柿崎明二 日本再生考

日本再生に何が必要か。この国はどうすれば活力を取り戻せるのか。月1回、有識者に語ってもらう。

柿崎明二氏

柿崎明二氏

柿崎明二(かきざき・めいじ)1961年秋田県生まれ。早大文学部卒。88年共同通信社入社。1993年から政治部で首相官邸、外務省、旧厚生省、民主党、自民党、社民党などを取材。2011年から編集委員。著書に「『次の首相』はこうして決まる」(講談社現代新書)、共著に「空白の宰相」(講談社)がある。

第5回 フェリス女学院大学教授・高田明典氏

三浦瑠麗氏=東京都内の自宅

▲高田明典氏=横浜市泉区のフェリス女学院大学

高田 明典氏(たかだ・あきのり)61年東京生まれ。早大大学院文学研究科修士課程修了。現代思想評論家。著書に「ネットが社会を破壊する」など。

ある種の寂しさ

—過剰になるのは感情だけではなさそうだが。

「ネットは増幅装置だ。できないことをできるようにするわけではない。能力や技術をより強化、拡大することは出来る。当初、ネットによって社会が平等になるとする考えもあったが、実際は『格差』が拡大している。成功した者はさらに高度な技術を獲得していくからだ。『持てる者がますます持つようになる』図式だ」

—増幅以外の特徴は。

 「もう一つは群化だ。傷つくのが嫌だから、同じ意見を持つ、自分たちのコミュニティーの中で、おしゃべりを繰り返す。そして、自分たちの考えだけが正しいと思い込んでしまう。ヘイトスピーチはその最たるものだ。ただ、悪気はないから、会ってみると肩すかしにあったように純粋な人だったりする」

 

—大学でも問題が起きているのか。

 「ツイッターで『カンニングした』とか『授業中にケーキを食べた』とつぶやいたりする。説教するが、ピンと来ないようだ。学生にも事情があるのだろう。ある種の寂しさ。過激な 発信をすると みんなが反応してくれるから、さらに過激になる。加害者か被害者になる可能性を持っていることを分かっていない」

 —自覚なし、が怖い。

 「ネットをうまく使いこなせる人たち、高適応群は、必ずしも本来の適応群ではない。例えば、引きこもり。家の中にいても全く困らない。買い物だけでなく、ゲーム、それを使ったお金もうけ…。高適応群のように見えて社会的弱者になっている例もかなりある」

反射的思考

 —ネットが変容させたもので具体的な現象は。

 「教員の間で、言われているのが、『優秀な学生はどこへ行った?』。問題

インターネットとの向き合い方についてフェリス女学院大学の高田明典教授に語ってもらった。

—ネットがわれわれ、社会に与える影響は。

 「まず、感情の過剰反応を促している。われわれは、生身の対面型のコミュニケーションを前提にして進化、社会も発達してきた。そこに、主に文字だけのコミュニケーションが登場、生身のコミュニケーションも出来ていない若者層に急速に広まった。自分と違う意見を攻撃とみなして、頭に血を上らせて激しく反論する、逆に、殻に閉じこもる。声の抑揚、顔の表情、身ぶり手ぶりなどのチャンネルを持たない文字中心のコミュニケーションの特徴だろう」

—感情に作用すると。

 「特に『孤独』や『悪意』を増幅する。現実生活で、寂しい人が絆を求めてネットに入っていっても、無視されて、疎外感を感じることになりかねない。また、悪意を抱いて入っていくと、無視、忠告、警告が攻撃と感じられ、悪意のよろいを身につけ、時に仲間を広げもする。残念なことに改心することはほとんどないし、良心や寛大さが増幅されることもまずない。往々にして悪意に攻撃されて、良心や寛大さを削られかねない。良心は悪意に反撃できないからだ」

攻ネットは孤独、悪意を増幅 
 利用者間格差も拡大「生身」の対話能力必要 

ネットをうまく使いこなせる人たち、高適応群は、必ずしも本来の適応群ではない」と語る高田明典氏=横浜市泉区のフェリス女学院大学

▲「ネットをうまく使いこなせる人たち、高適応群は、必ずしも本来の適応群ではない」と語る高田明典氏=横浜市泉区のフェリス女学院大学

意識を持ち、自分で勉強して、われわれにぶつける、そんな学生がどの大学にもいなくなった。まず、問題意識を持っていない。そしてネットでそれを探してしまう。そこにはないことが分かるならまだしも、だいたいは、他人の問題意識をそのままコピペしてくる。『本来、学問は自分や社会が抱える問題を解くためのものだ』という教育をしてこなかったところにネットが登場したからかもしれない」

一方、ネットは、民主主義を活性化させると言われているが。

「問題は、ネットに必要なのが、即座に反応する『反射的思考』だということ。頭の 回転が速い 、機転が利く、当意即妙、そんなことがもてはやされる。熟慮、私は『反省的思考』と呼ぶが、それは、むしろ邪魔者扱い。これはネットのせいだけではないが、社会が熟慮をおとしめている現状がある。しかし、民主主義は熟慮を必要とする。十分な知識と思考で、時間をかけて意思決定することで初めて機能する。問題を考え続ける忍耐力がなくなれば、それは衆愚に陥る」

—ネットをなくした方がいいと。

 「なくすことはできないし、技術の粋を集めたものだからうまく育てないといけない。生身のコミュニケーションができていない若者はある意味、被害者だ。会社面接で、携帯の番号登録者数の多さを披露するなどすっとんきょうなことを言ったりして。生身のコミュニケーション能力を持たせた上で、触れさせるべきだ。本当は高校生ぐらいまでは触れさせない方がいい。しかし、小さい時から使わせるなら、使い方ではなく付き合い方を教えないといけない。当然、生身のコミュニケーションの力を伸ばすことが必要だ」

「答えがある」は錯覚 
 ネットの弊害認識を

 部下に「インターネットの弊害について調べて」と命じたら、ネットだけで調べて、ご丁寧に結果もメールで送ってきた—。他社の記者に聞いたネットにまつわるエピソードである。多少の誇張はあるだろうが、「答はこの中にある」と思わせてしまうネットの弊害を端的に表した話だ。

 ただ、このエピソードを紹介してくれた記者は、「テレビが登場した当時も、思考力を奪うと批判されたが、その通りにはならなかった。ネットも同じで、結局は『最近の若者は…』という話になるのではないか」とも付け加え、いずれ社会はネットを使いこなすようになるだろうとの見方を示した。

 しかし、私はどうしても合点がいかなかった。ネット、特に検索エンジンは、「能動的に何かを調べているかのような錯覚」をわれわれに与え、書いてある内容を無批判に受け入れさせる傾向があると感じるからだ。

 しかし、私はどうしても合点がいかなかった。ネット、特に検索エンジンは、「能動的に何かを調べているかのような錯覚」をわれわれに与え、書いてある内容を無批判に受け入れさせる傾向があると感じるからだ。

勢い、他社の記者とは議論になり、決着がつかなかった。しかし、弊害を認識すること、生身のコミュニケーション能力を身につけることが必須という高田氏の指摘には異論はないだろう。そして、それはネットの中では身につかないことも。(共同通信編集委員 柿崎明二)

インターネット利用者数と人口普及率の推移
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