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地宝人ネット

 地・宝・人(ち・ほう・じん)ネット 地方が抱える問題を話し合おうと、全国の地方新聞社と共同通信社が識者らとつくった。まちづくり団体の代表者や研究者、行政担当者らが参加。「地域再生大賞」の受賞団体からもメンバーを迎え、約100人で構成。名称を「地域再生列島ネット」から改めた。電子メールを中心に意見交換しており、形にとらわれないシンクタンクを目指す。

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≪地域の商店街を立て直すには≫ 地域社会の拠点目指せ 住民の意識改革も必要

 地域の商店街が置かれた現状は厳しい。全国の地方新聞社と共同通信社が識者らとつくる「地・宝・人(ち・ほう・じん)ネット」は、多様な役割が期待される商店街を立て直す方策を、メンバーの活動や意見交換を通して考えた。

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 商店街の活性化をめぐる「地・宝・人(ち・ほう・じん)ネット」の意見交換では、地域社会の拠点を目指すべきだとの声が相次いだ。環境は厳しいが、自分たちで将来像を明確にする努力が必要との指摘も。地域にとっても大きな課題だけに、周辺住民の意識改革を促す提起もあった。

 金子洋一(かねこ・よういち)・南相馬ジュニアコーラスアンサンブル代表(福島)は、東日本大震災後に地域の商店が懸命に営業を続け、役割を再認識したと話す。坂井隆(さかい・たかし)・サステイナブルコミュニティ総合研究所事務局長(青森)も、コミュニティーの拠点として価値があるとみる。

 こうした役割を果たすため、渡辺達朗(わたなべ・たつろう)・専修大教授は教育機関やNPO法人との連携が重要とし、商店街に「開かれた組織への脱皮」を求めた。

 一方、畦地履正(あぜち・りしょう)・四万十ドラマ社長(高知)は「人任せはダメ」と、商店街自ら目指す将来像を掲げることを提案。熊紀三夫(くま・きみお)・高松丸亀町商店街振興組合常務理事(香川)も、建物の共同管理によるコスト削減などの努力が不可欠とした。

 ただ、周辺人口の減少など取り巻く環境が厳しいのも事実だ。白戸洋(しらと・ひろし)・松本大教授(長野)は、商店側の努力にも限界があり、住民が地域問題として考えるべきだと訴える。田村亨(たむら・とおる)・北海道大大学院教授は、自治体や関係者が協力して大胆な見直し計画の構想を進めていくことを提案した。


▽若者呼び込みにぎわい 大学も協力、戦略を練る


 坂道と寺が織りなす光景で知られる広島県尾道市。しかし、市街地の商店街は、各地と同様、周辺人口の減少や経営者の高齢化に悩む。「地・宝・人(ち・ほう・じん)ネット」のメンバーで、NPO法人「工房おのみち帆布」理事長の木織雅子(きおり・まさこ)さん(73)は、大学や商店主らと調査や議論を重ね、地域に合う戦略探しを続けている。

 ▽後継者ありは2割

 JR尾道駅から延びる商店街は全長1・2キロ。アーケードの下に約200店が連なる。中心地だが、尾道市商店街連合会が、2011年から12年にかけて行った調査によると、平均通行量は1981年を100とすると、11年に平日で50、休日は47と、半減した。20130924onomichicitymap500.JPG

 経営者の平均年齢は60歳。同連合会の調査に「後継者がいる」と答えた人は2割にとどまった。「大変な状況。何かしないと」。09年に同連合会会長になった木織さんは、休眠状態だった若手中心の活性化委員会を開き将来像の議論を始めた。

 こうした調査には、尾道市立大の小川長(おがわ・おさむ)准教授や学生も協力。活性化委員会は、アーケードなど共有財産をなくし各店の負担を減らすことや、空き店舗に地域外の若者を誘致することを柱にした「未来ビジョン2020」を今年6月まとめた。

 あきない塾の参加メンバーと話す木織雅子さん(右から2人目)=広島県尾道市
 空き店舗対策に取り組むNPO法人「おのみち街づくりラボ」を今年2月、設立。これまでに弁当店やネイルサロンなど6店が営業を始めた。8月には、商品の陳列スペースを最長3カ月間貸し出す「あきない塾」も始めた。賃料は月1万円で、気軽に参加できるのが特色だ。出店を考えているという40代の女性は「顧客の反応や運営方法を探りたい」と話す。

 ▽まずは成功例を

 あきない塾には尾道市立大のサテライトオフィスが入居、学生の企画発表も行われている。紙製品を扱う商店の5代目で、おのみち街づくりラボ理事長の 佐藤彰洋(さとう・あきひろ) さん(33)は「若い人を呼び込み、目標の20年に向けて大きな流れをつくりたい」と意気込む。

 ただ、多くの店があるだけに、共通の考えを持ち取り組むことは難しい。木織さんは「成功例をつくって認めてもらうしかない」と話す。映画などで尾道市の知名度は高く、出店の問い合わせは少なくない。「まちに魅力があるうちに、子育てや生活ができる商店街にしなければ」。木織さんは力を込めた。

外・宝・人

◎外・宝・人

 外国語教育や国際交流のため、政府や自治体、自治体国際化協会は海外の若者を各地へ派遣する「JETプログラム」を行っている。多彩な経験を積んだ人たちを「外・宝・人(がい・ほう・じん)」と名づけ、地域への思いを寄せてもらった。


 知人と初めて着物を着たダニータ・ロレッタ・ジャクソンさん(左)=1993年11月、福岡県豊前市(本人提供)
今も夢見る日本 ダニータ・ロレッタ・ジャクソンさん 

 日本に行くとは考えもしなかった。生意気な言い方だが、アクシデントのようなものだった。夫が私の分まで応募し、1993年から日本に行くことになったと告げたのだ。出発まで2カ月しかなかった。

 東京に着くと、数日は嵐のようだった。時差ぼけもあり、オリエンテーション中は夢を見ているようだった。日本語をほとんど話せなかったし、全てが珍しく、郷里のルイジアナと違っていた。

 20130925buzencitymap500.JPG福岡県豊前市の駅では、JETプログラムの先輩でカナダと米国から来た2人と、教育委員会の上司が待っていた。住宅に荷物を降ろし、居酒屋で夕食をとった。あの夜の食べ物のおいしさは忘れられない。焼き鳥やおにぎり、みそ汁―。米国で食べた日本食よりはるかに味わい深かった。

 それからの日々を、簡単にまとめることはできない。人生を変える体験だったというほかない。郵便局の開所式に招かれたり、地元出身の力士を着物で出迎えたりした。さまざまな人が祭りや行事を見せてくれた。

 教育委員会の同僚も懐かしい。親切で、短い間しかいない私たちを仲間として扱ってくれた。上司は快適に過ごせるように献身的に働き、素晴らしい先生だった。海では、魚を捕まえて素早くすしにまでしてくれた。

 中学校の生徒たちは愛らしくもの静かだった。昼食や休憩時間には、楽しく交流した。ルイジアナでワニやザリガニを食べた話をすると、笑ったり驚いたりした。

 2年後、東京での仕事に変わった。2000年、ロンドンの映画学校に移った。多くの日本人学生がおり、一緒にいると古里にいるようだった。02年、長編映画の撮影のため東京に行った。撮り終えるまで計4回出かけ、04年が最後となった。

 福岡の人たちと今もつながりがある。生徒の一人とは電子メールでやりとりしている。日本が懐かしくなり、時々、豊前市の通りを歩くことを思い描く。居酒屋で焼き鳥を食べ、店や近所の人にあいさつをする。水田や丘や寺も見え、古里のように感じる。(寄稿)

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 ダニータ・ロレッタ・ジャクソン 米国出身。大学で文学を学び、93~95年、福岡県豊前市で外国語指導にあたった。現在、ライターや映画制作に携わる。48歳。