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被爆地と被ばくⅢ

長崎大が設置したホールボディーカウンター測定室をバックにした岡島俊三氏(右上)と沢田昭二氏のコラージュ(測定室の写真は岡島氏提供)

長崎大が設置したホールボディーカウンター測定室をバックにした岡島俊三氏(右上)と沢田昭二氏のコラージュ(測定室の写真は岡島氏提供)
太田昌克 おおた・まさかつ

太田昌克(おおた・まさかつ)1968年富山県生まれ。早大政治経済学部卒業、政策研究大学院博士課程修了、博士(政策研究)。92年共同通信入社。広島支局、大阪社会部、高松支局、外信部、政治部、ワシントン特派員を経て2009年から編集委員。06年度ボーン・上田記念国際記者賞、09年平和・協同ジャーナリスト基金賞を受賞。近著に『日米「核密約」の全貌』(筑摩選書)。

 長崎の爆心地から東約3キロにある西山地区は、原爆投下直後に「黒い雨」が降り注いだことで知られる。「死の灰」を浴びた1954年の第五福竜丸の被ばくを機に、米科学者が放射性降下物の問題を過小評価できなくなる中、日米の科学者は69年に西山地区で内部被ばく調査を実施。しかし被爆から約四半世紀後の実測には限界があった。
 それでも、この時の実測値を逆算して被爆者の内部被ばく線量を推定。日本政府はこれを根拠に「線量は少なかった」と今なお主張するが、実態と懸け離れた線量逆算は、内部被ばく軽視という"落とし穴"を招いた。

世界唯一のデータ

 高度汚染地域に数百人が生活する地域は世界中に西山しかない。内部被ばくデータが欲しい--。
 長崎大医学部教授の 岡島俊三 は60年代後半、国連科学委員会の日本人専門家からこう持ち掛けられた。国連科学委員会は、核実験の人体や環境への影響を調査するために設立された機関だ。  「内部被ばくは普通の測定機で測れない。どうしてもホールボディーカウンター(WBC)でなければ、だめだった」。既に退官し、現在92歳の岡島が回想する。
 当時WBCを持っていたのは、第五福竜丸事件を受け設立された放射線医学総合研究所(放医研)などごく一部の研究機関。岡島は長崎大を通じ政府から予算を獲得し、69年初頭には鉄50トンを使った厚さ20センチの「鉄室」にWBCを設置、自然界の放射線を遮る精密測定が行える体制を整えた。
 こんな岡島の動きを注視する科学者集団がいた。被爆者の追跡調査を行う米研究機関、原爆傷害調査委員会(ABCC、現在の放射線影響研究所=放影研)だった。
 「ABCCから『共同調査しないか』と言われ、僕がABCCの顧問を兼ねることになった」と岡島。50年代末に被爆者へのWBC調査を模索したが実現できなかったABCCは、米国人放射線専門家らを岡島の元に送り込んだ。

メカニズム解明

 岡島とABCCは69年、西山地区で「黒い雨」に遭った50人、非被爆者50人、2シーベルト超の高線量被爆者50人、原爆投下時は爆心から10キロ以上離れていたが後に爆心地周辺に入った50人を調べた。
 「調査に協力してもらうための説得や車での送り迎え、仕事を休んで来る人への補償はABCCが引き受けてくれた」。岡島がこう語るように、50年以降、12万人の被爆者の追跡調査を行ってきたABCCの協力とノウハウなくしてWBC調査は不可能だった。
 調査の結果、西山地区の住民の体内に取り込まれたセシウム137の量は非被爆者の約2倍に上ることが判明した。「明らかに高い値。汚染された農作物を食べているからで、土や野菜の放射線を測定したら、内部被ばくとの関係が分かった」と語る岡島。「黒い雨」が染み込んだ土壌で栽培した農作物を摂取することで内部被ばくに至るメカニズムが解明された。
 岡島は81年に再調査を実施。被ばく線量が69年時の3分の1以下に減少していることを突き止め、汚染土壌から採れる農作物を介し体内に残るセシウムの半減期を「7・4年」と分析した。
 その後、放影研と共同論文を執筆し、有効な半減期を「7・4年」と仮定した上で、WBCの実測値から逆算し「45〜85年までの40年間の内部(被ばく)線量は男性で0・1ミリシーベルト、女性で0・08ミリシーベルト」との推定値を公表した。

すり替え

 極めて低い線量を意味するこの推定値は、政府の支持するところとなった。今年6月に開かれた原爆症認定制度に関する有識者会議でも、厚生労働省の担当者が同じ数値を繰り返した。
 しかし、岡島らのはじき出した推定値には重大な問題が潜んでいた。物理学者で被爆者の名古屋大名誉教授、 沢田昭二 (81)がこう指摘する。
 「半減期にはいくつか種類がある。内部被ばくで重要なのは(排せつや代謝で体内の放射性物質が減る)生物学的半減期だ。セシウム137の生物学的半減期は大人なら約90日で、原爆投下直後に体内に取り込まれた放射性降下物は一年間で10分の1に落ちる。WBC調査が行われたのは被爆から24年後。被爆時の内部被ばく実態を示す放射性物質は、かけらも残っていなかったはずだ」
 この点を岡島にも聞いてみた。「(原爆投下時にさかのぼる)昔のものは分からないだろうが、69年時点の内部被ばくの現状を調べたかった」。岡島は自身の行った線量逆算に限界があったことを認めた。
 「WBCが測定したのは69年当時の周辺環境から体内に取り込まれたセシウムで、原爆投下直後の放射性降下物ではない。だが政府は『被爆時の放射性降下物による被ばくの結果だ』と議論をすり替えている」。沢田は内部被ばく問題に対する政府の姿勢を指弾した。

長崎市西山地区

長崎市西山地区

長崎市西山地区に降った放射性降下物

長崎市西山地区に降った放射性降下物

岡島俊三氏が1969年に内部被ばく調査のために使ったホールボディーカウンター測定室の断面図(岡島氏提供)

岡島俊三氏が1969年に内部被ばく調査のために使ったホールボディーカウンター測定室の断面図(岡島氏提供)

四半世紀後の実測に限界  内部被ばく軽視の温床

広島、長崎への原爆投下で本格的な幕を開けた原子力時代は、福島第1原発事故を受け大きな転換点を迎えた。核保有とは決別する一方、原子力の平和利用にまい進してきた被爆国。原子力時代の裏面をえぐり、核と日本人の軌跡を追う。

線量逆算、落とし穴に

内部被ばく

 食べ物や水、呼吸、皮膚の傷などを通じて、放射性降下物に含まれた 放射性物質や放射性微粒子を取り込み、体の内部から放射線を浴びること。放射性物質の中には体内で特定の臓器に集中的に蓄積するものがあり、例えばヨウ素 は甲状腺、セシウムは全身の筋肉に取り込まれやすい。プルトニウムなどが出す放射線の一種、アルファ線は、透過力が弱く空気中では3センチも進めないが、 人体への影響は極めて大きい。

内部被ばく
コラム

見直される間接被爆   残留放射線の影響裏付け

 核爆発から1分以内に出た初期放射線ではなく、それ以降に放出された残留放射線の医学的影響を重視する研究が近年目立っている。原爆の爆風や熱線、放射線を間近に受ける直接被爆ではなく、「黒い雨」に代表される放射性降下物を浴びる間接被爆の実態を見直す動きだ。
 広島大原爆放射線医科学研究所の 大滝慈教授は最近、広島の爆心地から1・2〜2キロで被爆した人が固形がんで死亡するリスクを高める要因のうち、初期放射線の影響は最大3分の1以下にとどまるとの研究内容を公表した。
 教授らは1970年1月1日に生存していた広島の被爆者2万7643人を追跡調査。白血病などを除く固形がんで死亡する確率を調査したところ、1・2〜2キロの被爆者について、初期放射線の影響のみを考慮した場合の3倍のリスクが算出された。教授は「肉親などを捜すため屋外に長時間とどまり、高い残留放射線を浴びた可能性がある」と解説する。
  沢田昭二名古屋大名誉教授は脱毛や下痢など急性放射線症状の発症率を調べ、1・2キロ以遠では放射性降下物による被ばく影響が初期放射線より大きいと分析。国が申請を却下した被爆者の原爆症認定をめぐる訴訟に寄与した。(共同通信編集委員 太田昌克、敬称略、2012年12月9日、肩書きは当時)

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