②「米騒動」で波乱 無情の大会中止
そんな矢先に「米騒動」が起こり、大正7年(1918年)の第4回大会が中止に追い込まれた。第一次大戦による物資の需要増で好景気の一方、物価の上昇に庶民が泣かされた。特に米価の暴騰はひどく、米の廉売を要求する大衆が米屋、富豪者の邸宅、警察などを襲った。富山県魚津で起こった騒ぎは全国に波及し、軍隊が鎮静に乗り出す国民運動に発展した。 既に地方大会は8月9日にすべて終わっていて、14地区の代表は大阪に集結していた。野球とは直接に関係のない社会的な出来事だったが、世情を憂慮した主催者は14日に「大会延期」を公表し、16日には待機するチームの指導者、主将を招き「大会中止」を伝えた。軌道に乗り始めていた大会に水を差された関係者の怒り、球児の落胆の大きさは十分にくみ取れる。 大会史によれば、学校の校庭を借用し観衆を入れずに試合を挙行しよう、という案もあったという。大会まであと一歩にこぎ着けていた。何としてもプレーさせてやりたいと心を砕いた人たちの思いが、現在の高校野球にも熱いものとして流れているような気がする。 【写真】国内各地の米騒動の模様を報じる大阪朝日新聞の号外(1918年8月17日) 万代隆(まんだい・たかし)1941年大阪市生まれ。長い野球記者生活で培った確かな取材力と幅広い人脈を誇る。春夏の甲子園大会もネット裏から熱い視線を送り続け、持ち味の平易な語り口で共同通信のコラムなどに思いをつづっている。今春、コラム集「球界時評」(高知新聞社、南日本新聞社発行)を上梓した。 (次回掲載は23日)
歩み始めた全国中等学校野球大会は参加校も増えてきた。第1回の73校から115校、118校に。豊中グラウンドでは押し寄せる観衆をさばききれないため、第3回大会からは鳴尾競馬場内(兵庫県西宮市)に本グラウンド、西グラウンドの2面のグラウンドを用意した。「観客台」と呼ばれた木造の仮設スタンドがあって、他のグラウンドが人気校だったりすると、スタンドを担いで移動する剛の者も現れたという。野球熱が沸騰し始めていた。


