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 伝統を重んじる古都が、国際基準の祭典を前にどう変わろうとしているのか。五輪の街角から報告する。
 世界のトップアスリートが集う五輪を直前に控えて変わりゆく中国。北京五輪開催の意義を、多様な観点から聞いた。

姚明は新中国人の代表  困難に直面する人々の象徴

北京五輪まで半年を切った2月26日、米プロバスケットボールNBAのヒューストン・ロケッツは、所属する姚明選手(27)が左足の疲労骨折で今季絶望になったと発表した。中国に衝撃が走った。

バスケットボール世界選手権のセネガル戦で、ダンクシュートを決める中国の姚明=06年8月、北海道立総合体育センター

五輪には出場できるとの見通しだったが、スポーツニュースのサイトには1日で800万件近いメッセージが殺到。40代の男性は「身代わりになれるなら、自分が足を失ってもいい」と記した。中国バスケットボール協会の李元偉会長(59)は「姚明の存在はバスケットボール選手の枠を超えている。彼は新しい中国人の代表だ」とみる。

姚選手は「自分は努力の人だ」という。上海シャークスと中国代表で同僚の劉/イ/選手(28)によく話した。「王治〓(至の右に郊のツクリ)は天才。自分は挫折の中からはい上がってきた」。一年早くNBA入りした王選手(30)は14歳で中国ジュニア代表、16歳で代表に選ばれた。

一方、14歳で上海体育学校に入った姚選手は、当時の陸智強コーチ(46)が「レベルは中の下。特別な印象を残すような子じゃなかった」と振り返るほど圧倒的な実力差があった。それでも、母親同士が中国女子代表でチームメートだった王選手を意識し続けた。

1997年、姚選手は目標をとらえる。中国リーグで王選手のシュートを立て続けにブロック。同室だった現上海ジュニア監督の劉鵬さん(31)は、部屋に戻ってからも「王治〓(至の右に郊のツクリ)を止めたぞ」とはしゃいでいた姚選手の興奮を覚えている。

その後、王選手はNBAで実績を残せず帰国。姚選手は「NBAの顔」にまで成長し、国民の期待は止めどもなく高まった。

昨年7月、姚選手は結婚準備などのため代表合宿参加が遅れた。すると国家体育総局の機関紙は「個人生活を優先している」との批判記事を掲載した。毎年オフも世界選手権やアジア選手権で休みなしの生活。友人の楊毅さんに「あまりにひどい。結婚もさせてくれないのか」とこぼした。

それでも、自分が背負うものは下ろせない。代理人の章明基氏(33)は「中国人は今、親が経験しなかったことに直面している。出稼ぎのため十代で故郷を捨て、困難や危険に立ち向かう人たちはその象徴だ。姚明はそういう中国人の英雄になった」と話す。時代のうねりが、その存在をより巨大なものにしている。

骨折が判明した日、姚選手は楊さんに電話をかけ「帰りの車では、すべてを失った気がした」と打ち明けた。だが翌日には医者に注文をつけた。「どんな治療法でもいい。絶対に五輪に間に合わせてくれ」

手術は成功し、経過は順調という。中国選手団の旗手を務めたアテネ五輪から4年。姚選手は8月、母国のコートに凱旋(がいせん)する。(共同)



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