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手合わせる仲間に送られて グループホームでの最期 |
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「父はみんなに囲まれて、満足して逝ったと思います」。認知症の高齢者が家族同様に暮らす神奈川県三浦市のグループホーム「みづき」。ここで1月末、岩沢和義さん(50)は、父の清次さん(76)をみとった。 清次さんは、別のグループホームにいた昨年9月に脚を骨折して入院。その後も肺炎などで入退院を繰り返した。ほとんど食べられない状態で、病院では流動食を流し込むために胃に穴を開けるなどの処置を求められたほどだった。
だが、11月に入居した「みづき」では違った。初日からご飯とみそ汁。施設長の岡田尚子さん(65)は「自分のペースでゆっくりと食べれば、大丈夫だから」と言う。その言葉通り、徐々に食欲が戻り、メニューに注文をつけるまでに回復した。急速に弱ってきたのは今年1月下旬。食べる量が減り、眠る時間も長くなった。ホームの仲間が好物のりんごジュースを含ませたガーゼを口に運んだりしているうちに息を引き取った。すぐにほかの人たちも集まってきて、手を合わせた。 畳の居間に敷いた布団で眠る父親を真ん中に川の字に寝て、姉(53)と2人で前夜から付き添った和義さん。「みんながいろいろ面倒をみてくれ、父もうれしそうな表情だった。ここのお世話になってよかった」と振り返った。 岡田さんは3年前に開設した「みづき」(定員9人)と6年前に開設した系列グループホーム(同6人)で、これまでに計19人をみとった。本人や家族が望むなら最期まで受け入れたいとの気持ちは、自分の両親を自宅で送った経験からきている。 死に立ち会った経験がなく、当初は不安を抱いたスタッフも「日常の動きが次第に衰えるのを目にして、死は自然な形で、みとりは最後のケアと受け止めるようになった」という。 在宅医として「みづき」を支え、岩沢さんにも紹介した野村内科クリニック(同県横須賀市)の野村良彦院長(61)は「死ぬのは病院と思っている人は今も多い。グループホームでのみとりは、スタッフの死に対する理念と経験があってこそ可能。病院医療をそのまま持ち込むのでなく、生活の上に成り立つ必要最小限の医療環境を提供したい」と話している。 (2008/03/25) +font> |