47NEWS > 地域ニュース > デスク日記 > そうだったのか

2008年02月20日

知事って何 都道府県制を考える 【そうだったのか】

ニフティクリップに登録   このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマークに登録

 日常だれもが口にしている「知事」。自治体の長であるが、なんで「知る事」が長なんだろうとずっと考えてきた。

 日本で「知事」が官職名となったのは、廃藩置県以降だろうと多くが信じているだろう。実は明治維新の日本がまだ慶応の年号を使っていた時期に遡る。

 大政奉還の後、戊辰の役の最中、西郷隆盛率いる倒幕軍が江戸城の無血開城に成功した。徳川慶喜は駿府に引きこもることとなり、780万石あった徳川領のうち駿府の70万石を残して、“新政府”側に引き渡された。カッコ付で新政府といったのは、1868年4月1日時点でまだ行政体としての政府をもたなかった。

 閏4月21日に出された政体書で初めて、国家権力を総括する中央政府として太政官を置き、2名の輔相をその首班とした。同時に召し上げた徳川領に「府県制」を敷いた。奉行が支配していた地域「府」に、その他を「県」とし、その長として「知府事」「知県事」を置き、支配することにした。ほとんどの大名の統治はそのまま生き残り、知事は旧徳川領に限定された。

 江戸が東京となったのは同年9月のことであるから、江戸は江戸府と呼ばれ、その長は江戸府知事と呼ばれた。長に地名を付ける時、「江戸府知府事」というのも変だったから、「江戸府知事」となったとされる。

「江戸府」とか「江戸府知事」は4月から9月までの短命だった。9月には「東京府」「東京府知事」に変更された。

 知事の第二弾は1869年(明治2年)の「版籍奉還」だった。藩主が「知藩事」となった。ちなみに「藩」という概念は江戸時代にはなかったとされる。新政府が旧幕府領と区別するため、「藩」と呼んだのが真相のようだ。

 版籍奉還はさらに1871年(明治4年)7月に「廃藩置県」へと発展し、「府」「県」「藩」は「府県」に統一され、知藩事は「知県事」「知事」と呼び改められた。全国は1使(開拓使)3府(東京府、京都府、大阪府)302県となった。

 300余藩が府と県に再編されたが、あまりにも数が多いのと、境界が入り組んでいる上、飛び地が数多くあったため、同年11月には府県の統合が行われ、県の長は「県令」に改められた。地方の行政区は1使3府72県まで減らされた。

 ちなみに県令は1886年(明治19年)に「知事」に戻され、現在に至る。それから東京が「府」から「都」になったのは昭和18年のこと。東京府と東京市が合体したものである。

(47NEWS編集 伴 武澄)

| トラックバック (0)

2007年10月05日

ダイダラボッチと世田谷代田 【そうだったのか】

ニフティクリップに登録   このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマークに登録

 職場で「ダイタラボッチ」を話題にしていたら、横の編集スタッフが「世田谷代田」の「代田」の由来がくだんのダイダラボッチだと言い出した。
「うそだと思ったら、サイトを見てごらん」という。
 まさかと思ったら、どうやらそういう言い伝えがあるらしいのだ。

20070912_waraji.jpg そもそもダイダラボッチといっても知らない人も少なくないと思う。関西ではダンダラボッチともいう。三重県志摩市の大王崎では毎年9月、巨大なわらじをつくって海に流す神事がある。毎年、一つ目の巨人が村に現れ、村娘を求めるなど狼藉を働き、人々を困らせた。村の知恵者が大きなわらじをつくって「村にはおまえより大きな巨人がいると思わせよう」と発案した。ダイダラボッチは以降、大王崎には現れなくなったそうだ。

 関東に伝わる話では、富士山はダイダラボッチが甲斐の土を掘ってつくったとか、赤城山の湖は、ダイダラボッチが腰掛けた跡だとかいわれているのだ。巨人神話の発祥は出雲だという説もある。

 ではダイダラボッチはいったいなんだったのだろうか。片目、片足の巨人で、踏鞴(たたら)を操り風を起こすという特徴から、タタラ鉄との関連を推測する説もあるようだが、三重県に在住していたとき、筆者は台風なのではないかと考えた。片目、片足という点ではバッチリでしょう。村人に被害を与えるとか、わらじを9月に海に流すことでも悪くない発想だと思っている。

 怖いものの順に「地震雷火事親父」という格言があるが、親父は間違いで本当は「山嵐」(やまじ)がいつの間にかなまったそうだ。山嵐とは台風のことである。

 この格言がいつ生まれたのか知らないが、神代の簡素な生活では台風が一番怖かったはずである。

 「代田」はダイダラボッチの足跡なのだそうだ。


 【写真】男衆らが大わらじを担ぎ、須場の浜に運んだ=志摩市大王町で=伊勢新聞
 巨大わらじ担ぎ、海へ 志摩の波切神社で奇祭

| トラックバック (0)

2007年08月08日

セカンドライフでやってみたいこと 【そうだったのか】

ニフティクリップに登録   このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマークに登録

 インターネットの仮想世界「セカンドライフ」が話題を集めている。セカンドライフとは、米リンデンラボ(Linden Lab)社が運営するサービスで、すでに世界で800万人以上が“住民”になっていると言われる。1ヶ月ほど前にわたしも登録をしてみたが、なんとも不思議な感覚にとらわれた。仮想世界なのだから、なんでも好きなようにできると思っていたのに、あに図らんや、これっぽっちも思い通りにいかないのである。

 セカンドライフについての詳しい説明は、その道のプロにお任せしたい。わたしが知っている情報は、①仮想空間で通用する通貨があって、その通貨が現実世界の通貨と交換できる、②運営会社が提供しているのは“場”だけであって、参加する個人や企業が自由に建物を建て、動き回り、交流する――くらいだ。

 最初、セカンドライフの話を聞いたとき、ある野望がわたしのなかに芽生えた。幼いころからやりたいと思っていたことが、仮想空間でなら実現するかも知れない。わたしの野望とは、大阪ミナミのような場所で天津甘栗の屋台を出して、「儲かりまっか?」と声かけられて、「さっぱ、あきまへんわ」と苦笑いをしながら額の汗をぬぐって、欠けた前歯を笑って見せることだ。

 そのようなことを知人に話すと、怪訝な顔をされた。その知人もセカンドライフ歴はわたしと同じ程度なのだが、すでに「セグウェイ」というじつに不安定な乗り物を自在にあやつったり、空を飛んだり、いろんな街にでかけたり・・・と、なんとも楽しそうに、というか自慢げにマウスをクリクリ操作して見せつけてくれるのである。わたしは毅然とした態度で彼に議論を挑んだ。

「あなたのセカンドライフ・ライフはわかりました。ですが、どうすればわたしは天津甘栗の屋台を持てるのでしょうか」
「あのねえ、そういうのはセカンドライフにはねぇんだよ」
「なら、せめて、はち巻き代わりにするタオルぐいくらいはどこかで入手できるのではないですか」
「だからさぁ・・・」
「わたしとしては、前歯を欠けさせた状態で、できるかぎり臭いタバコの煙を吐き出してみたり、『えぃらっしゃい!えぃらっしゃい!』というダミ声を張り上げてみたいとおもうのですが、できますか」
「・・・さいなら(怒)」

 かくして、わたしのセカンドライフ体験は、出だし早々つまずいたまま、初心者用の小さな“街”で迷子状態であることに加えて、人間関係にも影響をきたしているようなのだ。
(ソリティアン)

▽セカンドライフ公式サイト http://jp.secondlife.com/

コメント (1) | トラックバック (0)

2007年06月29日

キャラハン警部という“迷訳” 【そうだったのか】

ニフティクリップに登録   このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマークに登録

51tnAh9GUXL._AA240_.jpg

 同期入社の丸山徹兄が最近、『入門・アメリカの司法制度』(現代人分社)を上梓した。著者本人は上智大学英語学科卒であるから法律が専門ではない。90年代後半にニューヨーク支局に在勤してアメリカの司法制度にのめりこんだ結果、生まれた著書である。

 先日、職場に電話がかかってきて、恥ずかしげに新著を差し出した。10年かかって仕上げたという。大手出版は相手にしてくれなかったというが、なかなか面白かった。僕自身、アメリカで取材中、保安官に拳銃をつきつけられた経験があり、「おー、アメリカにはまだシェリフがいたんだ」と驚かされた経験がある。日本にも戦争になるまで陪審員制度があって、国民に周知徹底するために大変な努力をしたという話も読んだことがある。

 日本の司法制度は独仏の大陸の体系を導入したものに戦後、アメリカの制度を接木したと習ったが、戦前に陪審員制度があったという事実を知ったときは、「なーんだ日本にもあったんあだ」という感慨にふけった。自分が知らないだけでなく、多分多くの日本人も知らないだろうことがこの本には書いてある。大学に4年間通っても知らないことばかりである。

「警察官と保安官」という章では、アメリカの警察官の階級について説明がある。階級名は一番下からPolice officer、Inspector(巡査)、Detective(巡査部長)、Sergeant(警部補)、Lieutenant(警部)、Captain(警視)。上のいくほど"軍体調"になるのはなぜだろうか。たぶんその昔は軍も警察も区別がなかったからだろうと勝手に勘ぐっている。

 『入門・アメリカの司法制度』で面白かった一部を抜粋して紹介したい。

 クリント・イーストウッド主演の「ダーティー・ハリー2」の主人公ハリー・キャラハンの階級はインスペクター。巡査、つまりヒラの刑事である。上司の指示に従わず、現場でたびたび暴走することから巡査のまま出世を絶たれているが、超人的な力で難事件を単独で解決してしまう。ハリーは上司とことごとく対立するが、この上司の階級はルーテナントという設定。ところが日本語字幕ではキャラハンが警部、上司が「主任」となっていて、上下関係が逆転している。そもそも警察に主任という階級はない。何とも苦し紛れの「迷訳」だ。警部が殺人事件の捜査で、張り込みや被疑者の尾行をすることは、ありえないという常識があれば、こんな珍妙な翻訳は生まれないはずだ。(紫竹庵人)

コメント (4) | トラックバック (0)

2007年06月26日

早矢仕ライス 【そうだったのか】

ニフティクリップに登録   このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマークに登録

 47ニュースが始まったころ、今よりずっと多くの地方紙のサイトを読んでいた。今はハードコピーしかないが、中日新聞の岐阜欄で「早矢仕ライス」という見出しの記事があった。。


 「早矢仕ライス」を「ハヤシライス」と読める人は相当な博学グルメだ。47編集スタッフで読めた人はいなかった。「早矢仕ライス」の「早矢仕」は実は苗字。岐阜県の旧美山町(現山県市)出身で日本橋、丸善の創業者となった早矢仕有的(はやし・ゆうてき=1837-1901)という人物だった。


 早矢仕氏は福沢諭吉の門下生で、開国したばかりの明治国に洋学を導入することに努める一方で、友人に肉と野菜のごった煮をごはんに添えた“洋風料理”としてふるまった。ハヤシライスは丸善の食堂から生まれたというのだ。


 新聞記事は、1月22日、郷土の先人にあやかって山県市の学校給食でハヤシライスが出されたという単純な話であるが、早矢仕をハヤシと読めない俗人にとっては「おー、そういうことだったのか」という感動があった。(紫竹庵人)

コメント (2) | トラックバック (0)

2007年05月30日

人口集中と人口流出 【そうだったのか】

ニフティクリップに登録   このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマークに登録

 厚生労働省がきのう(29日)公表した「都道府県別将来推計人口」によると、とんでもない数の人が東京など一部の地域に集中するとされています。「一極集中」の問題は、東京あるいはナショナルな視点です。東京発のニュースだけを見ていても、この問題の全貌がなかなか見えてきません。

 47NEWSに参加する地方紙のウェブサイトに掲載されたニュースを見ていくと、東京などへの人口集中というよりも、むしろ各地の人口流出という深刻な問題としてとらえられています。こうしたローカル発のニュースを総合的に読み解くことで、私たちの社会のリアルな姿に迫ることができます。

 ぜひ、参加新聞社が報じる人口問題記事(古い記事も含みます)を読んでください。(すね毛)


北海道内人口441万人 2035年推計 出生率1.14、高齢化率37%【北海道新聞】


人口推計 東北、急激な減少 高齢化率も平均上回る【河北新報(会員登録】


06年青森県人口推移/ほぼ全年齢で転出超過【デーリー東北】


岩手県人口、減少加速へ 少子高齢化深刻に【岩手日報】


2035年推計 長野県は19・4%減177万人【信濃毎日新聞】


2035年、新潟県人口187万人に【新潟日報】


2035年広がる人口格差 東京一極集中、兵庫80万人減【神戸新聞】


鳥取県は50万人割れ 2035年の人口推計【日本海新聞】


年度内80万人割れも 徳島内の人口、4月1日現在80万421人【徳島新聞】


和歌山県人口 11年連続で減少【紀伊民報】


06年鹿県人口 175万人割れ【南日本新聞】


26年連続で子どもが減少 人口比率では沖縄が高率、東京が低率 【共同通信】


増加率トップは愛知 【共同通信】


| トラックバック (0)

2007年05月29日

理想の息子像 【そうだったのか】

ニフティクリップに登録   このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマークに登録

 ハンカチ王子こと斎藤佑樹投手を取り上げたあるテレビ番組で、ファンの主婦が「理想の息子像ですね」とコメントしているのを見た。この若いママさんは、雑誌か何かの中で斎藤投手と母親の言葉のやり取りに接し、息子が見せた心遣いに感銘したのだという。


 なぞの一つが解けたような気がした。これまで甲子園のアイドルを追うさまざまな生態を見てきた。しかし、今回ばかりはちょっと様子が違っていたからだ。


 2月下旬の2日間、ハンカチ王子の素顔に触れたくなって、東京郊外にある早大グラウンドを訪れた。いずれも寒の戻りで寒い日だった。その中に10人あまりの女性の姿があった。どういうわけか王子と同年代の子はおらず、40代から50代と思われる人ばかりだ。


 江川卓投手(作新学院―法大)たちが活躍していた1970年代にアマ野球を取材した身には、違和感があった。当時、甲子園や神宮球場の周辺にはいつもギャルのにぎわいがあった。神宮では選手の母親たちのグループに接することはあったが、練習グラウンドで主婦を見かけた記憶はない。


 その深層心理は分からない。秀でた才能にさわやかイメージ。他人の子ではあってもその勇姿と将来性が母性愛を刺激するのだろうか。王子へのあこがれとは違うだろう。


 もっとも、どんな見方をされていようが、当の斎藤投手には余計なお世話。若い学生ファンも快投を楽しみにしているのは、神宮スタンドのにぎわいを見ていれば分かるからだ。(四季)


コメント (2) | トラックバック (0)