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日米原子力同盟史Ⅰ

青森県六ケ所村の再処理工場内にある使用済み燃料プールをバックにした遠藤哲也氏(左)とマーティン氏のコラージュ

青森県六ケ所村の再処理工場内にある使用済み燃料プールをバックにした遠藤哲也氏(左)とマーティン氏のコラージュ
太田昌克 おおた・まさかつ

太田昌克(おおた・まさかつ)1968年富山県生まれ。早大政治経済学部卒業、政策研究大学院博士課程修了、博士(政策研究)。92年共同通信入社。広島支局、大阪社会部、高松支局、外信部、政治部、ワシントン特派員を経て2009年から編集委員。06年度ボーン・上田記念国際記者賞、09年平和・協同ジャーナリスト基金賞を受賞。近著に『日米「核密約」の全貌』(筑摩選書)。

 被爆国日本は非核保有国でありながら世界で唯一、使用済み燃料の再処理を軸とした核燃料サイクルを推進してきた。その後ろ盾は日米同盟の盟主米国。1987年調印の日米原子力協定でレーガン政権は日本に再処理の「特権」を認めた。しかし、再処理で出るプルトニウムを使用目的のないまま大量貯蔵しないという前提条件付き。当時の米政府内には実際、兵器転用可能なプルトニウムを非核保有国が自由に扱うことへの反対論があった。東京電力福島第1原発事故後、プルトニウム消費のめどが立たず前提が崩れる中、米国内に懸念が芽生えている。

  国難

「東海再処理工場が完成し、操業を始めようとした77年、米国が『待て』と言ってきた。『国難来たり』という感じだった」。外務省で原子力政策に長年携わり、原子力委員長代理も歴任した遠藤哲也(78)は36年前の衝撃をこう振り返った。

 日本の原発用燃料は米国から供給される濃縮ウランに依存していた。このため68年発効の旧日米原子力協定は、使用済み燃料の再処理に際し、日米両国の「共同決定」を義務付けた。「共同決定と言えば聞こえはいいが、米国の拒否権を認めていたわけだ」と遠藤。

 天然資源の乏しい日本は、原発導入を決めた直後の56年、初めて策定した「原子力開発利用長期計画」で「燃料サイクルを確立するため増殖炉、燃料要素再処理などの技術の向上を図る」との方針を決定。以降、原発から出る使用済み燃料を再処理し、抽出したプルトニウムを高速増殖炉で再利用する核燃料サイクルを国策としてきた。

政府はこれに基づき、茨城県東海村に再処理工場を建設。米国との「共同決定」を経て再処理実施の青写真を描いていたが、77年にカーター政権が「待った」をかけた。遠藤の言う「国難」到来だった。

 「待った」の理由は、74年にインドが「平和的核爆発」と称して強行した核実験。平和利用目的で供給したカナダ産原子炉と米国産重水を悪用してプルトニウムが製造された事態を受け、米国は核不拡散政策を強化、カーター政権は再処理の国際的規制に動いていた。

生殺与奪の権

 激しい日米交渉の末、カーター政権は東海再処理工場の稼働を渋々認めるが、米国に「生殺与奪の権」を握られた現状を変更したいとの思いが日本側に募った。

 その後、81年に再処理により寛容なレーガン政権が登場すると、日米は翌年から原子力協定の改定交渉に着手。遠藤も交渉団に加わった。

 日本側の最優先課題は、将来の再処理実施を米側があらかじめ同意する「包括的事前同意」の獲得、つまり米国からの拒否権剥奪だった。

 「長期的で予見可能な日米原子力関係構築のために、包括的事前同意が必要ということはお互いが分かっていた」。遠藤がこう回想するように、米側で交渉を直接担当した国務、エネルギー両省は同盟強化の観点から、日本の立場を支持した。

新協定は87年1月に仮調印、日本が切望した「再処理への事前同意」が初めて認められた。

 しかしこの後、首席代表として交渉をまとめた遠藤に「死角」が訪れる。非核保有国に再処理を認めることに米政府内から反対論が噴出したのだ。

 日本を信頼

 当時の米エネルギー副長官、ウィリアム・マーティンが証言する。

「米原子力規制委員会(NRC)が日本への包括的事前同意の付与に否定的見解を示し、国防総省は反対した。同省は『日本に認めれば、それが前例になる。韓国や台湾も求めてきたらどうするのか』と主張し出した」

 遠藤も「国防長官の側近が『日本にプルトニウム利用を自由にさせるのは問題だ』と反対した」と言及。NRCは査察実施の観点から、青森県六ケ所村の再処理工場で年間800トンの使用済み燃料を再処理したら、核爆弾数十発分に相当する200〜300キロのプルトニウムが配管に残ることを懸念したという。

 マーティンによると、米政府内の意見が割れる中、ホワイトハウスは賛成派の国務、エネルギー両省、反対派の国防総省とNRCを集めた会議を招集。最終的に司会役の国家安全保障会議(NSC)幹部のコリン・パウエルが「新協定に賛成する。レーガン大統領が日本を信頼しているからだ」と賛意を示し、協定改定が了承された。直後の87年11月、新協定が正式調印、翌年発効した。

 それから25年が経過した現在、日本は再処理でプルトニウム約44トンを保有。しかし2年前の原発事故後、大量のプルトニウムを再利用していく現実的な道筋を政府も電力業界も示せていない。

 使用目的のないプルトニウムをためないという再処理実施の前提が大きく揺らぐ中、現在のオバマ政権内からは六ケ所村の再処理工場稼働を危惧する声が上がっている。(共同通信編集委員 太田昌克、敬称略)=2013年06月30日 

青森県六ケ所村にある使用済み燃料の再処理工場=2012年6月

青森県六ケ所村にある使用済み燃料の再処理工場=2012年6月

被爆国に唯一の「特権」 再処理、米政府内に反対論

広島、長崎への原爆投下で本格的な幕を開けた原子力時代は、福島第1原発事故を受け大きな転換点を迎えた。核保有とは決別する一方、原子力の平和利用にまい進してきた被爆国。原子力時代の裏面をえぐり、核と日本人の軌跡を追う。

崩れた前提、懸念の盟主

日米原子力協定 

日本は1955年に米国と結んだ原子力協定で濃縮ウランの供与を受け、原子力研究を本格化。68年の新たな協定で商業用原発の導入を促進した。この協定では、米国が供給する濃縮ウランを原料とした使用済み燃料を再処理し、プルトニウムを抽出するには米国の同意を個別に取り付ける必要があった。その後88年に発効した現行の協定で、米国は日本の再処理に「包括的事前同意」を付与、日本の商業再処理路線を後押した。

コラム

「日本の再処理必要ない」  米、イラン核問題も意識

 日本は現在、英仏両国で再処理したものも含め、計約44トンのプルトニウムを保有している。うち約30トンが核分裂性物質で単純計算すると核爆弾5千発分に相当。しかし一昨年の原発事故後、政府と電力業界はこれを消費する道筋を示せず、懸念を募らす米国では「日本の再処理実施は必要なし」との声が政府関係者から上がっている。

 オバマ政権は、「核の平和利用」としてウラン濃縮を進め、いずれは使用済み燃料の再処理も行うかもしれないイランの動きも意識しながら、日本のプルトニウム問題を注視している。

 「(青森県六ケ所村の)再処理工場は技術的な問題続きで予算超過。日本には既に大量のプルトニウムがある。再処理継続に特段の必要性や価値があるとは思えない」

 オバマ政権1期目で核政策を統括した前米ホワイトハウス調整官のゲイリー・セイモア氏はこう言明。国務省高官も「いつもイランから『米国は日本にフリーパスを与えている』と苦言を呈される」と明かす。

 1988年発効の現在の日米原子力協定は30年が経過すれば、いずれかの国が行う半年前の通告により終了可能。2018年に一応の期限を迎えるため、日本のプルトニウム問題を背景に、改定を求める声が米議会などで高まる可能性がある。

コラム