⑨終戦の日の決意 1年後に復活の大会
まだ戦後の混乱期どころか、佐伯元会長が中等野球の復興に立ち上がったのは1945年(昭和20年)8月16日。戦争が終わった翌日のことだった。どこに生活の糧を求めればいいのか、どんな道筋もついていない。そんな状況でも野球を通じての人間づくりに考えが及んでいる。 全国のネットワークづくりが始まった。各地方に中等学校野球連盟を置くにしても、適任者の当てがあるわけではなかった。当時の全国への土台構築の旅は苦労の連続。日本高校野球三十年史はこうつづっている。「地方へ出掛けるにしても、食糧を持って駅頭で数時間。また時には半日以上も整列して列車を待ち、やっと乗れたと思うと、今度は身動きひとつできないのが実情。ほとんどの場合、お互いに立ったまま居眠りをして東京まで行くという難行苦行の旅だった…」。 野球用具はない。その前にグラウンドの整備が必要だった。全国のかつての球場などは水田やイモ畑、ソバ畑、ムギ畑らに変わっていた。まさにどこから手を付けていいのか、というところだろう。山積した苦労に挑み、第28回大会の開催にこぎ着けた先人の努力の重さを知る。開幕は終戦からちょうど一年後の8月15日だった。 【写真】野球を通じての人間づくりをモットーに掲げ中等、高校野球発展に尽くした佐伯達夫・元高野連会長。1980年3月22日、88歳で死去。(80年1月17日撮影) (次回掲載は17日)
「終戦の日の決意」と題して、佐伯達夫・元高野連会長が日本高校野球連盟三十年史に記している。
「健全な身体にこそ健全な精神は宿るというが、それには何よりも野球だ。身体の健康のためにも野球は役立つが、心の成長のためにも何よりも野球だ。めいめい自分勝手なことを考えていては、敗戦のどん底から立ち上がれない。チームワークの尊さを青少年たちに体得させたい」。
万代隆(まんだい・たかし)1941年大阪市生まれ。長い野球記者生活で培った確かな取材力と幅広い人脈を誇る。春夏の甲子園大会もネット裏から熱い視線を送り続け、持ち味の平易な語り口で共同通信のコラムなどに思いをつづっている。今春、コラム集「球界時評」(高知新聞社、南日本新聞社発行)を上梓した。


