人類は原子力制御できず 将来の世代にツケ回すな 世紀半ばには消える技術

 ドイツは2022年までの全原発停止を決定、イタリアも国民投票で「脱原発」を確認した。先駆けとなったのは00年に決まったドイツの脱原発政策だ。産業界の激しい抵抗を押し切った当時のドイツ首相のゲアハルト・シュレーダー氏(67)はベルリンの事務所で、「人類は原子力を制御できない」との観念が決断を導いたと語った。

1.業界の反発封じ

10年以上も前に脱原発という大胆な決定を下した。先見性が評価されている。

 「三つの理由があった。一つは最も重要な安全面だ。われわれは『原子力は人類が制御できない科学技術である』との見解に達していた。原発は、ミスに寛容でないのだ。そして人間はさまざまな判断でミスをする。人類にふさわしくないこの技術を止めようと全力を挙げた」
 「多くの原発事故で、われわれが正しいことは確認されている。1979年の米スリーマイルアイランド原発事故、86年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故の際、西欧では大規模な運動が起こった」
 「また、再生可能エネルギーに投資したかった。エネルギー政策を転換する必要があった。3番目は、使用済み核燃料の処分場所の解決策がなかったことだ。放射性物質の半減期は恐ろしく長い。将来の世代に敬意を払って放射性廃棄物を扱うべきだ」

 1998年の総選挙で勝利した社会民主党(SPD)のシュレーダー氏は、即時原発廃止を求める90年連合・緑の党と連立した。電力業界は、運転開始から35年以上経過した原発でなければ廃止できないと反対。粘り強い交渉で業界との合意にこぎ着け、2002年に20年代までに原発を全廃する脱原発法を成立させた。03年のイラク戦争では亀裂覚悟で米国に開戦反対を突きつけた。精力的な言動は今も変わらない。

脱原発は極めて斬新だった。与党内にも反対があったのではないか。

 「その通り。チェルノブイリ事故の年である1986年8月のSPD党大会で、原子力に代わる新技術の導入と大手電力との合意という条件で脱原発を図ることを決議した。電力会社の反対はすごかった。同意しなければ、法的に強制するぞと通告した。ただ合意を得ることが好ましかったため、原発停止まで猶予期間を容認した」

当時、福島原発事故のような大災害が起こると考えたのか。

 「特定の事故を予見していたわけではないが、大事故は起こり得るといつも思っていた。事故対策では思い違いが入り込む。フクシマでも原発の事故想定は、津波が防潮堤を越えないという思い違いがあった」

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2.省エネは日独先導

国際社会は今、どんな教訓を得るべきなのだろうか。

 「欧州連合(EU)諸国や日本は、エネルギー需要を満たすため『三つの音』を重ね和音をつくる必要がある。一つは、風力や太陽光、バイオマスなどの再生エネルギー。二つ目は省エネ。三つ目は、脱原発までの過渡期の技術として、気候変動に影響が少ない天然ガスなどを利用することだ。特に、日本やドイツは技術先進国として省エネを大規模に推進する必要がある。省エネ機器や省エネ住宅など先導役を果たすべきだ」
 「あらゆる分野で先進国は電気を使い過ぎだ。われわれは長年続くエネルギー問題を抱え、途上国の犠牲の上に生活をすることはできない。そんなやり方は機能しない」

日本とドイツはエネルギー資源が少ない。日本では脱原発を「夢想」と呼ぶ人もいる。

 「それは各国の戦略次第だ。私がドイツ首相に就任した1998年に、わが国の電力供給量に占める再生エネルギーの割合は4%だった。
再生エネルギー政策を推進した結果、今では17%になった。現在のメルケル政権の推定では2020年には35%まで拡大する。再生エネルギーの発展が期待できるので、中・長期的にみれば、脱原発は経済的でもある。短期的には電気料金の上昇が考えられるが、省エネでこれを抑制できる」

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3.明日にも事故が

地震や津波多発国で原発が広がっている。

 「賢明でない。各国には主権があり、原発の断念を強要することはできない。だが問題がある。(地震国も含め)先進国が原子力を利用し、途上国も追随を望んだ。しかも、ドイツやフランス、日本などの企業はこうした途上国に原発を輸出しようとしてきたのだ」
 「(テロや航空機墜落事故も)原発の危険性を高める。あらゆることを想定に入れるべきだ。いつ起こるか分からないが、それが起こった時は、もう遅い。それは100年後かもしれないし、明後日かもしれない」

 ドイツの企業連合は、サハラ砂漠などに鏡で集めた太陽熱で蒸気を発生させる太陽熱発電所のネットワークを構築して欧州に送電し、50年までに欧州の電力の15%を賄う計画を打ち出している。

米国、フランス、中国など多くの国が原子力に頼る政策を推進している。原発のない世界は果たして可能だろうか。

 「私は生きていないかもしれないが、50年にはその質問自体が笑われてしまうはずだ。エネルギー供給はほとんどが再生エネルギーとなっているだろう。サハラ砂漠からの送電計画などは例外ではなく、当たり前となるのだ」

ベルリンの事務所でインタビューに答えるゲアハルト・シュレーダー氏
ベルリンの事務所でインタビューに答えるゲアハルト・シュレーダー氏
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(文 高橋秀次、写真 ティム・ブラケマイヤー)=2011年06月18日

ゲアハルト・シュレーダー氏の略歴

 GERHARD・SCHROEDER 44年生まれ。ゲッティンゲン大学で法律を学び弁護士に。63年に社会民主党(SPD)入党し、ニーダーザクセン州首相をなど歴任。98年の総選挙で勝利し首相就任。02年に再選されたが、05年の総選挙でキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)を率いたメルケル氏に敗北、政界を引退した。

ドイツの原発政策

 1960年代から原発が稼働開始。2002年、シュレーダー政権が脱原発法を成立させ、当時19基あった原発の順次廃止を決めたが、09年秋に誕生したメルケル保守・中道連立政権は、産業界の意向を受け脱原発政策を先送りし、17基ある原発の稼働年数を平均12年間延長することに変更。しかし、福島原発事故を受け、6月6日、22年までに全原発を停止すると閣議決定した。ドイツで原子力は全電力の約2割を占めている。

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