⑤官僚統制が始まる アマの精神を堅持
私立の実業校が経営改善に野球を利用し、選手の争奪戦が過激なものになっていた。中学生のコーチになった大学生の不品行。金銭の絡む遠征試合が組まれることもあったようだ。それらはつい最近の高校野球界を汚すような事件の頻発に酷似する。いつの時代にも横行する悪の連鎖に、当時の文部省も手を打たざるを得なかったのかもしれない。 当時は連盟はもちろん学生協会などもなかった。野球統制令は実に細かい。府県が異なる試合は所属する体育団体の許可が必要になり、それも土曜日か日曜日に限る。対外試合が大幅に減少し、野球熱にブレーキをかけた弊害もあっただろう。でもアマチュア精神を守るための防波堤の役目があったことも確かであった。 社会も激変していた。前年の満州事変を境として戦火は上海に拡大した。犬養首相の暗殺事件が起こり「非常時」という言葉が国民の耳に強く聞こえ始めたときでもあった。しかし、甲子園大会は中京商(現中京大中京)が連続優勝し、翌年に3連覇を遂げることになる。何もかもが慌ただしい世の中ではあった。 【写真】文部省訓令第4号「野球の統制ならびに施行に関する件」の抜粋。(日本学生野球協会の「学生野球要覧」資料編から転載) 万代隆(まんだい・たかし)1941年大阪市生まれ。長い野球記者生活で培った確かな取材力と幅広い人脈を誇る。春夏の甲子園大会もネット裏から熱い視線を送り続け、持ち味の平易な語り口で共同通信のコラムなどに思いをつづっている。今春、コラム集「球界時評」(高知新聞社、南日本新聞社発行)を上梓した。 (次回掲載は7月3日)
昭和7年(1932年)4月1日付で、文部省訓令第4号「野球の統制ならびに施行に関する件」という、いわゆる野球統制令が出された。これによって第18回大会は文部省公認の初めての大会になった。この官僚統制は、中等野球の進むべきアマチュアリズムを犯す行為が目立ってきたことが発端になっていた。清新さを維持することでスタートを切ったのに、野球熱の高まりが逆に複雑な問題点を露呈したのだった。


