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手合わせる仲間に送られて グループホームでの最期 |
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「無意味な延命治療はせず、苦痛を取ることだけを希望します」。2年前に亡くなった神戸市北区の浜地智代子さん=当時(79)=が書いた「終末期の宣言書」だ。 自宅でみとった息子の啓理さん(52)は「望み通りでした」と振り返った。「苦しむこともなく、眠りにつくような感じで安らかに逝きました」 智代子さんは夫に先立たれた30年前ごろから体調を崩し、入退院を繰り返した。宣言書を書いたのは亡くなる2年前。「終末期を考える市民の会」(東京)を知り、共鳴して会員になった。
2人の子どものうち歯科医の兄(58)は賛成した。だが、同居していた啓理さんは違った。「1分でも1秒でも長生きしてもらいたいのが子の思いとちがうんか」と。ところが、この思いは、智代子さんの最後の入院で揺れ動く。心疾患の疑いだったが、約1カ月後の退院予定日になっても、病院側は「もっと検査したいので、退院させられない」。 心待ちにしていた智代子さんは反発した。啓理さんも「白い壁に囲まれた生活はあまりにかわいそうや」と感じてはいたものの、当初は「しっかり診てもらいたい」との気持ちもあった。 だが、病院側は「入院していればなんでもできる。退院したら保証できない」とまでいう。その一方的な姿勢に、次第に怒りが込み上げてきた。「無理やり帰らせてもらいました」 智代子さんが肺炎で亡くなったのは、それから八日後。近くの在宅医に診てもらい、介護スタッフの世話にもなって、穏やかな日々を過ごした。診療を終えた兄も毎晩きて、泊まり込んだ。 「あんたが小さいころはこうやった、とか。昔の話ですね。冗談ばっかり言って、笑ってました」。子どもの時以来、何十年ぶりに共有した母子3人での時間。「それこそ10年、20年の密度があった」という。 智代子さんの希望に対して「縁起でもない」とかたくなに聞く耳を持たなかった啓理さん。「変に苦しむよりは」という兄と口論になったこともあったが、「結果的に母の願いをかなえられてよかった」と思っている。 いまだに智代子さんの部屋は、たんすの中まで当時のままだ。「もう処分したらどうかとも言われるけど、ここは今でも僕と母の家やから」 (2008/04/01) +font> |