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地域再生列島ネットから

 地方が抱える問題を話し合うため、全国の地方新聞社と共同通信社が識者らとつくった。街づくりなどに取り組むNPOの代表者や研究者、行政担当者ら多様な専門を持つ47人で構成する。毎月、テーマを決めてメールで意見交換を進め、インターネット上の「シンクタンク」を目指す。


 【テーマ】地方自治体の新たな担い手は?

東朋治・神戸ながたTMO総括マネジャー

   自治の担い手は地域に根差した地権者、特に24時間地域に常駐する商業者が望ましい。

 例えば大災害でライフラインが途絶え、孤立無援かつ地域に老人子供しかいない時。救助活動や避難所運営に力を発揮するのは地域を熟知する商業者であり、体力のある若手がベスト。企業を退職したアクティブな住民を地域のタウンマネージャーとし、行政と地域で給与を含めてサポートをするのもよい。

 全国的な問題の商店街後継者不足は、若手リーダー不足に直結する。若手は地域活動に目を向ける余裕は少ないが、会議でなくイベントなどを通じて参加を促す方がコミュニティに溶け込みやすい。行政や外部はリーダー候補のサポートに徹する。地域が盛り上がるには、自分たちで考えた企画に限るからだ。

 素晴らしい地域振興施策・補助金も、使いこなす地域人がいなければ役に立たない。地域が永続的に反映するには、昼夜問わず地域で活躍する若手商業者に期待したい。 

沼尾波子・日本大教授(東京)

   正直言えば、自治の担い手といわれてもピンときませんでした。確かに農山村をみると、伝統的な家父長制のもとで物事を決める世界に囚われず、お母さん達がネットワークを構築し、お父さん達と役割分担・協力しながら取り組んでいる地域は、元気だという印象を受けます。

   しかし、多様な主体がそれぞれに活動しながら、その連鎖・連関によって地域全体が賑やかになっていくという姿を想像すると、特定の担い手ではなく、多様な担い手を繋ぐシステムのほうが重要であるように思えます。無論、こうしたネットワークやプラットホームを構築するのは誰か?という問いや、それをどのように成長・発展させていくのかという視点から「担い手」論を考える方法はあるかもしれません。

   いずれにせよ、単純に「行政」「住民」といった整理で論じられるものではなさそうです。また取り上げる地域課題の中身によっても、「当事者」としての登場人物は変化するように思います。

   「新たな担い手」として、これまでにはみられなかった様な人々が登場してきたり、また従前には見られなかったような人々の関わり方(連携の仕方)があるのでしたら、広い意味での「新たな担い手」として、色々な事例を教えていただきたいです。 

松田千春・滋賀県企画調整課副主幹

   公務員にしかできないことってなんだろう。「協働」という言葉は次第に職場に浸透してきたが、実態は住民参加のイベントであったり、委託先がNPOに変更されたりしただけで、公の範囲が広がったようには思えない。

   行政は他の主体と一緒に練り上げるという作業が苦手だ。委託と言いながら、全部やるか、任せっきりになってしまう。短期間での異動や柔軟性の乏しさも欠点とされる。

   一方で社会的信用や携わる分野の広さは長所と言えるのではないか。

   誰がやるかではなく、NPOや企業、学校、自治会等の主体が各々の長所を活かして寄せ木細工のようにつながった時、真の自治が生まれるのではないか。そのためには権限や財源をできるだけ生活に身近なところに移す必要がある。住民の自治への関心の希薄は、職住が離れていることも原因の一つであるように思う。江戸時代の村社会が一つのモデルではないかと最近興味をもっているところだ。 

沢井安勇・日本防炎協会理事長(東京)

   地域の自治は、特定の主体というよりは、市民・公共(行政・議会)・企業等の各セクターに属する多様な主体が協調的なネットワークを形成して実現する社会的統治関係(ソーシャル・ガバナンス)により担われることが基本。特に市民組織については、地域住民がその意思決定に全員参加しうる地縁型コミュニティ組織の役割・活動が重要。NPO型も含め、それぞれ多様な市民組織が持ち味を生かし合って自治経営に参加することが理想。公共セクターについては、特に、地方議会の再生・活性化が緊要。住民投票を主催するなど民意の反映力を強め、間接民主制を補強すべき。また、行政府は、政策形成・実施能力、利害調整能力等を高め、複雑で専門的な地域課題にも対応できる高度な自治経営権を獲得して、真の地方政府に脱皮すべき。最終的には、地域経営に関する中央政府の権限を地方ブロック単位で大幅に移譲した広域地方政府システムとしての道州制の導入も必然。 

河野達郎・おおず街なか再生館専務(愛媛)

   「街づくり」と一般的に称される世界に関わり始めたのが平成4年頃。行政とともに、「集客交流による地域経済効果創出」をねらって現在の街づくり会社の設立準備を始めたのが平成10年。以来、「話題性の発信」による「価値ある情報収集」を基本とした様々な取り組みや事業を展開してきたが、今では、当時の社会情勢とはずいぶん様子も変化し、人々の考え方も変わってきた。

   要因を挙げればきりがないが、はっきりしていることは、政治も様々な取り組みも東京中心というスタイルが合わなくなっているということではないか。「国づくり」という観点から、「自治」を観たとき、東国原知事や橋下知事等の動きに観られるように、「着地型政治」の流れができつつあるように思われる。

   ツアー業界では、「発地型」といわれる団体旅行を中心とした展開から、「着地型」といわれる田舎旅を主流とした地域プロデュース型ツアーにシフトされてきている。これは

、情報収集手段の革命的発展により、それまでの既製品的ツアー商品では感激が薄らぎ、人々のこころを動かすに足りなくなってきているためだと私は感じている。

   こうした動きが人々の間で拡散していっている以上、これらを司る「政治」や「自治」の流れも「着地型」へと変化しても不思議ではない。私は、これらの方面の学問をしたわけでもなく、それなりの業界で経験を積んで現在の仕事を承っているわけでもないが、ただ、これまでの経験から「実践理論」として申し上げると、次のような要素が「人材」には求められると考える。

   1.プロデュース能力の高さと行動力
   2.リアル&ビジュアルな話題性の発信力
   3.情報収集能力とマーケティング能力

   これらを兼ね備えた人材を養成していくためには、地域が自らの地域において切磋琢磨し官民一体となった「着地型自治」の展開が、現下の時代の要請ではないかと考える。 

河内山哲朗・前山口県柳井市長

 平成の大合併は全国の自治体はコミュニティにも大きな影響を与えた。自治体の範囲が大きくなることで、失われかけていたコミュニティの自治能力を目覚めさせた側面がある。

 自治の担い手の最小単位は、市街地であれば町内会、農村であれば集落だが、この単位で自治意識が目覚めれば大きな働きが期待できる。地域づくり、防災、防犯、子育て支援など今日の課題解決にかなり貢献できる。

 私が市長を務めていた柳井市には「ふるさとの道整備事業」という市民自らが市道を整備するというユニークな制度を持っている。市道用地は寄付、建設機材とアスファルトなどの資材は「市」が負担。施工の労力は市民が負担する。早く、安く(工事費は公共工事の9.4%)道路を作り、集落の皆さんは喜んでいる。

 自治の意識、すなわち自らが地域を作るという主体性が生まれることこそ地域を立ち上がらせる原点であると考える。 

長谷尾雅通・大分県財政企画監

   (背景)人口減少と高齢化が一気に押し寄せる地方、併せて住民ニーズの多様化により、行政サービスもハードからソフトへ大きく変化してきた。この間、社会活動の担い手としてNPOなどが台頭し、活躍の場を拡げつつある。(現状と課題)本県でも、NPOとの協働や育成に力を注いできた結果、団体数は412まで増加した。一方、市町村合併の進展後、限界集落がクローズアップされ、地域の担い手不足が顕著となった。(提言)自治の担い手は住民であり、その補助・執行機関として行政がある。住民活動や行政活動を担うNPOなどの優遇策について、税制も含めて、今以上のインセンティブを付与することが必要ではないか。また、本県では小規模集落応援隊を募集し、応募した企業等が限界集落への支援を始めている。様々な取組を通じて、地域の担い手を掘り起こすことが大事であり、団体間のネットワーク化を図り、地力をつけてもらうことも行政の責務である。 

高橋泰子・緑と水の連絡会議理事長(島根)

 自治の新しい担い手、それはNPOである。

NPOは法人格を持たない自治会などと法人格を有ものの2つに大別される。前者は戦後の隣組的要素をいまだに発揮し、若者がいなくなった田舎にあっては土地の保全、治安、教育、高齢者福祉、小さい額ながら会計処理業務もこなす住民自治の拠点となっている。後者のNPO法人は全国で約4万にも達しその活動分野は多彩である。その上住民側からの発生スタンスなので自治会の持つ地域力や人とのつながりを縦横無尽に使い問題解決能力が膨大である。緊急雇用対策事業や指定管理の受け皿にNPO法人が多くなり、益々行政的手腕が蓄積されてきている。中には地域や県を越え中央に物申し、法律を変えるまでの力量を発するところまである。認定NPО法人に至っては、その会計事務能力は行政をしのぐ。ふるさと納税のように夫々の活動資金が市民から集まり寄付文化が醸成されれば、新しい自治の担い手は両NPOとなりうる。 

阿部欣司・北海道電力地域担当部長

 自治経営で重要なのは行政、議会、NPO・企業・住民等民間の各セクターが目的に応じ主体・下支えの役割りを臨機応変に担う連携機能が円滑であることと考えます。この調整役は徹底した情報公開と各セクターが対等であるとの共通認識の下、信頼関係があれば、どのセクターでも良いと思っています。

 しかし、穿ち過ぎかもしれませんが、行政が施策について民間団体代表を集め、各数分間の形式的な意見を聞き、これをもって市民参加の施策として、議会に提案し、同意を得る「エセ市民参加手法」が時にみられます。これは議会と民間の希薄な関係を行政が突いた事象で、議会のあり方が問われています。

 この点、栗山町議会は町民との意見交換のため議会主催による一般会議の設置等、徹底した住民参加の機会を設け、民意=議会の関係になっています。これを背景に町の総合計画に議会案が大幅採用される等、議会の進化が自治の活性化に繋がっていると思います。 


 NPOは自治の新たな担い手を代表すると評価が高い。ただ、行政のトップの首長と議会は住民からの選挙で選ばれるが、NPOにはそれがないのに、何故NPOが自治の主体の一つとして認められるのか?

   それは、その様なNPOは行政・議会・住民からの支持・支援を受け、住民等の共感を得られるミッションを実践しているからだと思う。換言すれば、NPOは日頃住民等と接し、地域の資源価値・課題を把握し、住民が求めているものに応え、実践することにより、広範な支持を得、信頼関係が醸成される。これに基づいた活動を行っているNPOは、自治の主体の一つになり得ると思う。

 第1回にも書いた霧多布湿原トラストは4千人の小さな町にあるが、毎月、活動内容等を知らせる会報を全戸に配り、行政の執行部や議会メンバーとも意見交換している。更に行政、議会も住民からの信頼を得る努力を継続することが自治の熟度を高めると思う。 

藤波匠・日本総合研究所主任研究員(東京)

   自治の担い手として、市民、NPOの重要性は十分認識しておりますが、私は地方議員の存在意義を今一度見つめ直すことが重要だと思います。同様のご指摘は、澤井様の回答にもありました。未だ多くの地方議会では、質問も答弁も自治体職員に用意させているということを耳にします。これは、自治の崩壊というより、議員自ら議会の存在意義を放棄しているという以外、何ものでもありません。

 首長と議会が共に選挙で選ばれる日本型の二元代表制は、世界的に見て比較的珍しい自治スタイルだと聞いたことがあります。そうしたスタイルの特長をうまく生かした自治を遂行するためにも、議員が持つ条例を策定する権限、行政や首長を監視する役目を十分発揮してもらわなくてはなりません。そして何より、住民の声を十分に生かした政策を実現することに取り組んでほしいと思います。自治の中心は住民であり、それを政策に結びつけるのが議員の役割に他ならないからです。 

熊倉浩靖・群馬県立女子大准教授

 澤井さんのご意見を読み、全く同感です。その上で1つのことを加えたいと思います。

 協働の原語であるpartnershipの元々の使い方と日本での使われ方のギャップです。私が協働の意味でのpartnershipに初めて出会ったのは1997年のことです。高崎市の姉妹都市であるミシガン州バトルクリーク市で環境に配慮した形で経済の回復を進めるために「私たちはpublic private partnershipを進めてきた」と言われたのが最初でした。その時、publicは行政のことではなく市民と行政を共に指す言葉だと言われショックを受けました。市民と行政の協働と言いがちですが、市民と行政は公益達成という同じ原理に立っている、partnershipは、利潤という異なる原理で社会的任務を達成する企業(private company)との間でこそ成り立つと言われました。publicを市民と行政との共有概念として再確立することが新しい自治の基盤となると思います。publicを「みんな」と訳した福澤諭吉に戻ることが新たな原点となりそうです。 

真淵智子・伊香保おかめ堂本舗取締役(群馬)

   私が暮らす伊香保温泉は、日本初の温泉都市計画に基づいて石段を中心とした温泉街が形成された。江戸から明治初頭にかけて封建的階層制度が存在し、十二軒の「大屋」と呼ばれる権力者が合議の上、土地や温泉の権利を守り、村人に貸し与え、景観を整え、治安を守り、経済を支え、政治を司った。一部の人々による封建的制度ではあったが、彼らが先駆者利益に囚われず、末代までの公共の利益を重んじたことには敬服する。平成の大合併で行政は効率化したかもしれないが、民主主義の名の下に、多数決で進む自治には常に疑問を覚える。住民の意見を満遍なく取り入れた平均的な答えが常に正しいとは限らない。交通も情報網も整備された現代で、少数の首長による封建政治を望むわけではないが、地域の中長期の利益を考え、強力なリーダーシップを発揮できる有力な地域住民が、地方議会や行政に対して発言権を持つことで独自性の高い自治がなされることもあろうと思う。 

吉井仁美・八戸市水産科学館館長(青森)

   地域は産学官民が重なり合って成り立っています。それぞれの分野で目利きと言われる人材を育て続けていくことが大事であり、全員が地域の担い手とならねばなりません。物事は助走・成長・成熟・衰退の繰り返しで成り立っていると考えております。各分野の人々がこの繰り返しを深く理解すれば自ずと取る行動は決まります。助走する為には目的意識を持って目標に突き進む意志の強さ、成長するには努力を怠らず、成熟を迎えるためには視野を広くし、衰退を避けるためには自分を超える人材を育成することが大事だと考えます。物事を客観的に見つめ平等の優しさを持って物事を実行できる人間こそが地域の担い手になれるのではないかと考えます。担い手は物事を見極めることが出来る目利きにならなければならないと考えます。担い手を確保し力を発揮して貰うためには、個人の価値を認め、その働きに対し正当な評価と対価を与えることが大事であると考えます。 

渡辺英彦・富士宮やきそば学会会長(静岡)

 自治とは「自らのことを自らの手で処理すること」であり、地方自治の本旨は住民の意思に基く「住民自治」にある。

 一口に「住民自治」と言っても誰が何をすればいいのか、理想は住民一人一人が自ら考え責任を持って行動することである。

 第一回の議論でも「教育の重要性」に焦点が当てられたが、よく教育された住民が自ら考え、行政サービスの監視や補完を積極的に行うこと、たとえ小さなことであっても自分達に出来ることから実践することが「住民自治」につながるのだと思う。

 富士宮では、「やきそば」に続けと一般市民自ら地域資源を活かした商品開発やサービスを企画する「富士宮市地域力再生総合研究機構」を立ち上げた。行政や業界から与えられるのではなく、地域に必要な活性化戦略を自ら考え生み出すためだ。結果に対する責任と共に、やりがいを感じることで住民自治が促進されていることを実感している。 

鈴木泰弘・小名浜まちづくり市民会議副会長(福島)

 小名浜まちづくり市民会議は、地域の様々な30の団体、50社の地元企業、300名の市民参加によりまちづくりの市民運動と町の総括的なマネジメントを行っています。

 行政と民間とのパートナーシップが進められている昨今、県や市とまちづくりを協働で進めるいくつかの協定を結び、都市計画マスタープラン策定やその進捗管理、港湾の賑わい空間作りと運営管理などまちづくりを進めるためのシステムを構築して来ました。

   これからの地域自治の担い手は、地域市民であると思いますが、そのためにも、そのまちと地方に合わせた永続的なまちづくりの仕組みづくりが大切であると感じています。

   またその仕組みづくりと共に、統括したまちづくり団体として、例えば漁業の再生や、中心市街地の賑わいづくりなど、それぞれの団体や市民の目線で話し合い、一緒に仕事をして行くことで多くの人たちが関りを持ち、担い手の輪が拡がっています。

田中幹夫・富山県南砺市長

 現在我が南砺市においても高齢化と過疎による地域の問題点の解決策として地域コミュニティーの維持が更に重要となってきている。   

   「協働」をキーワードにがんばる自治振興会応援プログラムや協働モデル事業を実施して先ずは地元の力を活かす事業から。それ以上に大きな問題点のある場合は先ず集落支援員による問題の抽出を行います。そして市民公募での「七転び八起き塾」なる若者による地域のリーダー養成塾や市民協働ワークショップ事業などを予算化し地域の実情にあった解決策を考え実行する仕組みづくり。更にはNPOや合同会社とのタイアップ事業による地域再生、地域を考える事業を取り組んで行こうと思っています。いままでも世界遺産でのオーナー制度等、都市農山村交流事業にも幅広く取り組んでおります。

   地方の問題点は地域住民だけでは解決できない事が多くなってきているのも現実です。さらに住民と一体感の中で市内全域の市民の皆さんと。さらには都市住民との連携・協働が絶対必要だと思われます。その仕組みを作るのが行政だと思います。

小林敬典・鳥取県政策企画総室長

 地域社会への貢献による自己実現、地域に愛着を持つ文化活動、地域経済への波及効果

を狙った地場産品開発など、民間主体の地域活動が全国各地で活発になってきている。

   鳥取県は人口が全国最少で、人と人、人と地域の結びつきも強く、コンパクトなまとまりがあるという特性を持っており、ボランティア活動に住民が関わった割合が34.5%で全国一(H18年10月総務省調査)でもある。

   こんな活動を担うキーパーソンは、これからはやはり経験と知識が豊富な団塊の世代なのではないだろうか。この世代の皆さんが次世代を担う青少年たちに、地域活動の提供と体験参加を促し、手を取り一緒になって成功体験・成功事例を一つひとつ積み上げ地域で地域の形を創って行く。大人が子ども達に教え、子ども達は素直に大人の真似をして学ぶ。忘れかけていた、経験ある先輩と可能性を秘めた後輩とのこんな営みと関係が地域社会の底流にもっと太く根付いていいように思う。

伊豆哲也・TMO佐賀タウンマネジャー

 佐賀県では数年前からNPO法人や市民活動組織、ボランティア等の志縁組織と自治会、町内会、婦人会、PTAといった地縁組織を合わせてCSO(Civil Society Organization=市民活動組織)と呼称し、自治の担い手とすべく育成に取り組んでいる。今回のテーマ「自治の新たな担い手は誰か」と問われれば反射的にCSOと答えたいが、正直なところ、地縁組織の多くは保守的で時代に対応できていないし、志縁組織は思いばかりが先行するか、いつまでも行政頼みから抜け出せない組織が多く、成熟度がレベルに達していないと感じている。

 しかし、全体的にはそうであるが、私の身近には地味だが確実に活動の幅を拡げ、影響力を増している組織がいくつかある。最近そうした組織の共通点を見つけた。それは活動の中心になっているのが、団塊世代前後の婦人達ということである。欲張らない、頼らない、自分達のできることをコツコツと積み上げているこの方たちこそリーダーではないか。 

白戸洋・松本大教授(長野)

   地域では、「百人の一歩」より「一人の百歩」で、自ら実践する「リーダー」が必要だ。リーダーは、住民であったり、自治会や公民館、NPOであったり、時には首長や行政職員であったりする。しかし、リーダーが機能するためには、地域の住民自治が欠かせない。

   私は、住民自治とは、「嫌いな人とどうやったら一緒に生きていくことができるか」だと思う。様々な価値観や立場をお互い認めあい、なんとか一緒に暮らしていく場が地域だと実感している。そのために、まず一人ひとりの問題を「みんな」の課題にしていく「学習」とそれを通じた地域の合意形成が必要だ。

   松本駅西地域は、高齢化率が50%に近く、しかも再開発による立退きで人口が3分の2になった。開発の大きな波に飲みこまれると誰もが予想したが、住民が自らの課題を持ち寄り、何十回と学習を積み重ね、住民協定を検討し、高いビルを建てさせず、アルプスの景観を守り、市の景観条例を引き出した。

日本はトップダウンの「教育的手法」で急速な発展を遂げたが、身近な問題の解決を住民自らが図る「学習」が軽視された。住民の「学習」こそが自治の原点ではないだろうか。 

窪田裕行・福井県政策推進課課長補佐

   豊かな暮らしは地域と助け合わなくても生きていける時代を作った。地域活動に全く参加しない人も増え、地域社会は崩壊の危機だ。

   かつての地域には「信頼のつながり」があった。今やその発露である「祭り」に存続できないものも出始め、現代の地域では信頼からは程遠い「安全・安心」を模索中である。

   NPOが自治の担い手としての役割を果たし切れないのは、活動そのものを「信頼のつながり」にまで高め切れない、または、それを目指していないからであると感じている。

   福井県庁の20代、30代若手職員がまとめたレポート「ふくい2030年の姿」では、これからのものさしをQOLではなくQOC(Quality of Communityとして表わそうとしている。

   若者でもこう考えているのだ。就労と地域活動の両立を維持し、ある意味壊してきた団塊の世代を中心とする年代が、今こそ「達年世代」の集大成として、信頼をベースとした地縁の復活の立役者となるべきである。 

山崎美代造・とちぎインベストメントパートナーズ前社長(栃木)

 現地方自治制度では、自治の主体は団体自治、住民自治である。しかし、団体自治は財政難で自治力を失っている。住民自治は市町村合併により行政と住民の間が希薄になっている。議会は儀礼化して、地域の意思との乖離が大きくなっている。これを補完するのは住民の行政への直接的参加である。例えば自治会代表やNPO等予算編成の骨格について意見を述べ,それを条例等により尊重するシステム作りである。議会が反対すれば住民の条例制定請求権の行使を行えばいい。もう1つは集落レベルの自治である。これは集落単位の崩壊が問題になっている。本県の場合、周辺市町村が合併した日光市は、過疎地を含む多様な課題を抱え様々の対応策を模索している。宇都宮市のNPOによる雪かき支援、バスの地元法人やボランティアによる運営など手作りの知恵が生まれている。他力支援と地域住民の自立力、これを支える行政、まさに三位一体が地域自治の新しい担い手と考える。 

吉成信夫・県立児童館いわて子どもの森館長(岩手)

   担い手はNPO(地域に根を張るタイプ)と迷わず応じたい。でもここには私の願望も入っている。ここ岩手でNPOは育っていないと感じるからだ。やりたいことを自由闊達に何ものにも縛られず、自らのリスクで事業化するところにこそNPOの存在意義があるはずだが、実態は県や市町村の下請け機関になっているものがほとんどだ。産学官の鉄のトライアングルを崩して、住民・市民の席をそこに創るにはまだまだ実力不足と感じている。地域では自治体の力が圧倒的に強いままだ。でも、地縁、血縁、感情のしがらみを乗り越えて、住民自治を取り戻す試みも確かにある。私の住む町でも高齢化が進みけもの道を歩いて山の上までお墓参りができなくなったお年寄りのために集落総出で道路を作ってしまった事例がある。これはNPOでなく集落の話だけれど。まずは自力更生、補助金に頼らないところからNPOは始めるべきだ。志と理念は生みの苦しみを経て初めて育つものだから。 

田村亨・室蘭工大教授(北海道)

   自治を「自らも構成員であるコミュニティによる自助」の発展と考えて、その首長の意思決定を支援する担い手としては2種類の人が必要ではなかろうか。ひとりは「地域内の宝の発掘ができる人」、他のひとりは「宝を地域政策にまとめ上げられる人」である。前者は、自由人でありながら、責任をもって組織的に行動することもできるタイプの人々であろう。その地域の出身者でなくとも、地域の外の視点が地域の良さを発見することにもなるので、複眼的思考ができる人が望ましい。後者として、地方自治体内の諸部局や経済団体等の各種関係者をまとめていくためには、高度な地域づくりのノウハウが求められることから、そうした実務能力に長けたシンクタンク的な人材(地域プランナー)が適任であろう。そして最後に、2種類の担い手が議論する場が必要であり、その議論の様子を公開することが重要である。その意味で、地元紙、地元FM局などマスコミの役割も大きい。 

平竹耕三・京都市文化芸術都市推進室長

 私は、自治の担い手に大切なのは「当事者性」だと思う。NPOであれ、地縁団体やPTAなどの旧来の団体であれ、地域の課題に対して当事者として向き合う団体であれば、その形態は問わない。むろん、株式会社であっても、運営次第で自治の担い手となり得る。

 ただ、それぞれの団体の内部で、構成員が方針決定に参画できる民主主義が保障されていなければならない。各構成員が当事者性を持って地域の課題に向き合わなければ、団体が構成員を離れて当事者性を持つことはできないからである。

 これからの地域自治は、住民が居住地の活動のほか、医療、教育など関心あるテーマごとの活動に重層的に参加し、様々な分野の専門家が専門の立場から協力する仕組みが望まれる。それらを前提に、より広域的な課題を担う自治体との間で協働する形が新たな自治の形と思う。結局のところ、当事者性を持つ団体がこれからの自治の重要な担い手である。 

木村陽子・地方財政審議会委員(東京)

 問題の設定が大きすぎて、答えることが難しいと同時に、この数十年間、絶えずあった問いかけのような気がします。それぐらい地域社会の変遷が大きかったということでしょう。

   自治の内容が総合的なものであれ、目的を絞ったものであれ、自治という言葉が使われる場合、地域が特定あるいは限定されているように思います。

 そうすると、自治の新たな担い手はそれまで自治の担い手でなかった人達いうことになります。新たに流入してきた人やUターンした人、女性や若者、外国人などいろいろな例が全国各地にみられます。少子高齢・人口減少社会は地域の担い手の「属性」を変えます。

 しかしこれは表面的なことであり、自治の担い手はいつも変わらない、つまり、「他人の痛みを自分の痛みとできる人」、「このままではいけない」という強い問題意識を持つめげない人だと思います。 

小山良太・福島大准教授

   自治の新たな担い手、地域の担い手ということですが、問題なのはこの場合の「地域」、自治の範囲をどのように設定するかということだと思います。当然、行政範囲が前提になると思いますが、例えば、優れたリーダーが存在し、地域づくりの成功事例となる町村の隣に非常に疲弊した農村が隣接するというケースが存在する。福島県では地域ブランド認定を受けている南郷トマトの産地の近郊には、その原料供給を担うだけの農村が存在します。地域づくりや地方自治の先進地の近郊でも同様の傾向があると思われます。

このような後進地域では、先進地とのネットワークや交流(都市と農村も含む)を内部化した新たな担い手組織が必要ではないかと考えています。ここでの問題は、恒常的な交流構造の構築が可能かということになるかと思います。当大学でも、幾つかの自治体と地域連携協定を結び、農村部をエリアキャンパスとして設定することで、教員・学生が恒常的に地域活動に参画できるようにしていますが、「よそ者」の枠組みを越えることは難しい状況です。恒常的な交流やネットワーク化は必要であるが、それを持続的に担保する取り組みにはまだ至っていないのが現状です。 

都竹淳也・岐阜県商工政策課課長補佐

 「県民協働」と言われ始めて、10年ほどになる。地域住民組織やNPOなどを新たな自治の担い手と位置づけるという流れであり、すっかり定着した感がある。岐阜県でも、審議会などの政策立案の場にNPOが参画し、事業を受託することも多くなった。しかし、行政側に、NPOなどを「行政のサポーター」と位置づけ、便利な外部団体のように扱う風潮があることには、いつも違和感を覚える。

   本来、自治の担い手は自発的な地域づくり活動を行う住民だ。私の知るNPOの多くも、行政のためではなく、各々の思いで地域のために活動している。行政は、教育や警察、社会資本整備など、住民だけではなしえない仕事を行い、住民を補完するのが基本である。

   その上で、住民と行政が、人口減少など地域の課題についての共通認識を持つ場をつくることが大切だ。各々がなすべきことを考えるきっかけをつくり、対等な立場で連携することが、本来の「自治」を生み出すと思う。 

黒木定蔵・宮崎県西米良村長

 南国宮崎は、早々の梅雨明け宣言が昨日(7月12日)に出された。いよいよ本格的な夏の訪れで、しばらくは酷暑との戦いの日々が続きそうだ。さて、今回のテーマ「新たな自冶の担い手は?」についてだが、近年、地方の過疎の進行の結果「限界集落」という悲しい表現の地域が発生している。 私たちの村にもそう叫ばれる集落が1つ存在しており、その集落では近い将来の居住の否定に繋がる現状と、過去への報恩の念の狭間で、老人達の心は重く揺れている。この様な中で、「座して死を待つ」ことにだけはなりたくないと言う住民の最後の挑戦が始まった。今までの高度経済成長を為し遂げた経済レベルでの地域の継続・発展と行政主導のあり方が否定され続けた結果である事を踏まえ、自分達の地域は自分で創ると言う住民の主体的な発想と抵抗が始まったのである。        

 住民総参加の下「一集落一経営体」の形態

構築の可能性を模索しつつ「平成の桃源郷・小川作小屋づくり」に着手された。行政からも1名の派遣職員と8名の地区担当を配置し、民官協働の村づくりにチャレンジ中である。このような相互補完機能をの下の「住主公従」の地域自治が新たな自治と活性化の方向ではないかと思う。 

東四柳史明・金沢学院大教授(石川)

   昨今、地方分権の強化を通して、地域の再生をはかることが強く求められていますが、それに実効力を高めるためには、国の政策転換と併せて、地方自治体職員や地方議会議員など、地方自治の担い手の意識改革が先ずなりよりも大切です。県や市町村の職員には、地方公務員の安定した地位に安住することなく、地域住民の声に謙虚に耳を傾け、迅速な行政的対応を求めます。さらに国や県に対しても、卑屈な陳情的態度に陥ることなく、地域の立場を明確に説明し、理解を得る能力を培うべきです。地方議員においては、住民本位の政策をしっかりと勉強をすることが急務で、行政職員との間には、なれあいを排し、常に緊張関係を保つことが大切です。また地元の各種団体や町内会、公民館などは、豊かな発想と行動力に富んだリーダーと事務局職員の育成に努めるべきで、そのためには行政の支援も必要でしょう。従来の地方自治組織の在り方を再点検し、地域に有為な人材を得ることが肝心です。 

公文豪・高知短大非常勤講師(高知)

   今回の意見は、設問そのものへの疑問、批判です。

 今回のテーマは「自治の新たな担い手は誰か?」ということだが、正直言って設問の意図がわからない。結論的には、自治の担い手は、そこに住んでいる住民全体としか言いようがないからだ。納税者としての義務を果たしている住民には、納めた税金をどのように使うか、またどのように使われているのか、すべて平等に議論に参加し、行政や議会から報告を受ける権利がある。設問は、NPOや地域おこしグループの活動などを念頭においているのかも知れないが、これらの活動は任意のもので、代議制度のように全住民から負託を受けたものではない。それは「地域を元気にする新たな担い手」であっても、言葉の厳密な意味で「自治の新たな担い手」とは呼べない。古くても新しくても、自治の担い手は共同の経費を負担している全住民以外にはいない。出資者全体をさておいて、特別に「自治の新たな担い手」を考えるのは、民主主義の大原則から逸れる危険性がある。 

熊紀三夫・高松丸亀町商店街振興組合専務理事

 新たな担い手;「自治を担う団体が、その地域の、店舗から強制的に自主財源を徴収できるシステムをもった組織」。地域の自治において抱えている問題の一つに自主財源の確保の問題がある。管理する団体の形態は、その地域ごとに第3セクターや振興組合であったり、NPO法人であったりと環境に応じてかわるべきである。しかし、どの様な形態であったとしても、自主財源が確保されなければ組織そのものが空中分解してしまう事が多い。商店街組織においても景気の良かった時代では青年会といった組織がボランティアで町の維持管理に活躍をしていた。しかし、昨今の中心市街地の衰退によって状況がかわったとたん、青年会がボランティアで町の維持管理を行うことができず、今までの活動が一切停止してしまう。このように、時代の浮き沈みに影響されてしまうと結果としてさらに状況を悪化させてしまう。そういった事からも、その地域が良くなるといったい誰が利益を得るかというと、そこに住んでいる地権者であり、住人や店舗である事を考えると、その利益を得る住人や店舗が当然財源に関するリスクもとるべきである。この財源の問題を企業や補助金、助成金に頼っている限り、その町の自治を中長期的に行う事は必ず行き詰まりを見せる。

   これからの少子高齢化の時代においてはやはりコンパクトシティーへの構想が重要であると考える。しかし、現在の中心市街地で町の再開発を行う場合において、最終的に土地問題にぶつかってしまい、遅々として進まない事が多い。地権者が調整すべき点も多々あるが、税制上の問題や道路利用の問題など行政サイドでなければ解決できない問題も多々ある。

   また、中長期的な戦略の中で、戦略的に学校や病院、都市交通の整備を行う事で中心市街地での居住を促す政策が必要であると考えます。 

舩木上次・萌木の村株式会社社長(山梨)

このブラウザではこの画像を表示できない可能性があります。  私は開拓の村・清里で生まれ、その地の開拓者の一人、清里の父と呼ばれたポール・ラッシュ先生の作られた清里農村センターで育った。その後、清里で萌木の村という農業と文化を融合した観光施設を経営している。

   その萌木の村の広場で、毎夏13日間の野外バレエ公演をしている。今年20年目を迎えるこの企画は、今思えば無謀というしかない状態で始まったのかもしれない。田舎で経済的基盤もなく人口も少ない、ましてや雨、雷、台風の影響のある野外。すべて無から有を作り出す。経費は劇場公演の倍以上、入場料は農家の人や地元の人が来て頂ける設定のためにチケット代金は半分に抑えるという設定。なぜ、そんなことが今まで続いたのか。それは、“感動”ということを知ったことによる力なのだと思う。人は希望と誇りを持つことができれば、明日に向かって努力することができる。

   それは、今の日本を見ても同じだ。経済が政治がとか言っているが、今、一番問題なのは人が壊れてしまったことだと思う。日本人はすばらしい歴史を持つ国だ。いつでも良いことを良い物を作ろうとする考えを持って行動してきた。人生もその小さな積み重ねをすることで名人という人がたくさんいた。実はフィールドバレエは今まで毎年毎回、難の連続、数え切れない自然との戦い。そして、共生、この難を乗り越えて来た結果として、すべての関わる人たちが名人になっていたということだと思うのです。映画でも舞台でも音楽でも同じです。そこにいる関わる人たちで作り出す風、空気。私たちが行ってきたことは決して都会の劇場に近づかない。この野外にこだわる。それは大きなリスクを伴うことです。しかし、それだから、星空の下で、月の夜でできた時のあの会場で得られた“感動”は、まさに大きなリスクを背負って冒険家が目的を達成した時の“感動”と同じものを手に入れることができるのです。

   私は地方とか田舎とかは差別用語でもコンプレックスもつことではないのです。それこそ、そういう所に住める誇りを持つべきなのです。なぜ、全国一律にしなければならないのですか。便利を追求して皆、幸せになったのですか。人生うまくいって3万日。すべての人は先人たちからたすきを渡され、命を受けた時から死まで走るのです。そして、次の世代へたすきを渡していく。まるで駅伝のようなものだと私は思うのです。その3万日の人生の中で人間にとって大事なものは何なのでしょうか。それは誇りではないのでしょうか。

   私は最近、自分の思い出作りを今までしてきたような気がします。しかし、これからは他の人の思い出作りをする手助けすることが私の役割だと思うようになりました。子どもたちや若者や地域やそして人生のゴールが近づいている人にも思い出、心に残ること・ものをプレゼントすること。もしかして政治もそういうことなのではと思うようになりました。フィールドバレエで学んだこと、それは“感動”の追求が共有できた時、また、新たな“感動”が生まれる、それが希望。それぞれが、それぞれらしく。街づくりも同じです。


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