全国の地方新聞社と共同通信社が識者らとつくる「地域再生列島ネット」の意見交換は、東日本大震災を受け中止しました。震災後も地方はさまざまな課題を抱え、多くの知恵が求められています。そこで、新メンバーを加え、名称も「地・宝・人(ち・ほう・じん)ネット」と改めて毎月の意見交換を再開、特集記事を出稿します。
≪キャラクター活用を論議≫ 新たなアピール手段に 有効活用は知恵次第
地域発のキャラクターが人気を集めている。ヒーローから「ゆるキャラ」まで思い思いの姿で、わがまちの良さを訴える。全国の地方新聞社と共同通信社が識者らとつくる「地・宝・人(ち・ほう・じん)ネット」にも、個性的な活動を続けるメンバーがいる。第28回意見交換は、こうしたキャラクターの活用戦略を話し合った。
× × ×
地域キャラクターをめぐる「地・宝・人(ち・ほう・じん)ネット」のメンバーの意見交換では、新たなアピール手段として期待する声が上がった。一方、地域づくりがあってこそと、批判的な見方も。住民の求心力を高めるシンボルにもなるとの指摘もあり、有効活用できるかは知恵次第といえそうだ。
西尾真治(にしお・しんじ)・埼玉ローカル・マニフェスト推進ネットワーク事務局次長は、親しみやすさから「行政に変革をもたらすツール」と評価。キャラクターを行政で使っている都竹淳也(つづく・じゅんや)・岐阜県商工政策課課長補佐も、育て上げれば強い情報発信力を発揮できると指摘した。
ただ、熊紀三夫(くま・きみお)・高松丸亀町商店街振興組合企画室長(香川)は「イメージで地域は良くならない」と、現状のブームに疑問。舩木上次(ふなき・じょうじ)・萌木の村社長(山梨)も「目先の利益を求めると失敗」と批判する。長谷尾雅通(はせお・まさみち)・大分県国際政策課長は、地域づくりにコンセプトがないと「キャラクターの意味がない」とした。
このため、坂井隆(さかい・たかし)・サステイナブルコミュニティ総合研究所事務局長(青森)は「深い物語性」が重要と提起。河野達郎(こうの・たつろう)・おおず街なか再生館専務(愛媛)は、キャラクターに十分な歴史や文化などの裏打ちを求めた。
地域内の役割も指摘された。沼尾波子(ぬまお・なみこ)・日大教授は、全国的な知名度が低くても住民に親しまれていれば「地域を考えるきっかけに活用できる」と話す。白戸洋(しらと・ひろし)・松本大教授(長野)は「地域づくりに楽しんで参加する手段に」と提案した。

地方が獲得した表現手段 活動続ける島のヒーロー
「楽しいことをやろうという気持ちが始まり」。「地・宝・人(ち・ほう・じん)ネット」のメンバーで、鹿児島県・種子島のローカルヒーロー「離島戦隊タネガシマン」を続ける高磯勝俊(たかいそ・かつとし)さん(44)は話す。「だから、地域おこしは後からついてきた」と笑う。
本業は同県中種子町の職員。アニメや特撮ものが好きな青年団の仲間らと種子島アクションクラブを結成、1999年から公演を始めた。島内の1市2町や隣の馬毛島、地元を代表する花である芙蓉(ふよう)をイメージした計5人のヒーローが、悪人たちと戦うという設定だ。
「敵」は、農業衰退や人口減少など襲いかかる社会問題。タネガシマンは、島の人を奮い立たせようとメッセージを送る。「島を守る自信はないけど、愛することはできる」と、高磯さんは言う。原則として毎回新作という公演は200回を超え、地域キャラクターの先駆け的存在となった。
▽キャラの幅も拡大
各地で誕生するキャラクターは、ヒーローものだけでなく、かわいらしい外見を強調したものまでバリエーションが広がる。ことし、滋賀県彦根市で開かれた「ゆるキャラまつり」には、200以上のキャラクターが参加する大盛況となった。
こうした活動が広がった背景を、高磯さんはアニメや特撮ものが歴史を重ね、親子で楽しめる「共通言語」になったためとみる。自治体にとっても、遠くのスターより地元のヒーローの方が財政的な負担が少ないこともメリットという。
▽地元を知る手段
タネガシマンをあしらったTシャツなど土産品もつくられ、島の顔として定着しつつある。種子島観光協会から観光大使に任命され、島外へアピールする役割も担う。
ただ高磯さんは「地元の活動が大事」と話す。公演では、地域の話題や人を盛り込み伝えることに力を注ぐ。「こんな人がいるんだってと家庭で話題になれば、うれしい」という。地元を知った住民が「自分のまちも悪くないな」と思えることができれば「それがまちおこし」と話す。
地域のことは結局、自分たちでやるしかない。高磯さんは「下手でもやろうという気持ちが大事」といい、地域キャラクターは「東京一極集中から脱し地方が獲得した表現手段」と力を込めた。

◎外・宝・人
外国語教育や国際交流のため、政府や自治体、自治体国際化協会は海外の若者を各地へ派遣する「JETプログラム」を行っている。多彩な経験を積んだ人たちを「外・宝・人(がい・ほう・じん)」と名づけ、地域への思いを寄せてもらった。

私は2005年7月から2年間、高知県室戸市で小・中学校の語学補助教員をした。日本の暮らしは素晴らしく、多くの友人ができ、日本語も、そして土佐弁も上達した。この方言は、オーストラリアで勉強した日本語とは、かなり違っていたけど。東京や京都、神奈川、福岡などへの旅も貴重な体験だった。
オーストラリアに戻り、5~13歳の子どもに日本語を教える教師となった。体験は重要だ。日本で撮った写真を見せて説明すると、子どもたちはとても関心を持つ。教師が実際に行ったと分かっているので日本をよりイメージでき、多くの質問を寄せる。本では学べない体験を分かち合うことができる。
教室には絵はがきやこいのぼり、おもちゃなど日本から持ち帰った多くの品が飾られている。子どもたちは「どこで買ったの」「誰からもらったの」と盛んに聞く。広島や長崎の資料館の写真を見たり、日本料理や桜祭りをしたり、折り紙や着物も楽しむこともある。私は日本で習った物語や歌も教えている。
東日本大震災が起きた時、授業で地震や津波についてかなり詳しく話し、日本からの多くのニュースも見た。5歳の子どもも心配して、私に「日本のお友達は大丈夫?おうちが流されなかった?」と話してきた。「日本の子どもたちは、おもちゃがなくなってしまったんでしょ」と言って、お金を持ってきてくれた子どもたちもいた。
子どもたちの多くは日本を訪ねたくて、しばしば学校で旅行計画はないのかと聞く。残念なことに小学生では難しい。ただ、良い知らせもあると教えた。高校まで日本語を学び続けたら、数年ごとに日本への旅行が企画されることになっているのだ。それを知った子どもたちは、とても興奮していた。
日本で暮らして働いた経験は、私の人生を豊かにしただけでなく、日本という国を子どもたちと分かち合う多くの方法を教えてくれた。そして、日本への愛を子どもたちに伝えることもできるようになった。
× × ×
ジェシカ・ビンセント(Jessica・Vincent) オーストラリア出身。オーストラリアで日本語を学び、2005年から2年間、高知県室戸市で補助教員として働いた。帰国後も日本語を教える仕事を続ける。29歳。

