④初めての実況中継 電波活用の新時代
開幕の札幌一中(現札幌南)―青森師範の担当は新人の魚谷忠アナウンサー。「NHK大阪放送局七十年」によれば、彼は第2回大会の準優勝校、大阪・市岡中学(現市岡高)の三塁手。野球の経験を買われての登用だったが「取りあえず新聞の切り抜きを音読したり、野球を観戦しては口の中でもぐもぐ練習した」と苦労の準備を話している。 そして本番は?NHKに当時の録音は残っていないそうで、主催者の「大会70年史」には翌日の朝日新聞の記事が掲載されていて「いま投手が投げます。ソラ打ちました。アッ、フライです。中堅が走っています」「只今雨がポロついています。選手も観衆も一生懸命です。しきりに拍手が聞こえるでせう」などと、のどかな語りかけだった。 アナウンサーの横には逓信局の放送監督官が詰めていて、少しでも間違ったことをしゃべると放送を止める「放送遮断器」を操作していたという。ただ中継放送といっても株式の相場などの放送もあっての細切れ実況だった。「NHK大阪七十年」には笑えない苦労話があり、株式放送のアナウンサーは野球ファンから「せっかくいいところなのに」と苦情を言われ、早く野球にと早口にまくしたてると、今度は投資家に怒られる…。 野球の普及には大いなる貢献の実況中継ではあったが、魚谷忠アナウンサーは8日間の大会、21試合を一人で担当した。すごい人がいたものである。 【写真】ぎっしりと観衆で埋め尽くされた甲子園のスタンド。スリリングなドラマとファンの熱気を、お茶の間など球場外にじかに伝えるラジオの実況中継開始は新時代の幕開けを告げるものでもあった。 万代隆(まんだい・たかし)1941年大阪市生まれ。長い野球記者生活で培った確かな取材力と幅広い人脈を誇る。春夏の甲子園大会もネット裏から熱い視線を送り続け、持ち味の平易な語り口で共同通信のコラムなどに思いをつづっている。今春、コラム集「球界時評」(高知新聞社、南日本新聞社発行)を上梓した。 (次回掲載は30日)
昭和2年(1927年)の第13回大会でラジオの実況中継放送が始まり、速報性はもちろん臨場感をも伝える画期的な出来事になった。NHK大阪放送局では第11回大会から既に試合経過の放送は経験済み。日本では初めてのスポーツ中継は時代が要求したものでもあったのだろう。


