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『平和利用』の裏面史Ⅳ

 ウィーンの国際原子力機関(IAEA)本部を背景にした谷弘氏(左上)、菊地昌広氏(左下)、長部猛氏のコラージュ

 ウィーンの国際原子力機関(IAEA)本部を背景にした谷弘氏(左上)、菊地昌広氏(左下)、長部猛氏のコラージュ
太田昌克 おおた・まさかつ

太田昌克(おおた・まさかつ)1968年富山県生まれ。早大政治経済学部卒業、政策研究大学院博士課程修了、博士(政策研究)。92年共同通信入社。広島支局、大阪社会部、高松支局、外信部、政治部、ワシントン特派員を経て2009年から編集委員。06年度ボーン・上田記念国際記者賞、09年平和・協同ジャーナリスト基金賞を受賞。近著に『日米「核密約」の全貌』(筑摩選書)。

 日本は非核保有国で唯一、ウラン濃縮から使用済み燃料再処理までの核燃料サイクル施設を商業規模で持つ国だ。濃縮・再処理技術は核兵器開発にも転用可能なため、「特別の地位」を堅持するには厳格な核査察が不可欠となる。日本は自身の潔白を証明しようと、国際原子力機関(IAEA)の査察に加え、独自の国内査察制度を拡充。IAEAを頂点とする査察体制の"死角"を埋める一方、時折飛び出す核武装論が、「被爆国の査察官」による不拡散努力に影を落としてきた。

力量不足

 1977年3月、IAEA本部のあるウィーン。日本の核拡散防止条約(NPT)加盟を受け、日本がIAEA査察を受け入れる保障措置(査察)協定が作成された。
 IAEAは核物質が兵器転用されないことを確認するに当たり、「国内査察制度による認定」を「検認」する方法で査察を行う―。協定第3条には、日本が自ら行う「国内査察」の結果をIAEAが検査して認定する「検認」の手法を使って、査察を効率的に進める方向性が示されている。
 日本は協定交渉で「日本に対する査察と欧州原子力共同体(ユーラトム)が受ける査察との間に不当な差があってはならない」と主張。ユーラトム自身が行う査察をIAEA査察官が「観察」する方式で査察の簡略化を図る「ユーラトム並み」の適用を求め、第3条の文言を獲得した。
 しかし協定が発効したばかりの70年代後半、日本に「ユーラトム並み」の力量はなかった。
 日立製作所や米ゼネラル・エレクトリック(GE)などが出資する核燃料加工会社に当時勤務し、査察を受ける立場にあった長部猛(76)は「あくまで国が行う国内査察が主体で(その結果を)IAEAが『検認』することになっていたが、実態は違った。国の査察官はまだ十分に教育されていなかった」と語る。
 IAEAとの交渉の末、勝ち取った「ユーラトム並み」は名ばかりで、実が伴っていなかった。国の査察官の知識レベルは電力会社やメーカーの担当者より浅く、英語力も決して高くなかった。労働省(現厚生労働省)や特許庁から科学技術庁(現文部科学省)への出向者が査察官を拝命することもあった。

防波堤

 こうした「名と実」のギャップを埋めたのが、「検査員」の肩書で現在68人の査察官を擁する財団法人「核物質管理センター」だ。
 「官民一体でIAEAの『防波堤』になる。これが設立趣旨だった」。理事の菊地昌広(59)が語るように、同センターは「原子力平和利用」の促進を目的に72年に発足、もともとはIAEA査察時に査察用機器の調整を担当した。そして99年には国の査察業務を代行する正式機関となった。
 91年の湾岸戦争以降、IAEAの査察量は急増した。イラクや北朝鮮の核問題が表面化し、疑惑国への対応が急務の課題となったからだ。
 それでもIAEAの査察量は核物質量に比例するため、「核の番人」が原発大国の日本に費やす労力は大きく、青森県六ケ所村の再処理工場がIAEAに一層の負担を強いている。そのため、労力と資源をより集中すべき疑惑国への査察が結果的に手薄になりかねない。そんな査察体制の"死角"を埋めたのが、同センターが年々拡充してきた国内査察制度だった。
 同センターのベテラン検査員によると、IAEA査察時には検査員も現場に同行。商業機密が絡む遠心分離機工場などをつぶさに見たい、と言い出すIAEA査察官もたまにいるため、検査員は「防波堤」となってIAEA側と現場で交渉。半日かけて査察の細目を詰めることもあるという。

矜持

 「被爆国が核物質を兵器転用するはずがない。だからそんなに労力をかけなくてもいい」。80年代に科技庁保障措置課長を務めた谷弘(71)は当時、官民双方からこんな声をよく耳にした。
 しかし、IAEAで査察情報処理部長も歴任した谷は「『被爆国だから』との論理は通用しない」と強調。「特別の地位」を享受する以上、率先して透明度を高めるのが日本の責務と力説する。
 こうした地道な取り組みに水を差す動きが、時に日本国内から起こる。濃縮・再処理技術の保持で「潜在的核抑止力」を獲得しようとの保守政治家の発言や「独自核武装」をめぐる論議だ。
 国内査察制度を通じ、潔白を証明することで培ってきた被爆国の信頼が損なわれてしまう―。谷や菊地は、査察現場の苦労を無にしかねない不適切発言に苦言を呈する。
 「われわれは原発推進派でも反対派でもない。核物質がある限り、転用を防ぐのが自分たちの仕事だ」と菊地。巨大原発事故後も核不拡散体制を下支えするプロの矜持に変わりはない。(共同通信編集委員、太田昌克、敬称略、2012年05月10日、肩書きは当時)

 核物質管理センター提供の、国内で行われた軽水炉の査察風景の写真。使用済み燃料の状況を確認している。撮影時期、場所は不明という

 核物質管理センター提供の、国内で行われた軽水炉の査察風景の写真。使用済み燃料の状況を確認している。撮影時期、場所は不明という

 核物質管理センター提供の、国内で行われた軽水炉の査察風景の写真。封印の交換作業が行われている。撮影時期、場所は不明という

 核物質管理センター提供の、国内で行われた軽水炉の査察風景の写真。封印の交換作業が行われている。撮影時期、場所は不明という

 日本原燃の使用済み燃料再処理工場=2008年5月、青森県六ケ所村

 日本原燃の使用済み燃料再処理工場=2008年5月、青森県六ケ所村

被爆国の「査察官」 不拡散努力、核武装論が影

広島、長崎への原爆投下で本格的な幕を開けた原子力時代は、福島第1原発事故を受け大きな転換点を迎えた。核保有とは決別する一方、原子力の平和利用にまい進してきた被爆国。原子力時代の裏面をえぐり、核と日本人の軌跡を追う。

潔白証明へ独自制度拡充

核燃料サイクル政策

 国が推進してきた原子力政策で、東京電力福島第1原発事故を受け見直されている。原発の使用済み燃料を再処理し、取り出したプルトニウムとウランを混合酸化物(MOX)燃料にして再利用。もんじゅはこの仕組みの中核とされる高速増殖炉の原型炉だが、トラブルが続き実用化のめどは立っていない。MOX燃料を軽水炉で使う「プルサーマル」が進められたが、原発事故後、約30トンあるプルトニウムの消費計画は不透明になった。

核燃料サイクル政策
コラム

厳格化進める核の番人  日本への視線は想像以上

 原子力技術が軍事転用されるのを防ぐ「核の番人」として、世界の原子力関連施設に査察官を送り込む国際原子力機関(IAEA)は1990年代以降、査察の厳格化を進めてきた。日本への視線も決して甘くはない。
 査察厳格化のきっかけは91年の湾岸戦争だ。戦争に敗れたフセイン政権下のイラクで、核開発活動が国際社会の想像以上に進展していたことが発覚。北朝鮮での核開発疑惑も表面化し、IAEAは「未申告の原子力活動」に厳しい目を光らせるようになった。
 IAEAは各国との保障措置(査察)協定を拡充する目的で、追加議定書を新たに締結。核物質を伴わない核燃料サイクル関連の研究・開発も申告対象となり、IAEAが指定したあらゆる施設で査察が可能となった。
 多数の原発に加え、核燃料加工施設や使用済み燃料の再処理工場がある日本に対し、IAEAが費やす労力は「全体の約25%」(核物質管理センター)。IAEAでの査察経験もある同センターの検査員は「IAEAは、私たちが思っている以上に日本のことを厳しく見ている」と話す。

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