(106)「早」 モノをすくう匙の部分
髪(かみ)をすく櫛(くし)の形だった「非」の字が、文字の音だけ借りて別の意味を表す仮借(かしゃ)という用法で否定を意味する漢字として使われていることを何回か説明してきました。

「政策の是非(ぜひ)を問う」などと使われる「是非」は「是」が善で「非」が悪の意味ですが、この「非」とペアになる「是」も仮借の字です。ならば「是」はもともとどんな意味の字なのか。それを知れば、みな驚(おどろ)きます。
その「是」の説明のもとになる字は「早」です。この「早」はスプーンの形なのです。「早」はモノをすくう匙(さじ)の部分を表す字でした。それがやはり仮借の用法で、「はやい」の意味に使われるようになりました。
この「早」に柄(え)の部分を加えた字形が「是」です。「是」の下部の「止」が柄です。古代文字を見るとスプーンであることが分かると思います。
その長い柄のついたスプーン「是」が仮借の用法で「ただしい、よい、これ」の意味に使われだしたので、「是」にさらに「匕(ひ)」を加え、「匙」がつくられたのです。
「匕」は右を向いた人の意味や匙の意味など、いくつかの意味を持っている字形です。「匙」の場合はもちろん「さじ」の意味です。
もう一つ、スプーン関係の字を紹介(しょうかい)しましょう。それは「卓(たく)」です。これはモノをすくう部分が大きな匙の形で、白川静さんは象形文字に分類しています。大きな匙なので「卓越(たくえつ)」「卓抜(たくばつ)」など他よりもはるかにすぐれている意味がありますし、「食卓」などテーブルの意味にも使います。
「よいこと」や「はやいこと」には形がありません。これらはもともとが象形文字である漢字にとって表現することが難しい意味です。そこでまったく意味の異なる「是」や「早」の字を借りて、その意味を表すようになったのですが、でも元は匙の形の一連の文字であることを知れば、これらが忘れがたく頭の中に入ってきます。(共同通信編集委員 小山鉄郎)

小山鉄郎(こやま・てつろう)1949年群馬県生まれ。共同通信社編集委員兼論説委員。白川静さんが理事長を務めていた国の認定NPO法人・文字文化研究所理事を2009年7月まで務めた。著書に白川静文字学をやさしく紹介した「白川静さんに学ぶ 漢字は楽しい」「白川静さんに学ぶ漢字は怖い
」(いずれも共同通信社刊)などがある。
