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⑦軍事色に包まれ 光る嶋の偉業

shima2.jpg 主催者の大会70年史をひもとくと、珍しい写真が飛び込んでくる。甲子園で弁当を食べている少年の写真なのだが、この説明が付いている。「外米弁当に梅干し。おかずは福神付け」

 ちょっとしたスナップ写真にも軍事色が濃く出てくる。ちょうど紀元2600年にあたる1940年には週1回の節米デーになり、ぜいたく品が禁止された。いずれおし寄せてくる戦火が、もうそこまで忍び寄ってきていそうな慌ただしさ。それでも球児の戦いは続いていて、第25回大会では大会史上初の快記録が誕生した。

 海草中(向陽)の嶋清一投手が5試合すべてにシャットアウト勝ちを記録した。これだけでも大変な偉業なのに準決勝の島田商に続き、決勝戦でも下関商をノーヒットノーランに退けた。嶋は左腕からの速球とドロップを武器にしていた。卒業後は明大に進み、学徒動員で出征し45年にインドシナ半島沖で戦死した。今年、野球殿堂入りし、第90回大会の開幕日に表彰式が行われることになっている。

 第26回大会を最後に大会は5年間の中断を余儀なくされる。このころから数年の動きは戦時態勢に引きずられ、暗い時代にのめり込んで行く。スポーツ界の話題としては1939年に横綱双葉山が70連勝を阻まれて騒然となったこと。そして1940年には、あのソフトバンクの王貞治が誕生している。

 戦争は悲劇を無理やり押しつける。前述の嶋清一、明石中の中田武男、松山商の景浦将、京都商(現京都学園)の沢村栄治、熊本工の吉原正喜ら、次代を担う逸材が逝ってしまった。

【写真】戦死から63年後の今年1月、野球殿堂入りが決まった嶋清一投手の2枚の雄姿(中央)。平和な時代の球界の後輩、山本浩二(左)、堀内恒夫両氏に抱かれて。(2008年1月11日)

万代隆(まんだい・たかし)1941年大阪市生まれ。長い野球記者生活で培った確かな取材力と幅広い人脈を誇る。春夏の甲子園大会もネット裏から熱い視線を送り続け、持ち味の平易な語り口で共同通信のコラムなどに思いをつづっている。今春、コラム集「球界時評」(高知新聞社、南日本新聞社発行)を上梓した。

(次回掲載は10日)