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球史に名刻んだ「ビッグツー」  沢村栄治と王貞治

AS-0319__-200206251545_M.jpeg 伝説の人、沢村栄治投手 (京都商)が初めて甲子園に現れたのは1933年の第10回大会だった。

 後年、巨人に入り戦前ではプロ屈指の速球投手として鳴らした。この大会ではベスト8で敗退するが、楠本保(明石中)吉田正男(中京商)と並び「ビッグスリー」と高い評価を得ていた。

 この3人が投手部門で優秀選手賞に選出され、沢村は翌年の第11回大会でも同じ賞を獲得している。優勝には届かなかったが名投手の片りんは示していた。


 春の優勝投手でプロの第一人者になったのは王貞治(早実)で、沢村と並び彼の名も後世語り継がれるだろう。第29回大会も「ビッグスリー」が話題になった。王に加え小松敏宏(高知商)清沢忠彦(岐阜商)はいずれも左腕で、大会前から注目を集めていた。

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 王はノーワインドアップ投法という極めて珍しい投球ぶり。米球界でもヤンキースのラーセン投手だけと伝えられていた。王が左の中指と人さし指を裂いての奮闘で握った紫紺の大旗は、大会史上初めて箱根の山を超えたのだった。

 これほどの大活躍をしながら、巨人に入団してからは打者として大成する。「1本足打法」「フラミンゴ」と表現される特異なフォームで本塁打を量産。通算868本を記録している。投げても打っても独自の世界を作り上げていた。ソフトバンクの監督として今季がラストイヤーと位置付けた。「早実の王」から半世紀が過ぎている。

 (この項、校名は当時の名称)

【写真】巨人軍時代の沢村栄治投手の投球フォーム。1937年、甲子園で(上)早実のマウンドを死守したサウスポー王貞治投手。1957年夏の甲子園で(下)

万代隆(まんだい・たかし)1941年大阪市生まれ。長い野球記者生活で培った確かな取材力と幅広い人脈を誇る。春夏の甲子園大会もネット裏から熱い視線を送り続け、持ち味の平易な語り口で共同通信のコラムなどに思いをつづっている。近著のコラム集「球界時評」(高知新聞社、南日本新聞社発行)も好評。

(次回掲載は3月7日)