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医療新世紀
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2017.08.08

「病、それから」
石井洋介さん(医師)
手術に感じた感謝と限界

 ストレートかつ刺激的な名称の団体「日本うんこ学会」を設立し、自分の排せつ物に関心を持つことの大切さを遊び心いっぱいに伝えている医師石井洋介さん(37)。ユニークな活動の原点は、難病の潰瘍性大腸炎を患い、人工肛門を経験した青春時代にさかのぼる。

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 中学3年のときに初めて血便が出ました。でも具合は悪くなくて「痔かな」とそのままに。高校入学後、39度台の熱が続くようになって1学期の期末テストも受けられないまま検査入院しました。

 ▽居場所がない

 1カ月ほどで病名が分かり、通院治療することになったものの、食事で体調が変わるためケーキやジャンクフードは駄目と言われました。通学中、おなかが痛くなって電車を途中で降りるので、しょっちゅう遅刻です。友達と買い食いもできないし、居場所がなくなって不登校に。卒業後はフリーターになりました。

 その後もなかなか良くなりません。治療法を替えたら出血と高熱に襲われ緊急入院したり、絶食して輸液だけの生活を続けて体重が36キロまで落ちたり。ある日、トイレで突然の大出血をして意識もうろうになりました。潰瘍の悪化で大腸に穴が開いた「穿孔(せんこう)」という危険な状態で、大腸全摘出の手術を受けて一命を取り留めました。

 19年間生きてきて、このまま死んだら何のために生まれてきたんだろうという感覚がありました。誰かに貢献することが生きた証しになるのではないか。死なずに済んだら残りの人生は人のために使おうと決めました。

 ▽医者になろう

 そうとはいえ、人工肛門を着けたばかりの頃は社会に戻れるか不安でした。便の臭いが気になって外出は嫌だし、誰にも会いたくない。でもいざ戻ってみると、外から装着は分からないし、食事制限もなくなり「割と悪くない」と思いました。

 20歳のとき、インターネット掲示板で、小腸で便をためる袋を作り、肛門につないで人工肛門を閉じる手術が地元横浜の市民病院で行われていることを知り、手術を受けました。排便回数が少し多いくらいで日常生活に支障はなくなりました。

 外出や職業選択に全ての自由が与えられ、無限の可能性があるとすら感じました。外科医に憧れ「医者になりたい」と初めて思ったのですが、勉強しようとしても体力がなくて集中力が続かない。新聞のコラムの書き写しから始めて予備校へ2年間通い、23歳で高知大医学部に入学しました。

 ▽手術だけでは

 卒業後、執刀してくれた先生がいる病院で外科医として働き始めましたが、手術の限界を思い知らされた患者さんがいました。30代の女性で、便秘がちで血便が出ていたのをそのままにしているうちに大腸がんが進行し、手術で取り切れる時期を逃してしまいました。

 大腸がんは最初の症状が排便に出ます。早期発見すればかなりの確率でよくなりますが、多くの人は検診や自分の便の状態に関心がない。それを何とか変えられないか。

 考えた末「学会」をつくって仲間とスマートフォンゲーム「うんコレ」の開発を始めました。日々の排便の状態を入力すればゲームを有利に進められて、健康の助言ももらえる。まだ試作段階ですが、ゲームで意識がどう変わるかを検証する実験を福岡市で行うことになりました。

 自分の力を世の中に還元できればいつ死んでもいいと思っていましたが、病理医をしている妻との間に1月に長男が生まれ、自分を大切にしようという気持ちも芽生えました。患者さんに一番貢献できる道は何か、探し続けていきたいと思います。

(聞き手・岩切希、写真・藤掛一成)

◎石井洋介さん 1980年横浜市生まれ。高知大医学部卒。研修医時代は高知県に研修医を集める活動を展開。消化器外科医として横浜市の病院に勤務していた2013年に日本うんこ学会設立。現在は病院を離れ、同市で在宅医療に力を入れている。

◎潰瘍性大腸炎 大腸の粘膜がただれ、腹痛や下痢を繰り返す原因不明の炎症性疾患。難病に指定されている。国内の患者数は2015年度末時点で16万6千人を超す。発症のピークは20代で、多くの場合、薬で炎症のコントロールが可能になっている。