柿崎明二 日本再生考

日本再生に何が必要か。この国はどうすれば活力を取り戻せるのか。月1回、有識者に語ってもらう。

柿崎明二氏

柿崎明二氏

柿崎明二(かきざき・めいじ)1961年秋田県生まれ。早大文学部卒。88年共同通信社入社。1993年から政治部で首相官邸、外務省、旧厚生省、民主党、自民党、社民党などを取材。2011年から編集委員。著書に「『次の首相』はこうして決まる」(講談社現代新書)、共著に「空白の宰相」(講談社)がある。

第9回 精神科医・野田文隆氏

野田文隆氏

▲野田文隆氏=東京都豊島区の大正大

 野田 文隆氏(のだ・ふみたか)48年宮崎県生まれ。東大卒業後、コピーライターを経て千葉大 医学部卒 。著書に「間違いだらけのメンタルヘルス」など。

団塊世代

 —超自我は、なぜなくなったのか。

 「かつては、超自我から自由でありたいと思って反抗、あるいは乗り越えようとして鍛えられもした。問題は(戦後復興期の47〜49年ごろの第1次ベビーブームに生まれた)団塊の世代。数が多いこともあり、親どころか現実の権力に挑んだ。しかし、くじけてしまった。ガラッと世の中が変わって、親と子、権力と国民が仲良くなって確執がなくなり、乗り越えるべき超自我がなくなった。そしてくじけやすいへたれ世代が誕生した」

 「そのくせ世の中の要求は強まっている。大阪出張もかつては泊まりがけだったが、日帰りになり、今やメールで済ませと。ハイデマンドで、生活にのりしろがない、気ぜわしい時代になった。出来ない人は追い込まれるし、出来る人ももっとやれとなりエンドレス。みんなあっぷあっぷだ」

 —臨床での変化は。

 「かつては死ぬほど働いてうつ病になって倒れ、最後の最後にクリニックに来た。それでも帰るべき先は会社であり、仕事だった。頑張って再生するという発想があったが、今は病気であることを役割にするシックロールのようなケースが多い」

一元化

 —道徳の教科化など安倍政権は超自我を復活させようとしているようにも見える。

 「そうなのだろう。古き良き日本みたいなものを守りたいのでは。ただ、政治的に復活させようと思ってできるものではない。一人一人の心の中の問題なのだから」

 —民主党には超自我を感じなかった。

 「自民党長期政権が超自我だった。政権を獲得した民主党はそれを乗り越えたという幻想を持ったが、自民党が時代に適合しなくなったことの裏返しにすぎなかった。実際、民主党政権は、お父さんがいなくなった子どものようにほとんど何もできない体たらくだった。また、お父さんが出てきて、後始末しようとしているような感じだ」

現代人の心をめぐる問題をどう考えるべきか、精神科医で大正大教授の野田文隆氏に聞いた。

 —ストーカー殺人事件などを見ていると人々が自己を制御できずにいるように見える。

 「昔は親や世の中からすり込まれた超自我があり、『ならぬものはならぬ』という歯止めがかかった。今は超自我なき時代、何でもありになった。また、かつてはストーキングしていたら周囲から恐ろしいやつと見られた。ふられた女を追い掛けないというモラルスタンダードが緩くなった」

 「泣いて諦めるとか、それを糧にして勉強で昇華するとか、新しく旅立つ物語がない。スマホ中毒もそうだが、目の前に縛られ切り替えができない。新しい景色があることを教える人がいない」

 —かつてはドラマや小説も役割を果たした。

 「物語が多様化し、あらゆるストーリーが展開されている。1960年代、『若者たち』というテレビドラマがあった。親を亡くした兄弟が、超自我としての兄貴を中心に確執を乗り越えながら歩んでいく。同様のドラマはその後も続き、時代のモデルストーリーとなった」

「超自我」なき時代 旅立ちの物語不在  価値観の多様化を

「物語が多様化し、あらゆるストーリーが展開されている」と語る野田文隆氏

▲「能力主義や成果主義を受け入れたが、消化できていない」と語る野田文隆氏=東京都豊島区の大正大

 —しかし、復活は不可能と。

 「そう、アナクロニズムになってしまうのではないか。生き方、そして国のかたちを考え直す時期に来ている。特にゆとりを持てない価値観を何とかしないといけない。かつては能力のある人が仕事をして、能力がない人も義理人情で抱え込んでいく護送船団方式が可能だったが今は難しい。成果主義は『オレ成果を上げなくてもいいや』という人、ゆとりや余裕を重視する人の存在も前提とした制度だ。しかし、日本では価値観の一元化が進む。かつては終身雇用、今は全員が成果に重きを置いてしまう」

 —価値の一元化を変えるには。

 「本当の開国だ。入国管理の手続きを緩和して、国益に資する人々は受け入れる。欧米だけでなく多様な外国人からゆとり、余裕を優先する文化、価値観を体で学んでいくべきだろう」

 —歩みは早くはなさそうだ。

 「一つの時代が終わり、悪い時代を迎えているが、『長い目で見れば、育成期間だ』と考えて、もう一度、ヒナを育てていくように日本のかたちをつくっていくという発想があってもいい」

 —やはり政権交代があると。

 「人口減少、高齢化、財政難、グローバル化…。ある問題を解決しようとして政策を進めると、マイナスを被る人々が必ず出てくる。そんな問題が、いくつもある。特定の政党が永続的に与党にいようとすると問題を解決できない。与党が行き詰まった場合、もう一つの政策体系、コミュニケーションチャンネルを持った勢力が問題解決にあたる必要がある」

 —政権交代イコール民主党政権という固定観念を切り離すべきだ。

 「そうだ。政権交代を進化させなければならない。それには政権移行をスムーズに行うことが必要だ。民主党は自分たちだけでマニフェスト(政権公約)をつくり、実現可能性を検証していなかった。官僚とのすりあわせが必要だ。野党が、抵抗する官僚を説得、新たな政策体系を生み出すことは不可能ではないし、与野党に緊張感を生む」

「しかし、黙っていて官僚が野党の手助けをするわけがない。組織的に野党と官僚が接触できるようにすべきだ。政権交代が常態化する中での政治主導は、究極の官僚主導だ。官僚が常に新たな与党、次の与党に即応するようになるわけだから。それを正面から認めるべきだ」

 欧米中心でない開国を 価値観多元化が必要 

 説明するまでもないだろうが、野田氏が現代社会で、失われたものとして挙げた「超自我」は精神分析の創始者フロイトが提唱した概念だ。

 「現代精神医学事典」によると、超自我とは内在化された両親の影響(命令と禁止)で、それには個人の資質、家族、人種、国民の伝統や社会の要請が含まれるという。

 また、その機能は「自我に対する観察、良心(罪悪感の生成など)、理想(劣等感の生成など)」と定義されており、個々の成長や社会の進歩を促すものとされている。

 野田氏は超自我喪失のきっかけを、学生による反体制運動をけん引した団塊世代の「くじけ」と指摘、その「政治的な復活」は難しいと主張する。

 代わりに挙げたのが、欧米中心ではない「開国」。具体的にはアジア、アフリカ、中東をはじめとする多様な外国人受け入れによる価値観の多元化だ。そして価値観の多元化を前提としたグローバリズム、能力主義、成果主義を追求せよというのが野田氏の提言だ。

 グローバリズム、能力主義、成果主義の是非など日本社会の在り方をめぐる議論が行き詰まりを見せる中、大きなヒントとなる提言である。=2013年11月22日 

米英豪の政権移行制度
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