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コラム

フットボール、それは我が人生 日大フェニックス元主将・宮田徹

2017/09/11 【宍戸博昭】

フィラデルフィアで開催された、長男・脩臣君(中央)の「Honor Role」の授賞式に出席した宮田徹さんと富美夫人=写真提供・宮田徹さん
フィラデルフィアで開催された、長男・脩臣君(中央)の「Honor Role」の授賞式に出席した宮田徹さんと富美夫人=写真提供・宮田徹さん

フィラデルフィアで開催された、長男・脩臣君(中央)の「Honor Role」の授賞式に出席した宮田徹さんと富美夫人=写真提供・宮田徹さん

日大の主将としてチームを率いた宮田徹さん=写真提供・宮田徹さん
日大の主将としてチームを率いた宮田徹さん=写真提供・宮田徹さん

日大の主将としてチームを率いた宮田徹さん=写真提供・宮田徹さん

1993年11月、横浜スタジアムで行われた試合での宮田徹さん=写真提供・宮田徹さん
1993年11月、横浜スタジアムで行われた試合での宮田徹さん=写真提供・宮田徹さん

1993年11月、横浜スタジアムで行われた試合での宮田徹さん=写真提供・宮田徹さん

 いくら頑張ってもチームは勝てない。「本当に自分がキャプテンでいいのか?」。東京・桜上水にある練習グラウンドで、宮田徹は日々自問自答していた。


 宮田は、日大フェニックスの1993年度の主将である。中学からアメリカンフットボールをはじめた宮田が大学1年のシーズン、日大は日本選手権(ライスボウル)で3連覇を達成する。
 当時の主将はDE佐々木康元。4年の同期にはQB須永恭通、WR梶山龍誠、小林一、RB小林孝至ら、多くのスター選手がメンバー表に名を連ねていた。


 しかし、翌年は関東選手権で専大に敗れ、甲子園ボウル出場を逃す。この試合で2年の宮田は、けがをした先輩に代わり途中から出場、要所で好レシーブを連発した。
 3年時も関東で敗退。4年になった宮田はTEとしてレギュラーポジションをつかみ、名門チームの主将に指名された。


 「歴史と伝統のあるチームの復活を託された重圧。ミスが目立つレシーバーというポジションで、キャプテンシーを発揮するのは大変だった」


 主将として迎えた春のシーズン。関学大、京大、そして社会人で台頭してきた鹿島(現LIXIL)に3連敗を喫する。
 コーチから「キャプテンが務まらないなら(篠竹幹夫)監督に辞めさせてくれと言いにいけ」と迫られた宮田は、不眠症と拒食症に悩まされ体重が激減した。


 秋のシーズンも、チーム力は思うように上がらなかった。守備は失点を最小限に抑えたが攻撃力が伴わず、結果はリーグ戦で2敗してブロック3位。甲子園は遠かった。


 忘れられないシーンがある。川崎球場(現富士通スタジアム川崎)でのリーグ終盤戦。敗色濃厚の試合で、宮田は一矢報いるTDレシーブを記録した。
 エンドゾーンで審判にボールを丁寧に手渡したナンバー「80」は、一礼すると全速力でサイドラインに戻り、冷静にキッキングチームに指示を出していた。


 「勝っても負けても淡々と」。それは日大というチームに根付いたDNAであり、宮田は「不死鳥」としての矜恃を淡々と体現していた。


 卒業後は、大手広告代理店の博報堂に就職する。社会人1年目は母校のコーチを買って出た。2年目から参加したアサヒビール・シルバースターでは、日本一も経験した。
 2000年、選手としての区切りをつけると同時に転職。成長産業として注目されはじめたIT関連企業「サイバーエージェント」の取締役に就任する。
 起業家としての人生を左右する、大きな転機でもあった。


 3年後に自己資金で起業し独立。06年には、株式公開買い付け(TOB)した上場企業の社長に就任する。
 さらに10年には、新市場を求めてインドネシアへ渡り、現地で会社を設立。目標達成を機に会社を売却し、2年前から世界の情報通信産業のメッカ、米カリフォルニア州シリコンバレーに家族とともに移住した。
 現在は広告業を基盤に、インターネットを活用した事業領域でビジネスを展開している。


 宮田は、学生時代に成し得なかった「強烈なリーダーシップの発揮」を試み、強い企業集団の構築を目指している。
 海外で、生き馬の目を抜く厳しいビジネスの世界に一人で飛び込んでいく気概と勇気。根底には、大学時代の恩師である篠竹監督の教えがあるという。


 「主将として、普段は他の人には見せない篠竹さんの素顔を見ることができた。とてつもなく怖いけれど、知的でロマンチストな一人の男性として尊敬している。今の自分があるのは監督のお陰」


 経営者としての成功はもちろんだが、宮田には大きな楽しみがある。それは、ひとり息子の脩臣(ゆうじん=Eugene)君の成長だ。
 13歳になった脩臣君は、アメリカンフットボールと野球で父親から受け継いだアスリートとしての才能を存分に発揮。現地の少年チームでは中心的な存在だという。


 全米でフットボールをしている小学生の、年間学業成績優秀者に贈られる「Honor Role」を受賞。フィラデルフィアで開かれた授賞式には、親子3人で出席した。


 「息子は、プロのスポーツ選手を目指すと言っている。親である以上は、子どもの夢を信じて応援するつもり。アメリカに来たのは、そのためでもある」


 宮田自身の夢もある。それは、米国でフットボールのコーチになることだという。
 「日本人にコーチができるのかという周囲の目があるが、そこで本領を発揮するのが篠竹イズム」なのだそうだ。


 父親の選手時代を知らない脩臣君の大事にしている言葉は「Do what you love,and don’t give up」。
 それは「侍フットボール」を標榜した篠竹監督の「半端なことはするな」という教えに通じる。


 「何よりもフットボール、そしてフェニックスが好き」
 大学を卒業して24年。チームを勝たせるためにもがき苦しんだ主将だからこそ、母校への思いは誰よりも深くて強い。(敬称略)


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