷の粒の屈折で発生する光学的現象です。
(すね毛)

コメント (1) | トラックバック (0)

2007年04月06日

「清明」を表現する花は?

 きのう(5日)は二十四節気の「清明」でした。清明は二十四節気の一つで、毎年4月の4~5日ごろにめぐってきます。手元の百科事典では、「気候もすっかり温暖となり、桃やスモモの花が咲き、柳が緑にけむって,まさに清明(すがすがしい)と呼ぶにふさわしい」(平凡社世界大百科)と説明されています。


 ところが、5日の列島各地はかなり冷え込んだ地域が多かったようです。全国各地の新聞社は、「清明」をどのように表現したか見てみましょう。


%E6%B2%B3%E5%8C%97.jpg %E5%B1%B1%E5%BD%A2.jpg %E5%BE%B3%E5%B3%B6.jpg  %E9%B9%BF%E5%85%90%E5%B3%B6.jpg %E6%B2%96%E7%B8%84.jpg

 『河北新報』は「『清明』肌寒く 仙台の最低気温1.5度」と題して、仙台市農業園芸センターのパンジーの写真を掲載しています。パンジーの可憐な花は鮮やかですが、ちょっと寒そうです。


 『山形新聞』も「冷え込む朝、コブシ開花目前~二十四節気「清明」・山形」と厳しい寒さを、白いつぼみが膨らむコブシの写真で表現しています。


 四国の徳島も朝は放射冷却現象がみられたようで、氷点下の地域もちらほら。『徳島新聞』は「桜に負けじ桃の花満開 『清明』県内は冷え込む」のニュースを掲載し、優雅な桃の花の紹介しています。


 さらに南のほうへ目をやると、『南日本新聞』は「冷え込む朝 ツツジ満開 きょう『清明』/鹿児島市」というニュースとともに、鮮やかなツツジの満開写真をアップロードしています。


 『沖縄タイムス』も「クチナシ香る きょう清明入り」という記事に那覇に咲く白いクチナシを掲載しています。記事を読むと、沖縄では清明に「シーミー」の読み方が書かれていました。へえ~、ですね。


 季節の節目に各地の新聞社サイトを見てみると、日本のすがたがよく分かりますね。ちなみに、次の節気は「穀雨」です。
(すね毛)

コメント (0) | トラックバック (0)

2007年04月04日

猿害で2題

 きょう(5日)の〈ホッとニュース〉で、猿害に悩む地域の話題が2本掲載されました。


wanko.jpg

 ひとつは「猿追い犬いよいよデビューへ【日本海新聞】」で、兵庫県北部の香美町で6匹のワンちゃんが山での実践訓練をしている姿が紹介されています。記事によると、「猿追い犬」は兵庫県が研究の一環として導入したもので、どれくらいの成果を上げてくれるか、ワンちゃんたちの今後も活躍が大いに楽しみです。


kiji.jpg

 もうひとつは、「『桃太郎のお供』が勢ぞろい!?【秋田魁新報】」です。秋田県では猿害対策のため県北部の八峰町で「モンキードッグ事業」に取り組んでいますが、今月以降に予定されている“出陣式”のセレモニーで、キジを放つことが計画されています。県庁職員が、桃太郎にひっかけて企画したのでしょう。サルの被害たちは「キジの放鳥で予算を使う前に、犬の飼い主への支援を」と憤っているようです。ちょっぴりトホホな話ですね。


 

 いずれにせよ、両地域の事業が成功することをお祈りしています。がんばれ、犬たち!
(すね毛@愛犬家)

コメント (2) | トラックバック (0)

2007年04月03日

まるでSF映画の1シーン

 きょう(3日)の〈ホッとニュース〉に「月ではなく太陽です【福島民友新聞】」という記事が掲載されました。まるでSF映画のような幻想的な一枚です。


0403news6.jpg

 記事によると、黄砂が太陽の光を遮っているため、まるで月光のように見えたとのことです。この写真を見ていて、フランク・ハーバートのSF小説『砂の惑星』を思い出しました。たしか映画はデビッド・リンチが監督をしたと思いますが、きょうご紹介した一枚は映画と同じくらいの迫力で、思わず息を飲みました。


 黄砂はきょうも日本列島各地で、さまざまな姿を見せてくれています。新聞社の写真記者たちも、こういう時期は腕の見せどころですね。

(すね毛)

コメント (2) | トラックバック (0)

2007年04月02日

ジンバブエからやって来た野球選手

img_news.aspx.jpg

 僕たちは毎日「人間クロール」という仕事をしている。北海道新聞から琉球新報までサイトを最低、日に2往復している。コンピューターが自動的に記事を見つけて並べるのがグーグルニュースだとすれば、47ニュースはほとんど手作りといっていい。


 この人間クロールで少し前、ふだんはほとんど見ない四国アイランダーズの四国新聞のサイトの記事を読んでいたところ、シェパードという外国人選手が特大ホームランを打ったという記事を見つけた。このリーグは元プロ野球選手の石毛氏がつくったユニークな試みである。プロを目指す選手を育成するのが目的であるが、資金難から給料はきわめて安い。仕事をしながらリーグに参加している選手も少なくない。生活費を切り詰めて好きな野球を続けている選手がほとんどだ。


 そんなリーグになんで外国人が来るのだ。そもそもなんで外国人が四国の超マイナーなリーグを知っているのか。


 調べてみると、この外国人はシェパード・シバンダ選手というアフリカ南部、ジンバブエからやってきた21歳。ジンバブエではチームの主軸を務め、アフリカリーグで3位になっている。しかし、ジンバブエは元々、イギリスの植民地。クリケットは盛んだが、野球のレベルは世界には届かない。なんでそんなところに野球チームが生まれたのか。それは20年以上前に遡らなければならない。


 1992年、村井洋介とい青年が青年海外協力の初代野球隊員としてジンバブエに派遣され、小学生を中心に野球普及に努めた。村井青年は2年間の派遣期間後、帰国したが、再びジンバブエに。現地で仕事をしながら当地で野球の普及活動を続けた。


 関西学院大学野球部OBの伊藤益朗氏のブログによると「村井洋介さんは、社会人野球を引退後、野球指導のため青年海外協力隊員としてジンバブエに渡った人である。一握りの白人だけのナショナルチ-ムをコ-チすることに疑問をもち、単身旧黒人居留区の小学校をまわり、一から野球を紹介指導した開拓者だ。そして92年からの2年間で、20校余りの小学校に野球を紹介した。その後、後任の隊員が引き継いで、今では250校が野球を取り入れているそうだ。・・・野球人口を増やすとともに、ジンバブエ人の指導者や審判の養成、国産野球用具の開発、卒業後の受皿となるクラブチ-ムの整備などに力を入れたいということだ。」


 この村井氏の教え子の1人がシェパードということになれば、四国リーグにやってきた「おもろ外国人」ではすまされない。1人の日本人が20年前、ジンバブエに野球を持ち込み、野球を通じて日本とジンバブエとの交流が深まり、ひょっとしたら将来、日本のプロ野球で活躍するかもしれないのだ。


 せっかくの素材がありながらシェパードの物語が全国ニュースにならない。47ニュースではこんなニュースを取り上げられたらと思っている。時間があれば取材にも行きたいのだが、いまのところサイトづくりに精を出さねばならない。


 とにかくシェパード選手にはジンバブエのためにも頑張ってほしい。


 (4月2日 紫竹庵人)


 http://www.shikoku-np.co.jp/sports/iblj/article.aspx?id=20070228000081

コメント (4) | トラックバック (0)

「黄砂」記事もいろいろ

 47NEWSの面白さのひとつは、全国の新聞社の記事を横断的に読めることです。


 たとえば中国大陸からはるばる渡ってきた「黄砂」が、このところ列島各地で観察されていますが、「黄砂」という言葉で検索すると、黄砂にまつわる記事がたくだんピックアップされます。主だったものを以下に並べてみました。


  • 【名古屋タイムズ】 招からざる「春がすみ」
  • 【南日本新聞】 かすむ街並み 黄砂鹿県内に連日
  • 【中国新聞】 大量の黄砂飛来視界は最悪 広島市中心部
  • 【京都新聞】 春の京、黄砂にかすむ視界わずか4キロに
  • 【大分合同新聞】3キロ先が「見えん」黄砂を観測
  • 【高知新聞】 ぼんやり「黄砂」 高知市で5月中旬の陽気



     黄砂の記事は、ほかにもたくさんありますが、同じ黄砂のニュースでも、地域によって受け止められ方が微妙に違いますね。
    (すね毛)

    コメント (0) | トラックバック (0)