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2009年02月20日

中国には3度目の「日本に学べ」ブームが必要? 【なぜだ】

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 最近、「人民日報ヘッドライン」をメルマガで購読している、1月16日の「中国には3度目の「日本に学べ」ブームが必要」という長文のコラムには腰が抜けんばかりに驚いた。中国共産党の機関紙にこんなことが掲載されるのは何十年ぶりかもしれない。中国がこのところの経済成長にうつつを抜かし、日本などなんともないと考えているのだろうと思ったら、そうでもないようだ。

 言論統制の国だから、このコラムがいつ何時なくならないとも限らない。以下にコピーをさせてもらおうと思う。
 http://j.people.com.cn/94475/6575806.html

 ■学習上手は自信の表れ

 中国の30年間の改革開放が巨大な成果を得られたのは、外国の経験を謙虚に学んだことと密接な関係がある。だが金融危機によって私たちは、欧米の発展理念や制度のいくつかが、中国のニーズには決して適さないことを目の当たりにした。もし中国が将来の発展において、より選択的に外国から学ぶ必要があるとすれば、主たる目標は依然として日本であるはずだ。私たちには3度目の「日本に学べ」ブームが必要だ。(文:庚欣・日本JCC新日本研究所副所長)

 中国人は過去2回、日本に学んだ経験がある。最初は100年前、甲午戦争(日清戦争)に失敗した後だ。中国人は恥じ入って果敢に敵を師と仰ぎ、その後、日本語の「外来」新概念が四書五経の言葉を圧倒した。辛亥革命、五四運動、国共両党を主導した先駆者の大部分は、これら新概念の実践者だった。次は30年前だ。鄧小平氏が日本を訪問して、オートメーションを体験し、新幹線に乗車して高速を体感したことで、「日本に学べ」ブームが国内に沸き起こり、日本の技術は「現代化」の別名とすらなった。

 だが、これら 2度の学習には、遺憾な点もあった。最初の学習では、多くの人が日本は「小西洋」で、「西洋の学問の東漸」の「道具」にしか過ぎぬと見なした。2回目の学習では、多くの人が日本は「経済の巨人」で、「技術と管理」の「育成訓練班」にしか過ぎぬとみなした。「道具論」と「技術論」は、あたかも2枚の葉が目を遮るように、私たちの日本社会全体、特に人と文化の面への関心に影を落とした。

 日本は後発の東洋の島国で、20世紀初頭に30年で「列強」の列に加わった。第2次世界大戦で失敗した後も、わずか20年余りで欧州諸国を抜き、世界第 2の経済大国に上り詰めた。一方私たちは、日本より優れた「ハードウェア」を持ち、30年間の高度成長を経たが、日本などの先進国との間になお相当大きな開きがある。この点だけでも、謙虚に学ぶ必要がある。過去 2回の日本学習は情勢に迫られてのものだったが、今日も依然としてそのままだ。世界の大変動、欧米モデルのボトルネック、私たち自身の発展上の困難、そのいずれもが、さらに高く、さらに全面的な視野で再び日本に学ぶことを、私たちに迫っている。中国には現在、真剣に経験を総括することが求められている。そしてそれにも増して、日本との開きを探り当て、追い越すことが求められている。結局のところ、学習上手は自信の表れでもあるのだ。

 ■中国は日本から何を最も学ぶべきか

 中国が日本に学ぶにあたり、基本となる2つの点がある。第1は最大の共通点、第2は最大の相違点だ。中日の国情の最大の共通点は人の多さだ。そして最大の相違点は「人」の作用が異なることだ。中国において「人」は負担であり、困ったものであり、社会の財産を分割する「分母」であると見なされることが多い。一方日本において「人」は、日本の最大の財産であり、長所であり、資源を創造し、あらゆるものを創造する「分子」であると見なされることが多い。分母を分子に変えられるか否かの鍵は教育にある。

 中国の3度目の日本学習の要諦は「人の教育」に概括される。日本の本来の条件は中国より劣っている。日本の底力は一流の、組織された人材にあるのだ。近代の日本の台頭を「片手に銃、片手にペン」と形容した人がいる。だが過去半世紀余り、日本人自身はより後者を重視し、教育立国を発展の柱と見なしてきた。 100年前、日本の田中不二磨・枢密顧問官は訪日した中国の実業家・張謇に「国の強さは兵ではなく教育にある」と語った。中曽根康弘元首相は「日本が世界 2位の経済大国になれたのは、教育の普及と発展の賜物だ」と総括した。

 日本の教育の最も重要な特徴は、「普及」を重視し、「向上」に長けることだ。日本は明治維新以来一貫して、全国民への教育の普及を国策としてきた。1億 3000万人の日本人は、高い入学率、終身教育、資質教育から深い恩恵を被っている。08年には、教育のバックグラウンドを日本に持つ4人の研究者がノーベル賞を受賞し、再び世界の人々が日本の教育に注目した。このうち物理学賞を受賞した益川敏英教授は英語が堪能でなく、パスポートすら持っておらず、日本国内で教育を受けた人々の代表と見なされている。受賞を知った益川教授の第一声「大して嬉しくない」は直ちに流行語となった。だが、尊敬する先輩である南部教授との共同受賞であると知らされると、益川教授は感極まって涙ぐみ、「ずっと南部先生を仰ぎ見てきた。その先生とご一緒に受賞できるなんて、本当に感激です」と語った。自分の名利は全く気にかけないが、尊敬する師のことになると感極まって涙ぐむ、教育学の視点から見ると、このような心がけはノーベル賞の受賞よりも尊いものだろう。この大学者は、反戦運動の活動家でもある。このような人物は日本では決して珍しくないのだ。益川教授の後に、再び私たち中国の現在の教育におけるいくつかの悪弊に目を向けると、「点数第一」ではなく「名利追求」あるいは「学びて優なれば則ち仕う」であり、大学さえもが行政上の等級を賜っている。このような教育理念・制度・基準・内容の下では、中国というこの人口大国は、いったいいつになったら、上に優れた大家、下に合格水準の労働力を擁する人材大国になることができるのか。

 ■教育の発展なくして人材の輩出なし

 将来の世界で鍵となるのは人材競争であり、これは教育競争と言い換えてもいい。今日日本は省エネや環境保護などの新興分野でいずれも強い競争力を備えているが、世界の人々が最も注目しているのは、やはり日本の教育の成果だ。中日間の最大の開きはここにある。

 改革10年記念の際、鄧小平氏は「改革10年の最大の失策は教育にある」と述べた。今日中国では、教育の改革と発展が、あらゆる分野の中で最も難しくなっている。大学入試の再開から08年で30年になるが、これは文革前の17年の体制を復活しただけだ。中国全体が「17年体制」を乗り越え、世界と軌道を合わせている時に、教育は何をじたばたしているのか。日本ではどんな功労も教育の記録に書き加えられる。日本では何か悪弊が生じると、教育もその責を逃れられない。小泉氏が靖国神社を参拝した際は、日本国内の多くの人が教育に問題があると非難した。中国には今日失敗があり、教育も当然それを免れ得ない。日本は戦後の廃墟の中から立ち上がり、30年後には世界一流の企業を多く擁し、自主開発した大量の先端技術によって世界をリードするまでに発展した。日本は長期間にわたった「平成不況」の際も、教育や科学技術をおろそかにしなかったばかりか、勢いに乗じてGDPからHDI(人間開発指数)への発展モデルの転換を実現し、今日もなお世界の先頭を歩んでいる。

 人類の発展は子どもの成長と同じで、表面的な実力の重視から総合的な実力の重視へ、資源やGDPの重視から人材や人の自由な成長の重視へと移っていく。今後の競争における鍵は人材だ。人口大国である中国は、最大で、最も貴重な人的資源を、決してないがしろにすべきでない。教育の発展がなければ、人材を輩出できず、人口を人材に転換できない。中国はたとえさらに20%成長したとしても、資源、環境、労働力に懸命であらねばならない。米国が借り越しているのは金だが、中国が借り越しているのは資源、環境、労働力なのだ。新発展観は「教育、健康、立派な生活」を基本要素としているが、これは中国にとってなおさらに深い意義を持つ。今回の金融危機によって、再びすべての国々が危険と機会の二重の挑戦を前にしているが、中国はどこへ向かうべきなのか。中国の教育はどこへ向かうべきなのか。日本を見れば、必ずその啓示を得られるだろう。(編集NA)

 「人民網日本語版」2009年1月16日から転載

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2008年12月24日

価格破壊に曝されなかった自動車とメディア 【なぜだ】

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 アメリカのビッグスリーの経営は末期的症状である。今年の売り上げが前年比3割減、4割減では経営が成り立たないのも当然である。昨年来、債務超過となっているゼネラルモーターズが依然として上場し続けられるのが不可解である。

 日本の自動車メーカーも対岸の火ではなくなった。トヨタ、ホンダでさえ、通年赤字経営となる見通しを発表した。この先、どこまで赤字が膨らむのかさえ見えなくなった。販売台数減と円高が経営を挟撃している。特に円高が1ドル=80円台が定着するとほとんどの輸出企業が先の見えない経営環境に突入するはずだ。

 自動車に次いで危ないのがメディア業界である。大手新聞でも赤字に陥るとされ、、一部の全国紙では身売り説もうわさされている。なぜ自動車と新聞なのか。職場で議論になった。双方とも90年代の「価格破壊」にさらされなかった業界だという結論に達した。

「なるほど」。そういうことかもしれない。環境問題と燃料費の高騰が日本の自動車業界を後押しした。円高でも輸入ディーラーが差益還元を十分しなかったことも幸いした。新聞業界は独禁法の手厚い保護に守られながら、日本語という"障壁"で外資と直接競合することがなかった。しかも電通、博報堂という広告業界の寡占が世界的にも高水準の広告費収入を維持してきた。

 トヨタは2007年、生産台数でGMを抜いて世界のトップに躍り出たが、この10年間で生産を2倍に増やしている。80年代の日米自動車貿易摩擦の反省から、各メーカーとも国外での生産に力を入れてきた。海外生産の強化によって、結果的に円高にも強い企業体質になったが、この10年の日本車の売れ行き増で輸出にも拍車がかかり、為替変動に極めて弱い体質に戻っていたのだ。

 国内での自動車離れはきのう、今日に始まったわけではない。その昔、若者が就職してまっさきに買うのがマイカーだった。しかし、初任給は据え置かれ、年功序列賃金が廃止される中で、自動車価格はどんどん上がってしまった。むやみな排気量アップや装備品の高級化が原因である。金利は低いとはいえ、自動車ローンへの恩恵はあまりない。自動車離れが進むのも当然である。

 なぜ、自動車は価格破壊を免れたか。理由は単純である。90年代に進んだ円高にもかかわらず、輸入車ディーラーは輸入車価格を高い水準に据え置いたから、国内メーカーは価格面での競争にさらされなかった。トヨタのカローラとフォルクスワーゲンのゴルフは古くから世界市場でシェアを争ってきたが、日本でのゴルフはカローラの2倍近い価格で売られている。オーナーとなれば、部品や車検価格に「輸入車」というハードルもある。

 輸入車は高いというバカバカしい常識が今もって日本では通用しているから不思議でならない。多くの業界では輸入品との価格競争で、「価格破壊」を余儀なくされたのに、自動車業界だけはその競争にさらされなかった。短期的には幸運だったかもしれないが、ここへきて円高の「免疫力」のなさが業界に大きな試練となって跳ね返ってきているのだ。(続く=元編集長・伴 武澄)

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2008年12月16日

Gente Miuda卒業式で聞いた悲しい話 【なぜだ】

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P1030852.JPG 14日は群馬県大泉町にある日系ブラジル人学校「Gente Miuda」(ジェンチミューダ)の卒業式に招かれて出席した。財団法人国際平和協会が毎年秋に「東京遠足」をプレゼントしているご縁だ。全校170人余の同校の卒業生は二十数人。幼稚園から中学まで年齢層はさまざまだが、日本と違って親子がフォーマルに着飾って晴れやかな式典だった。

 一方で、悲しい話もたくさん聞いた。大泉町は三洋電機と富士重工の工場があり、その下請け企業群も多く、早くから日系ブラジル人雇用に熱心だった地であるが、100人単位での解雇情報が日系人社会を揺さぶっている。「Gente Miuda」の場合、来年の始業式に来ないことが決まっている児童・生徒が40人にも及ぶという。みんなブラジルに帰国する。

 日系ブラジル人雇用は法律の整備もあり、90年代初頭から急増した。日本に先祖があることが分かれば誰でも日本で働くことができたが、最近では「二世ならいいが、三世はダメ」というように就労ビザの発給も厳しさを増しているから、いったん帰国すると二度と日本で働けない人もいる。そういう事情を知ってか知らずか、日本で暮らしていけなくなったブラジル人の帰国ラッシュが始まっているのだ。

 華やかな式典の片隅でGente Miudaの先生の一人が寂しそうにつぶやいた。
「ここに出席している子どもたちはいい方なのです。衣装代や式典の負担金を支払えない子どももいるのですよ」
「浜松では日系ブラジル人のホームレスが現れて、キリスト教関係者が炊き出しをしているというニュースを知っていますか。私が住んでいる伊勢崎市にもいるんです」

 楽天的なブラジル人たちはあまり貯金をしない。車を買って住宅を購入した人もたくさんいる。このまま日本で定住を決意した人たちも少なくない。しかし、就労の実体は「派遣」のまま。これまでは派遣であっても一生懸命働けば、普通の日本人並みの生活を楽しむことができたが、アメリカ発の経済危機が急速に日本経済に襲いかかっていて、真っ先に仕事を失うことになっているのだ。

 解雇されて、ブラジルへ帰国するチケットを買える人ばかりでない。解雇されて家を失い、帰国できない人たちが駅前での生活を余儀なくされている。親子連れのホームレスが出現したという情報もある。

 一番悲しかったのはある小学生の話である。家庭での会話から、親が金に困っていることを知って、放課後に自動販売機をまわり、忘れた釣り銭を集めていた。5000円ほど貯まったところを父親に知られて、生活費のために親に貸しているのだそうだ。(元編集長 伴 武澄)

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2008年09月19日

事実上、首相と農相が不在の日本の内閣 【なぜだ】

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PN2008091901000344.-.-.CI0003.jpg 太田誠一農相が9月19日、辞任した。後任はなく、町村官房長官が兼任する。残す“任期”が後5日となっているから、「兼任」なのだろうが、汚染米への不安が拡大する中、たとえ自民党の総裁選で新内閣に変わるからといって最高責任者の農相が“不在”のままでいいのだろうか。

 それにしても安倍内閣以来、太田氏は5人目の農相。松岡農相は事務所の光熱費問題などから自殺、あとを継いだ赤城徳彦氏は父親の自宅を事務所として届出したことが問題となり2カ月で辞任に追い込まれた。昨年8月の改造内閣で就任した遠藤も金銭問題によりたった8日間で辞任した。その後、若林正俊氏が就任して、今年8月まで農相を務め、太田氏に引き継いだ。

 太田氏は汚染米問題で引責辞任したかたちとなったが、事務所費疑惑が浮上する一方で、農相就任直後に出演したテレビ番組で「消費者としての国民がやかましくいろいろと言うから、応えざるを得ない」と発言するなど物議をかもし出していた。

 そもそも5年前の早大生による集団レイプ事件について「まだ元気があるからいい。正常に近いじゃないか」と突拍子もない発言をしていた御仁だ。そんな人物が農相に就任されていたのだから、とんでもない話なのだ。

 過去2年間で農相5人のうち、4人までが不祥事で職を辞したこと自体問題なのだが、ニューヨーク発の金融危機が世界を駆け巡り、国内では食の安全への不安が連鎖的に拡大している時期に、首相が職務を“放棄”したまま、農相も“兼任”ってのはどうなのか。いま、この国で責任を取る人物が不在なのである。(いがぐり頭)

 この2年間の農相
42代 2006年9月26日 松岡利勝(安倍内閣)=自殺
 ―  2007年5月28日 若林正俊(臨時代理)
43代 2007年6月01日 赤城徳彦=辞任
44代 2007年8月01日 若林正俊
45代 2007年8月27日 遠藤武彦(安倍改造内閣)=辞任
 ―  2007年9月03日 甘利明(臨時代理)
46代 2007年9月04日 若林正俊
47代 2007年9月26日 若林正俊(福田内閣)
48代 2008年8月02日 太田誠一(福田改造内閣) =辞任
49代 2008年9月19日 町村信孝(官房長官兼任)

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2007年12月20日

白熱電球廃止策に思う 【なぜだ】

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 白熱電球が数年後には日本から消えるかもしれない。共同通信社が18日、独自ニュースとして配信した記事によると「電力消費が大きくエネルギー利用効率が悪いことから、国内での製造・販売を数年以内に中止する方針を打ち出す見通しとなった」。

 エジソンが白熱電球を発明したのが、1879年だから、それから130年である。すでにオーストラリアが廃止の方向性をうちだしている。家庭の電力消費からみれば、電球が最大の消費源であろう。60W、100Wなど個々の消費電力は大きくはないが、数が多い。季節によるが半分近くになる時期もあるはずだ。

 白熱電球の製造・販売中止は環境問題に端を発する。蛍光灯という代替製品もあるから日常生活には困らないだろうが、政府が「禁止」という姿勢にはおもしろくないものがある。消費者が自ら選択をするのは自由だし、メーカーが製造を中止するのもけっこうだ。

 政府がもっと関心を持つべきは、「禁止」条項を増やすことではなく、太陽光発電や風力発電など石油代替エネルギー普及を励ますような政策に前向きに取り組むことではないかと思う。デンマークは1980年代から国を挙げて風力発電を奨励、いまでは消費電力の10%以上を風力で賄うほどになっている。ドイツも自然エネルギーの高価買い取りを電力会社に義務付けて久しい。結果、世界最大の太陽光発電設置国にのし上がった。日本で実用化した太陽電池がいまやドイツを象徴する環境政策のひとつとなっているのである。

 経産省は、戦後日本の産業を支えてきた中枢だった。90年代から業界育成から消費者保護に軸足を移したはずだった。白熱電球の禁止もよいが、同時に電力源についても自然エネルギー重視策を打ち出してほしかった。(紫竹庵人)

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2007年11月28日

偽装のリアリティー 【なぜだ】

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 マクドナルドまで期限切れのサラダなどを売っていた。昨日のニュースである。

 マックはつくり置きで調理後、5分以上経つとそのマックは捨てられる。かつてそう聞いたことがある。もったいなと思ったが、「つくりたて」を食べさせるのがマックの戦略だった。そんなマック店が一連の食品偽装に手を染めるとは思ってもみなかった。

 明日、11月29日は「肉の日」なのだそうだ。「いいにく」の語呂合わせである。吉兆にとってどこの牛肉であっても、「三田」「但馬」で通っていたのだから、何をかいわんやである。

 しかし一方で、なぜ食品偽装がこうも連発するのか消費者としても考え直さなければならない。われわれは必要以上の「品質」をつくり手に求めてはいないか。そんな消費者の嗜好に迎合するかのように、つくり手は品質や産地について過剰なまでのこだわりをみせる。そんな図式は考えられないだろうか。

 その結果、たった1日ぐらいの消費期限のごまかしで社会的鉄槌を受けてしまうのだ。

 松阪牛がうまいと、誰が言い出したのだろうか。うまい肉が松阪育ちで、口伝てに牛肉といえば「松阪」の名が有名になったはずである。最初に松阪牛の名があったのではない。今は誰もうまいと言っていなのに「阿波牛」だとか「高知牛」という“産地ブランド”が勝手につけられている。

 子どものころ、コメに名はなかった。戦後が終わっているのに、農水省は食管法を維持していた。米穀通帳がまだ存在していた。米屋に行って「おコメ5升ください」といえば、夕方には家にコメが届いていた。

 そんな時代でも「うまいコメ」はあった。階下に住む結城さんは山形県出身で、いつも山形からコメが届いていた。結城さんのところで食べるご飯は米粒がきらきら光っていて飛びぬけておいしかった。農林何号だとかのコメの品種は学校で習っていたが、ササニシキとかコシヒカリの名はまだなかった。1960年代に自主流通米という制度がつくられて、コメに名がつくようになったのである。

 10年以上前、ファン・ウォルフレンという人が『偽りのリアリティー』という本を書いて評判を呼んだ。ファン・ウォルフレンは、日本社会が偽りだらけであるにもかかわらず、日本人たちは我関せずとばかりにやり過ごし、その偽りを疑わないことに警告を鳴らした。

 筆者はその時分、「コメブレンド事件」というコラムを書いたことがある。それから10年、消費者は自国内でおきていることに眼をつぶって「輸入農産品は危ない」という国家的宣伝に乗せられている。偽装列島はますます偽りの迷路に入り込んでいる。(紫竹庵人)

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2007年07月30日

“勝利宣言”なき民主の参院選大勝 【なぜだ】

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 29日の投開票日の参院選で民主党が自民党を圧倒し、参院第一党に躍り出た。すわ、政局かと思わせる展開に本来なら心躍るのが記者の本性なのだが、どうもおかしい。変化への期待感が一向に沸いて来ない。

 なぜなのか、昨夜来考えている。民主党候補の当確が次々と出る中で、自民党本部は沈みきったままだった。安倍晋三首相の苦渋の表情が何度もテレビに映し出され、中川幹事長は早々と首相に辞意を表明した。青木参院会長も辞任の意向を伝えた。

 誰もが首相の責任問題を考えた。安倍首相は今回の参院選について、「民主党の小沢を選ぶのか、自民党の安倍を選ぶのか」と国民に訴えた。国民の答えは「安倍ノー」だった。にもかかわらず、安倍首相は昨夜早々と“続投”を表明した。国民には分からない展開が始まった。

 安倍首相はその後のテレビのインタビューでも「首相としての責任を果たす」と重ねて続投を強調した。枡添参院議員が安倍首相の続投発言を批判したが、自民党はなぜか沈黙したまま。党内で政治責任を問う人はだれもいない。まずここらが不思議だ。

 一方、小沢代表は「戦いに敗れたら政治生命を絶つ」と自ら退路を断ってこの参院選に臨んだ。なにもそこまで言わなくともと思ったが、その政治姿勢に拍手を送った国民も少なくなかったはずだ。本来ならば、戦いに大敗しても「続投」を繰り返す安倍首相と好対照となって小沢代表の株が急上昇するはずだった。

 しかし、勝どきを上げるはずの民主党の大将が昨夜来、不明なのだ。テレビ出演はおろか、体調不調を理由にコメントさえ出していない。代わりに菅代表代行と鳩山幹事長がマスコミの対応に当たった。

 小沢代表は政権交代を呼びかけて参院選を戦ったのではなかったのか。選挙に大勝した後、どうやって自民党を追い詰めていくのか。国民はその雄たけびを聞くチャンスを失った。体調が悪いのは本当かもしれないが、短時間でも国民の前で「選挙の成果と今後の抱負」を語るのは公党トップの責任だと思う。(紫竹庵人)

 なぜ小沢代表は沈黙するのか。民主党を応援した多くの国民は大いに不満に思っているはずだ。勝利宣言のない、こんな選挙は見たこともないし、聞いたこともない。

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2007年03月01日

タミフルをめぐるいくつかの疑問 【なぜだ】

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 27日未明、仙台市のマンションから中2男子が飛び降り死亡した。前日、医者でインフルエンザを診断されてタミフルを処方されたという。先週も愛知県蒲生市でも同じような事故があった。タミフルを飲んで衝動的にマンションから飛び降りたり、道路に飛び出したりする異常行動はここ数年頻発している。 
 http://www.kahoku.co.jp/news/2007/02/20070227t13047.htm


 タミフルが原因かどうか因果関係ははっきりしないが、異常行動の裏にタミフル服用があるのだったら、これは人ごとではない。気味が悪すぎる。インフルエンザでタミフルを処方されたら飲まないほうがいい。「薬害タミフル脳症被害者の会」は「因果関係が証明されていなくても、医師は投与の際に何らかの注意喚起をしてほしい。親は服用した子どもから目を離さないでほしい」と訴えている。


 タミフルには多くの疑問がある。まず、アメリカ食品医薬品局(FDA)が「服用後に死亡したのは世界で71人もいる」と発表しているのに、世界的に使用を禁止する動きがないことである。そもそもタミフルが注目されたのは鳥インフルエンザの出現からである。鳥インフルエンザの出現もエボラ出血熱と同様に突然だった。さらに世界保健機構(WHO)が「新型インフルエンザの流行で世界で1億5000万人が死亡する可能性がある」と警告し、タミフルの効用が世界的に認められたことが追い討ちをかけた。


 これに前後して、各国がタミフルの備蓄の乗り出した。アメリカは71億ドル、日本は2500万人分の備蓄を目指している。5人に1人が新型インフルエンザにかかることを想定しているのだから大変な数字だ。だれがこれほどの備蓄を必要だと判断したのかも分からないまま、各国は新型インフルエンザ感染の恐怖から“唯々諾々”と備蓄にのめり込んでいるのが実態ではなかろうかと思っている。


  タミフルの効用については「感染」から48時間以内の服用といわれている。しかし最新の鳥インフルエンザウイルスの場合、潜伏期間が3-4日とされる。発病した時点で服用の意味が相当程度薄れるという報告も眼にする。それが本当だったら、効き目の少ない“特効薬”を各国が懸命に備蓄する姿はほとんど漫才のように映る。


 そして極めつけはタミフルの開発者がアメリカのギリアド・サイエンシズというバイオの会社で、ラムズフェルド前国防長官が以前にその会社の会長を務めていたという事実である。正確にいうと製造販売はスイスのロッシュで、ギリアド社がライセンスをロッシュに譲渡した経緯があるらしい。ブッシュ政権をリードし、アメリカをアフガン、イラク戦争に仕向けた張本人がタミフル・ブームによるギリアド社株の上昇で懐を肥やしたという事実も免れない。


 タミフルってなんなのさ。筆者はずっと思い続けている。  (紫竹庵人)

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2007年02月26日

ヨイトマケの唄 【なぜだ】

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 隣の編集人がディスプレイを見ながら突然「チーフ、ヨイトマケってどういう意味か知っていますっか」と大阪弁でつぶやいた。本人は何をしていたかというと、勤務時間中にユーチューブを検索中で、僕が目をやると、やがて中村美律子 が歌う「ヨイトマケの唄」の熱唱が聞こえてきた。美輪明宏のデビュー曲は知っていたが、他の人が歌う「ヨイトマケ」を聞くのは初めてだった。中村美 律 子の「ヨイトマケ」もなかなか心にしみる。


大阪弁の独り言は続く。「えー歌でんなー」を繰り返し、やがて歌詞を口ずさみ始めた。
「おぅ、土方って表現は新聞では使えないんだよな」
「ハイ、放送禁止用語です」
「えー歌でしょ」
「そうだな」と生返事をして、僕はタバコ部屋にしけこんだ。
一服して戻るとディスプレイではまだ中村美 律 子が同じ歌を歌っていた。とにかく「ヨイトマケ」は長いのだ。
大阪弁の編集人は「ヨイトマケ」に酔いしれていて、「ヨイトマケ」の意味については何も言わなくなっていた。


 一夜明けて、大阪弁の編集人はまだ「ヨイトマケ」にこだわっていた。
「どうでもいいことですけど、ヨイトマケの意味が分かりました」
「建設現場での掛け声なんです。家を建てるときにぶっとい柱みたいなもんを滑車に吊り下げて土を固めるのみたことあるでしょ。あれをやるときに土方たちがうたうんです」
「一種の木やり歌やな」
「そうでんがな。ヨイトマケはしっかり巻けちゅうことでしょ。その掛け声が作業名になり、さらにその作業をする人をもヨイトマケと呼ぶようになったんです。だからヨイトマケは土方っちゅう意味です」


 それがどうしたと言われては元も子もないが、「なぜだ」を追究する姿勢が記者には欠かせない。何でも自明の理として受け入れるのならば記者は要らない。 47NEWS編集部では日々、こんな会話が交わされている。言葉の意味を追究する大阪弁の編集者のもうひとつの姿は「大学院生」。このほどめでたく「博士課程進学」が決まった。47NEWSの知的レベルは侮れないっちゅうことだ。 (紫竹庵人)


▽関連リンク ・「ヨイトマケ」を再現/相模原【神奈川新聞】

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