加賀の洋学、逸材育てる 市民公開講座金沢学
 

金大と北國新聞社が連携して取り組む市民公開講座「金沢学」は2日、金沢市の北國新聞20階ホールで開かれ、県立歴史博物館の本康宏史学芸課長が講演した。本康氏は加賀藩が江戸後期、佐野鼎(かなえ)をはじめとする当時屈指の洋学者をヘッドハンティングし、近代化を推し進めたことを紹介、彼らの活躍が明治維新以降の人材輩出につながったと指摘した。
 本康氏は加賀洋学の中心として加賀藩が召し抱えた砲術家の佐野鼎(現在の静岡県出身)の存在を解説。福沢諭吉らと共に遣米使節団の一員として渡米した佐野が、海外経験をもとに七尾軍艦所に藩初の外国人語学教師オーズボンを招き、英語教育を発展させたことを説明した。
 東大医学部長を務め、日本初の医学博士として知られる三宅秀(ひいず)も幕末の加賀藩で西洋式武学校「壮猶館(そうゆうかん)」で英語教師を務めた経験があるとし、文法中心だった英語教育に英会話を取り入れた功績を紹介した。
 本康氏は「幕末になると、加賀藩では話せる英語が必要と考えられ、優秀な人材をヘッドハンティングするようになった」と指摘、加賀藩にはそうした一流の知識人を集められる力があったと述べた。
 藩内の洋学者である鹿田文平については「西洋の軍事知識が求められた時代、蘭学医としてではなく、兵学を軸とした技術官僚として活躍した」と述べた。オーズボンの教え子に、近代日本の担い手として活躍した桜井錠二や平井晴二郎などがいたことに触れ「幕末以来の加賀藩の蘭学、洋学の進展が、明治維新以降の人材を育てた」と述べた。


続きは石川で
07/03 【北國新聞】
▲このページのトップへ
|TOP|スポーツ|地域|特集|
47NEWSに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
AccessRanking
Copyright (C) 2006-2011 Press Net Japan Co.,Ltd. All Rights Reserved.