柿崎明二 日本再生考

日本再生に何が必要か。この国はどうすれば活力を取り戻せるのか。月1回、有識者に語ってもらう。

柿崎明二氏

柿崎明二氏

柿崎明二(かきざき・めいじ)1961年秋田県生まれ。早大文学部卒。88年共同通信社入社。1993年から政治部で首相官邸、外務省、旧厚生省、民主党、自民党、社民党などを取材。2011年から編集委員。著書に「『次の首相』はこうして決まる」(講談社現代新書)、共著に「空白の宰相」(講談社)がある。

第6回 東北大教授・鈴木岩弓氏

鈴木岩弓氏=仙台市青葉区の東北大学

▲鈴木岩弓氏=仙台市青葉区の東北大学

鈴木 岩弓氏(すずき・いわゆみ)51年東京都生まれ。東北大文学部卒。共著に「いま、この日本の家族—絆のゆくえ—」など。

心のケア

—その場合、育成に取り組んでいる「臨床宗教師」の出番では。

「そうした社会をにらんで養成を始めたわけではないが、対応は十分できるだろう。超宗派、超宗教の立場から宗教的なケアを行う専門職だから」

—臨床宗教師はどのように生まれたのか。

 「東日本大震災の直後、仙台市では仏教、神道、キリスト教、諸教の宗教者が集まってボランティアで被災者支援を行っていた。 檀那寺 (だんなでら) の住職さんと連絡がとれない遺族の依頼で、最後のお別れを行うなどした。震災からの時間経過とともに、『犠牲者の弔い』に加えて『遺族のグリーフ・ケア』が主な活動となった。こうした活動が再構成されて『心の相談室』という組織が定着し、中立性を担保するため国立大学である私の研究室で事務局を引き受けている」

 「この活動の中で、異宗派、異宗教の被災者と向き合うことになった。宗教的背景が異なる被災者に対する宗教的ケアはいかにあるべきか、布教ではなく、超宗派、超宗教的に心のケアをどうすべきか、という問題に直面し、臨床宗教師という専門職の必要性に気付いた。昨年4月から東北大学に寄付講座が開設され、既に40人近くの宗教者が研修を受けた」

 

役割顕在化

 —非常時に宗教本来の役割が問われた。

 「宮城県南三陸町の防災庁舎から無線で町民に避難を呼び掛け続けて津波の犠牲になった女性職員の実家は曹洞宗だったが、彼女の葬儀は被災者支援に献身的に取り組んでいた浄土真宗のお坊さんがあげたという。日常のシステム、ネットワークが失われる中で、個別性を超えた宗教の持つ本来の役割が顕在化した」

不安感漂う社会に宗教はどう関わるべきか宗教 民俗 学者の鈴木岩弓東北大学教授に尋ねた。

—誰もが将来に不安を感じる社会になった。

 「よく高齢化社会といわれるが、正確に言うと、今は超高齢社会だ。人口学的には65歳以上が総人口の7%を占めると高齢化社会、14%から 21%が高齢社会、それを上回ると超高齢社会という。さらにこれからの日本は、同時に多死社会でもある」

—これからの課題は。

 「死を社会がどういう形で受け入れるか、といった極めて現実的な問題が浮上してくる。戦後、民法から『家制度』がなくなり、『家意識』さえ薄くなった近年、子が親の面倒を見、子孫が先祖を祭るというこれまでの日本では当たり前に見られてきたシステムが揺らぎ始めている」

攻宗教は生者も救え 
 超宗派の立場も  進む無縁多死社会 

ネットをうまく使いこなせる人たち、高適応群は、必ずしも本来の適応群ではない」と語る高田明典氏=横浜市泉区のフェリス女学院大学

▲「死を社会がどういう形で受け入れるか、といった極めて現実的な問題が浮上してくる」と語る鈴木岩弓氏=仙台市青葉区の東北大学

—死者だけでなく生者にも向き合う。

「本来、宗教は生者も救うものだ。しかし、日本の宗教、特に仏教は、『葬式仏教』という言葉があるように死者相手の宗教と思われるようになってしまった。病院の緩和ケア病棟に、神父さんがいてもおかしくはないが、お坊さんがけさを着て入ると、『ちょっと早いよ』という話になる」 「仏教にも、自己の死をどう見つめて、どう迎え入れていけばいいかを説いた臨終行儀がある。近年の日本では、そうした伝統を発揮する場がなかった。超高齢多死社会を迎えるに当たり、宗教はもっと生者に寄り添うべきだ。臨床宗教師の活動を契機に宗教の立ち位置が変わっていけたら」

—家も地域も人間関係が希薄になる中での宗教の役割は。

 「東日本大震災支援という非日常の場で、異宗派、異宗教の被災者と向き合い、宗教、宗教者が公共性を持つことが期待されていることが分かった。これから迎える無縁化が進んだ超高齢多死社会も、ある意味これまでとは違った非日常の社会だ。そうした社会では、自身の宗派、宗教の教えを踏まえながらもそれを超え、時には無宗教の人をも包み込む形で、多様な宗教的背景を持つ一人一人の宗教性に寄り添える宗教者、臨床宗教師が必要となる」

どう考える弔祭の社会化 
 社会的統合にも影響

 人の死をどう扱うかは極めて個人的な問題と考えられている。それは、亡くなった人を家族がみとり、送ることが常識とされているためだけではない。その意思と力を家族が持っているからだ。

 その大前提が今、崩れ始めているようだ。誰にもみとられないまま死を迎え、時間が経過してから発見される孤立死、孤独死の増加は、家族が成り立たなくなったか、その意識の希薄化によるものだろう。

 さらに、鈴木氏によると、葬式をあげ、墓を維持する意思、あるいは力がない家族が増えているという。家族の死に関わらない人たちが増えているのだ。

いずれの場合も家族に代わって行政が行う可能性が多い。その先にあるのは、鈴木氏が言う 合祀 (ごうし) 墓なのかもしれない。「弔祭の社会化」である。

その費用もさることながら、より大きな問題は弔祭の社会化が個々人の意識と社会的な統合に与える影響だろう。家意識の希薄化が進んでも、家は社会の最小単位と考えられている。その最後まで残るはずの機能を行政が代替することは想定されていなかった。どう対処していくのか、考えるべき時が訪れている。(共同通信編集委員 柿崎明二)=2013年08月09日

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