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飛び込みの寺内健(右)を指導する馬淵崇英コーチ=兵庫県宝塚市
母国・中国を旅立ち、戦いの場に日本を選んで北京五輪に挑み、あるいは両国スポーツ界の懸け橋となる選手や指導者がいる。その姿と思いを追った。
中国での五輪開催という記念すべき年は、来日から20年にあたる。飛び込みの馬淵崇英(まぶち・すうえい)コーチ(44)は、北京五輪男子板飛び込みで寺内健(てらうち・けん)(27)のメダル獲得に取り組む。「青春と人生を懸ける時期をすべて日本で過ごした。ちょうど20年。いい時期ですね」。機は熟したと感じている。
1978年、/トウ/小平氏が改革・開放政策を始めた。多くの若者が米国など海外を目指す中、88年に日本の飛び込み関係者の紹介で来日した。蘇薇(スー・ウェイ)という名の若手指導者は兵庫県のJSS宝塚のコーチに就任し、91年に小学5年生だった寺内と出会った。
「健は教えたことをすぐできた。ほかの選手とは全く才能が違った」。故郷・上海での合宿に誘い、五輪を目指す二人三脚が始まった。
人一倍厳しい練習に付いていけない選手も多かったが、寺内を日本の第一人者に成長させた。「練習態度は中国人以上。勤勉さと忍耐力はすごい。10年以上かけてコツコツやるのは素晴らしい」と、教え子から日本人の良さを学んだ。
日本のトップ選手を指導し、日本人と同じ生活感を持ったと自覚した98年に「ふさわしい立場になった」と日本国籍を取得した。寺内との4大会連続出場が確実な北京五輪は、母国への恩返しの機会とも映る。だが「恩返しという意識より、理想の飛び込みを見せたい。国は全然関係ない」と純粋に成果を求め、日々プールサイドに立つ。