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⑥藤村、川上が登場 プロ誕生へ動き活発

kawakami2.jpg 第20回大会(1934年)は戦前では最高の675校が参加した。大会が誕生して20年という区切りで、日本の野球界のエポックになる1年だった。

 今大会で優勝したのは広島の呉港中(呉港)で、チームの柱はエースで5番の藤村富美男だった。後年、プロ野球に投じ阪神の中心選手になった。「物干しざお」と異名のあった長いバットで長打を飛ばし、ショーマンシップもあってファンに親しまれた。実力と人気を兼ね備え「ミスタータイガース」と呼ばれもした。

 この呉港中に決勝戦で敗れた熊本工には、戦後に赤バットで脚光を浴びた川上哲治がいた。まだ2年生で右翼で9番。「打撃の神様」もこのときは藤村の前にはさっぱり振るわず3打席3三振。それでも3年後の第23回大会には再び決勝戦に進出。投手で3番の重責を担っていたが、また優勝には届かなかった。巨人の監督になってから9連覇の偉業を達成するのに、熊本工では頂点に立てないままで終わった。このときの吉原正喜捕手も巨人入り。将来を嘱望されていたが戦死したのは惜しまれる。

 もう一人、逸材が甲子園に現れている。京都商(現京都学園)の沢村栄治投手で鳥取一中(鳥取西)に初戦で3―1と敗れたが、12三振を奪って将来性を認められた。このとき沢村は5年生で大会後に中退し、秋に来日したベーブルース一行の選抜チームと対戦。全米を1点に抑える快投ぶりで脚光を浴びた。

 藤村、川上、沢村と後世に名を残すスターが登場した年に、日本最初の職業野球団である大日本東京野球倶楽部が誕生。これが巨人軍の母体となり、学生野球と並行して歩むことになった。

【写真】熊本工2年生での“甲子園デビュー”から15年後の川上哲治の豪快な打撃フォーム。巨人の主軸打者として活躍、後に「打撃の神様」と称されるようになる。(1949年4月7日撮影)

万代隆(まんだい・たかし)1941年大阪市生まれ。長い野球記者生活で培った確かな取材力と幅広い人脈を誇る。春夏の甲子園大会もネット裏から熱い視線を送り続け、持ち味の平易な語り口で共同通信のコラムなどに思いをつづっている。今春、コラム集「球界時評」(高知新聞社、南日本新聞社発行)を上梓した。

(次回掲載は7月7日)