主治医がくれた「原点」 対話が育んだ相互理解 |
―がんと告知されたのは37歳になってひと月たったころだった。大学院を出た後、非常勤の教師を複数掛け持ちして暮らしてきて、ついに職を得ることになった直後に診断が確定した。新しい仕事の準備をしながら主治医を探し当て、闘病生活に入った―
京都で短大の教員をしている村井冬さん(41)=仮名=のウェブサイトの1こまだ。病と向き合いながら思うことをつづる。医療に関心を持った“原点”は最初の主治医との対話の中にあると、村井さんは記者に明かした。どんな人物なのか。〈やや自信過剰が鼻につき、言葉足らずなところも少なからずあり、むら気な態度が患者にもスタッフにも、しばしばぶつけられていました。でも非常にまじめに仕事に取り組む姿勢、患者を思いやり考えようとする熱意が根本にあったことを、私は今も疑いません〉 手術後、村井さんは「標準治療」として抗がん剤注射を受け続け、不眠、うつ症状などで仕事ができないほど苦しんだ。「副作用?それは思い込みでは」と言う主治医に何度も自分の考えを伝え、再発リスクを承知で注射を中止。苦痛は劇的に解消した。 その主治医が遠方の病院に転勤となり、村井さんは自分のウェブサイトを立ち上げる。ある日、サイトの読者からメールが届いた。 「どんなにあなたを傷つけていたか、自分が非力だったか、深く反省している」 主治医だった。 「どんなに言葉足らずで力不足であったか、今にしてわかる。今の職場にあって悩んでいる」 〈ついに「自分は医者をやめようかと思っている、もうだめだ」という叫びを聞くことになりました〉 主治医の姿は、今も鮮明によみがえる。 〈いつも多忙で白衣を翻して走っていましたが、「先生と相談がしたい」と頼めば、必ず時間を取ってくれました。そういう医師が職場を移って我に返る時間ができた途端、燃え尽きてしまう。そんな現場でいいとは決して私は思いません。医師が不幸な現場は患者にとっても不幸であり、その逆もまた真なりです〉 ―患者に信頼される医師の前には、医師に信頼される患者が座っているのでなければならない―。村井さんが医療を考える上での理想。主治医との対話から見いだした。 〈私という患者の書いたものを通して「医師」のありようを省み、変化を起こした医者がいた。患者と医師の間に、そんな“相互理解”の可能性があった―。この1点にかけて、私は日本医療への最後の信頼を失わない。だからこそ批判し、ときに罵倒もするのです。この信頼を軽く考えないでもらいたい、と〉(完) この連載に対する感想やご自身の体験を「医療漂流」取材班にお寄せください。ファクスは03(6252)8761、電子メールはhyoryu@kyodonews.jp (2008/12/09) +FONT> |