47NEWS >  スポーツ >  選抜甲子園 >  ご褒美は夏の「海外見学」 選手権3連覇は“犠牲”に

ご褒美は夏の「海外見学」 選手権3連覇は“犠牲”に

AS-0105__-200003072002_M.jpeg  今でこそ海外への遠征は珍しくないが、昭和初期では夢のような話だった。1931年(昭和6年)の第8回大会で広島商が優勝し、夏休みの米国遠征が実現した。4年前から優勝校へ「海外見学」と称した旅行がプレゼントされていたもので、これが大会出場校の大きな励みになっていた。
   
 広島商の鶴岡一人遊撃手も強い願望を秘めていた。中京商(現中京大中京)との決勝戦、2―0とリードしていたが九回に二死満塁のピンチを迎えた。次打者の遊ゴロで二塁のベースカバーに入った保田直次郎二塁手が「さあ、ここじゃ」と叫び、絶好のトスをした鶴岡は「アメリカじゃ」と一声発したという。

 この鶴岡は後にプロ野球で活躍。南海ホークスの名監督として「親分」の異名で選手から慕われた。その若かりしころの思い出を自著「野球ひとすじ」で懐かしんでいる。「アメリカ遠征の出発前に、広島在住の外国人家庭でテーブルマナーなどを習った。また、坊主頭だと囚人に間違われるとかで、すそ刈りの調髪をした。うれしかった」

 心弾む海外旅行だったが広島商の周辺は騒がしかった。2年連続優勝している選手権大会を無視するのか。「3連覇を狙え」の声も強くなる。それでも米国へのあこがれは捨てがたいものだった。夏の地方大会は留守部隊で戦い敗退した。

 妙な巡り合わせになるようだが、第8回大会の決勝で広島商に敗れた中京商は、この夏から選手権大会史上初めての3連覇の偉業を達成する。また、春の優勝校への「海外見学」は、文部省から出された野球統制訓令の趣旨を受け、この大会で取りやめになっている。主催者からのご褒美が夏の大会に影を落としているのが興味深い。

【写真】1965年のパ・ リーグ優勝を決め、記者会見する南海の鶴岡一人監督。68年まで南海一筋に指揮をとり続け、監督として史上最多の通算1773勝を記録した=65年9月26日、大阪球場

万代隆(まんだい・たかし)1941年大阪市生まれ。長い野球記者生活で培った確かな取材力と幅広い人脈を誇る。春夏の甲子園大会もネット裏から熱い視線を送り続け、持ち味の平易な語り口で共同通信のコラムなどに思いをつづっている。近著のコラム集「球界時評」(高知新聞社、南日本新聞社発行)も好評。

(次回掲載は14日)