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NPO副代表の天野秀昭さん

遊び本来の力大切に 冒険遊び場づくりを提唱

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    天野秀昭さん

 きれいに整備された公園のぴかぴかの遊具ではなく、土や木、水など自然の素材を使って、自ら遊びをつくりだす―。NPO法人「日本冒険遊び場づくり協会」副代表の天野秀昭さん(51)は、そんな子ども本来の遊ぶ姿を取り戻すことができる環境づくりを提唱。「けがやトラブルを恐れるあまり、子どもの中から沸き上がる遊びの力を奪わないで」と、訴えている。

 ▽自由に遊ぶ
 東京・世田谷区の区立羽根木公園の一角に、一目見て普通の公園とは違う空間がある。ブランコやジャングルジムといった既製の遊具は一切なく、替わりにあるのは、廃材でできた小屋や木の枝に渡したロープ。地面には無数の穴が掘られ、中では子どもが首まで泥んこになっている。石でつくったかまどで火をおこす子もいれば、のこぎりや金づちで工作に励む子も。これが「羽根木プレーパーク」。1979年に開設された全国初の常設の冒険遊び場だ。
 「ここでのモットーは、子どもが自由に遊ぶこと。そのために、危ない、などの理由で一般の公園で設けている禁止事項をなるべくなくすようにしています。大人は子どもの骨が折れることにはヒステリックなくせに、子どもの心を折ることには無頓着です。でも、心を折るくらいなら骨を折ったほうがいい。折れた骨は治せますが、一度つぶされた意欲は簡単には元に戻りません」

 金づちで指をけがしないか、でこぼこの地面でつまずかないか―。プレーパーク初心者の大人が抱く心配をよそに、どの子も表情は生き生きしている。
 「誰しも、子どものころ、階段の何段目から飛び降りられるかという遊びを一度はやったはず。危ないのはわかっていてもやりたい。スリルを楽しみながら限界に挑戦するのが子どもの遊びの本質です。リスクがあるから、子どもは五感を総動員し、時には痛い思いをしながら危険に対処する能力を高め、自分の世界を切り開いていくのです」

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羽根木プレーパークで、木から木にわたしたロープで遊ぶ子供たち(NPO法人プレーパークせたがや提供)

 ▽遊びの力を信じて
 子どもの遊びに関心を持つようになったのは、美大に通う学生だったころ。教員を目指して近所の子どもに絵を教えていたが、入念に準備しても子どもの心をつかめないことに悩んでいた。
 「教えるのも嫌になって、ある日、子どもたちを外に連れ出すと、大喜びで遊び始めました。そのうち、夢中でチョウを追い掛けていた子が急に『これ描きたい』と言って絵の具をとりに戻り、すばらしい絵を描いた。大人のお仕着せではない、子どもの自発的な遊びが持つ力を実感した瞬間でした」

 子どもの遊びにもっと関わりたいと、80年、1年間の長期ボランティア派遣をあっせんする民間の事業に参加。子どもの遊びを見守る常駐の“プレーリーダー”として派遣されたのが、開設されたばかりの羽根木プレーパークだった。
 「プレーリーダーの役割は、子どものやってみたい気持ちを引き出すこと。最初にやったのは、1人で、ただの穴を掘ることでした。すると、ぴかぴかのランドセルを背負った子どもに『公園に穴掘っちゃいけないって知らないんですか?』と言われて。いいか悪いかじゃなく、子どもは本来、土の地面があれば穴を掘りたいはず。この子を覆っている殻を打ち破ろうと、むきになって穴を掘りました」

 何日かすると、遠巻きに見ていた子どもたちが一緒に穴を掘り始め、間もなく、穴をさらに掘り進めて川やダムをつくる遊びも始まった。地域住民からは「危ない」「水の無駄」といった苦情が寄せられたが、子どもの「やりたい」気持ちを代弁することに徹して対応した。1年のボランティア期間が終了するころには天野さんの慰留を求める署名活動が起き、区と地域住民が給与を負担する初の有給プレーリーダーになった。

 ▽子どもが主役の遊育を
 2003年、冒険遊び場の普及を目指したNPO法人を設立。昨年4月からは、都内の大学に新設されたプレーリーダー養成を目指したコースで教鞭を執る。
 「プレーパークで行われるのは教育ではなく、“遊育”。教育は大人が与えるものですが、遊育はあくまで子どもが主役。大人の役目は、子どもが遊びながら自ら育つための環境をつくることです」

 現在、全国の冒険遊び場は250カ所以上。その多くは非常設だが、8月28~30日には初の全国一斉開催を実施する。この機会に、近くの遊び場に足を運んでみてはどうだろうか。電子ゲームに向かうのとは違う子どもの表情が見えるはずだ。

 【一口メモ】冒険遊び場 施設や遊具で規定されない、自由で冒険的な遊びができる場。1940年代にデンマークの造園家が提唱し、ヨーロッパ全域に広がった。日本では70年代、自分の子供たちの遊び環境に危機感を覚えた一組の夫婦が、イギリスの冒険遊び場づくりを参考に地域住民に呼び掛け、世田谷区内の区民センター建設予定地などを期間限定で借りて開設したのが最初。この取り組みが評価され、79年、国際児童年の記念事業として世田谷区と地域住民が協力して「羽根木プレーパーク」を開設した。



天野秀昭(あまの・ひであき)さん の略歴

 1958年、東京都生まれ。「羽根木プレーパーク」でのボランティアを経て、81年、初の有給プレーリーダーとなる。冒険遊び場で知り合った妻との間に84年と86年に誕生した2人の娘は、いずれも就学前は保育園や幼稚園に通わず、冒険遊び場に通う親同士が預け合う自主保育で育った。09年4月から大正大学特命教授。


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