柿崎明二 政治劣化考

進まない政策、動かない国会・・・。政治の劣化要因とその克服策を月一回、各地の有識者に語ってもらう。

柿崎明二氏

柿崎明二氏

柿崎明二(かきざき・めいじ)1961年秋田県生まれ。早大文学部卒。88年共同通信社入社。1993年から政治部で首相官邸、外務省、旧厚生省、民主党、自民党、社民党などを取材。2011年から編集委員。著書に「『次の首相』はこうして決まる」(講談社現代新書)、共著に「空白の宰相」(講談社)がある。

第2回 思想家・内田樹氏

内田樹さん=神戸市東灘区の道場「凱風館」

▲内田樹さん=神戸市東灘区の道場「凱風館」

内田 樹氏(うちだ・たつる)50年東京都生まれ。東大文学部卒。専門はフランス現代思想。現在は合気道道場主。著書に「日本辺境論」など。

おじさん

―大物イメージか。

 「『剛腕』は、無理やり物事を進めることではない。あちこちに『貸し』を作っておいて、いざというときに『取り立て』ができるネットワーク構築力のことだ。潜在的な『敵』にさえ『貸し』がある政治家が無理を通せる。何を考えているかよく分からないおじさん、このタイプの政治家を信認する場合には、政策の適否ではなく、その人の人間的度量を見るしかない。『俺に任せておけ、悪いようにしないから』という言葉を信じるしかない」

―よく分からないおじさんは嫌われる。

 「アカウンタビリティーをうるさく政治家に求めるようになってから、わかりやすい政策を掲げ、譲歩も妥協もせず、チキンレースでアクセルを踏み続ける強気な兄ちゃんタイプの政治家が世界のリーダーになった」

―何人かの顔が思い浮かぶ。

 「政権を取るまでは、反対派をつぶす気合で戦わなければならないが、いったん統治者になったら、反対派も含めて、国民全体を代表しなければならない。それが公人の責務だ。立場の違う人々から『この人は私の気持ちを代弁してくれるかもしれない』という期待をかけられなければ国民的統合は果たせない」

―無党派層の増大や衆院小選挙区制度導入の影響もあるか。

 「大きいと思う。有権者の政党支持理由があいまいになっている。『なんとなく』、まるで店頭で品を選ぶように政党支持がくるくる変わる。自民党も野党根性むき出しで言葉が非寛容になっている。かつての自民党の持ち味だった『清濁併せのむ』ことで国民的統合をめざすという度量はもう見られない」

既成政党が機能不全に陥り、新党に期待が集まる現状を内田樹氏に分析してもらった。

―政治劣化の要因は。

 「外交、内政を問わず、メディアと国民から過度の透明性やわかりやすさを求められ、政治過程が単純化し、深みを失った。選挙や世論調査で、人間的見識や厚みに信頼を託すということがなくなり、個別政策への賛否が問われるようになった。結果的に、政治家はフリーハンドを失い、マニフェスト(政権公約)に縛られるようになった」

― 一方、橋下徹大阪市長が支持を集めている。

 「大阪維新の会も、劣化への倦厭が生み出した。選挙に勝って、『直近の民意』を盾にとって完全なフリーハンドを要求する。しかし、

『直近の民意』を掲げたせいで、頻繁に選挙を行い、そのたびに有権者にアピールする新奇な政策を打ち出さなければならない」

―ある程度のわかりやすさは必要では。

 「政治は本来ややこしいものだ。国益を守るためには、譲歩し、譲歩を引き出す複雑な交渉技術が必要だ。そのようなデリケートな交渉に臨むためには反対派を含めた国民からの負託がいる」

 「交渉過程の透明性やアカウンタビリティーは国益上、必ずしも最優先ではない。ヤルタ会談で、チャーチルらが、何を譲って、何を取ったのかは分からない。いくつかの密約は墓場まで持ってゆかれた」

分かりやすさ求めすぎ 強気の兄ちゃん型席巻 透明性最優先ではない

「潜在的な『敵』にさえ『貸し』がある政治家が無理を通せる」と語る内田氏=神戸市東灘区の道場「凱風館」

▲「潜在的な『敵』にさえ『貸し』がある政治家が無理を通せる」と語る内田氏=神戸市東灘区の道場「凱風館」

挙国一致

―政党間の在り方はどうあるべきか。

 「東日本大震災直後は、大連立内閣を立てるべきだった。政権の延命に加担するリスクを冒しても、自民党が、国難に立ち向かう姿勢を示して、成果を挙げていれば、国民の政治不信や国政の停滞への倦厭感もここまで進行してはいなかったのではないか。政権交代前の大連立騒動もそうだった。与野党ともに、おのれの整合性や一貫性に固執したせいで、政治が止まってしまった」

―克服策は。

 「劣化プロセスはまだ止まらないと思う。次

の衆院選で、橋下市長らが第三極に躍進して政権に入る可能性は高い。しかし、彼がこだわっているのはトップダウンの組織をつくり統御することだ。自治体レベルではそれも可能かもしれないが、国政は『給料分だけ働くイエスマン』では回せない。高い士気と献身を求めるためには、もっと雄渾で、夢のある国民統合の物語が必要だ。国民に喝采と服従だけを求める政治家に国難的状況は担えない」

―絶望しかないのか。

 「行くところまで行って底を打って反転するのが日本の国民性格だ。ただ、底を打つのはまだ先だ。激動する国際社会を生き延びるためには、政党もメディアも有権者も揚げ足とりはやめて、『挙国一致』の宏大な和解をめざす必要がある」

清濁併せのむのか 問われる国民の覚悟

 「透明性や分かりやすさ」を求めるメディアや国民の姿勢を、政治劣化の要因に求めた内田樹氏には当然、「筋が違う」と批判があるだろう。しかし、不透明性の象徴であった派閥政治に代わる統治システムを構築できず、野党に転落した自民党の姿を振り返ればうなずける部分もある。

 政治の現状に対する反動で、金権問題で失脚した田中角栄元首相への待望論が出てきている。コンピューター付きブルドーザーと称された決断力、実行力への渇望であろうが、それは派閥政治を前提としたものだった。

 メディアも国民も、その派閥を「密室政治」や「金権」の元凶として嫌悪。解消を狙って政治改革を督促した。派閥を拒み

ながら、派閥政治の実力者を待望する姿勢は「ややこしいもの」である政治課題を「わかりやすく」解決しろ、という矛盾そのものだ。

 何人かの政治家の顔が思い浮かびそうな「チキンレースでアクセルを踏み続ける強気な兄ちゃん」も、その矛盾に応えるために生まれたタイプだ。しかし、このタイプに政治を任せることは、自らも「チキンゲーム」に巻き込まれる危険性をはらむ。

 不透明性や分かりにくさという「濁」も、ある程度のみこむのか、それとも政治家に矛盾を求め続けるのか。国民も問われている。(共同通信編集委員 柿崎明二、2012年02月17日公開)

「大阪維新の会」のような地域政党に期待するか
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