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【連載 維新現象は終わるのか】<第1部「支える人々」④>母子家庭の境遇共感 「成り上がり」に自負

首相時代の橋本龍太郎氏(左)と握手する自民党参院議員秘書時代の西田薫氏=福岡空港 首相時代の橋本龍太郎氏(左)と握手する自民党参院議員秘書時代の西田薫氏=福岡空港

 1967年生まれ、大阪府守口市育ちの府議西田薫(46)は、2歳でタクシー運転手だった父親を亡くした。3人の子どもを抱えた母親は生活保護を申請するか悩んだが、「人様に迷惑を掛けてはいけない」との思いを貫いた。「昼間は工場で働き、朝晩は内職で和服を縫った。寝ている姿を見たことがない」

 数年後の73年、当時の首相田中角栄の鶴の一声で母子家庭への遺族年金が加算され、家族は一息つく。小学生になった西田は母親から繰り返しこの話を聞かされ、漠然とではあるものの、将来、政治家になりたいと考えるようになる。

 ただ具体的な行動にはつながらなかった。専門学校卒業後、ポケットベルや携帯電話の販売会社に就職。かつての夢は「政治家の家系でも何でもない。到底、俺には無理や」と遠のいていた。

 90年に会社を辞め、1年間、働きながら海外を渡り歩いたのが転機となった。帰国直前に知り合った人の紹介で自民党参院議員秘書の職を得た。

 海外の事情や日本の歴史に詳しく触れる機会が増え、「自虐史観」という言葉も知った。「日本の子どもは教育のせいで自国に対する誇りを持てないでいる」との危機感を抱くようになった。

 2003年、地元市議選で初当選。07年に府議に転じた。「少しずつ夢が実現した」。政治家として地歩を固めている実感が出てきた08年2月、突然、府知事に君臨したのが橋下徹だった。

 「一緒になって盛り上げてください」。橋下の呼び掛けに応じ、自民党を抜けて大阪維新の会に参加した。

 所属先は変わったが、「国への忠誠を尽くす人が公務員になるべきだ」「愛国心がないから、生活保護の不正受給が問題になる」という、かねての持論は変わらない。

 2歳年下の橋下は、ほぼ同世代。自身と同じように母子家庭で育った。タレント弁護士としての華やかな経歴、実行力。「器が違う」と痛感する一方で、競争に打ち勝ち、のし上がった境遇に強く共感する。「ぼんぼん育ちじゃなく成り上がり。僕もそうだ。同じような言い方はしないかもしれないが、われわれの考えは同じだ」。信頼は厚い。(敬称略、高尾益博)

(共同通信)

2014/04/18 12:54 【共同通信】

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