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バレーで人生が変わった 祖母の介護で来日した小山

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インタビューに答えるバレーボール女子日本代表の小山修加選手

日本に来たのは、体調を崩していた祖母のためだった。2002年に日本国籍を取得し、その4年後に女子代表入りした小山修加(おやま・しゅうか)(27)=久光製薬=はバレーボールで人生が変わった。「この競技をしていなければ、もう中国に戻っていたかも」と、流ちょうな日本語で苦しい日々を振り返る。

祖母は太平洋戦争で最初の夫と死別し、終戦後は中国人と再婚した残留婦人。再び夫に先立たれた後、一人で日本に戻った。高齢の祖母を介護するため、16歳の中国名・王嬌は1996年、両親とともに遼寧省撫順市から兵庫県明石市に転居、高丘中2年に編入した。

才能を発掘したのは県内の強豪、須磨ノ浦女高の小笠原仁(おがさわら・ひとし)監督だった。小山は既に180センチの長身で、遼寧省の体育学校では走り高跳びで鳴らしたほど跳躍力抜群。高校からバレーを始め、01年に久光製薬入りした。

小山の「小」は高校時代の恩師の、「山」は久光製薬で世話になった山本辰正(やまもと・たつまさ)副部長の姓から採った。武器は182センチの長身と、ジャンプの最高到達点が315センチに達する国内屈指の高さ。半面、競技を始めたのが遅く技術と経験が課題だ。

昨年のワールドカップ(W杯)は代表候補に入りながら最後に外された。今季のプレミアリーグでも控えが続くが「中国で五輪が開かれる年に選手でいられ、生きていてよかった。目標は北京です」と、謙虚な姿勢で祖国のひのき舞台を狙っている。