子育てさがし ジョイセフの小野美智代さん![]() 小野美智代さん=東京都新宿区 ◎安心して産める世界に 経験して思い強く 発展途上国を中心に、女性が安心して産める環境づくりなどに取り組む国際協力の財団法人「ジョイセフ(JOICFP)」の広報、小野美智代さん(35)は、日本の出産のきめ細かいケアや医療技術の素晴らしさを実感した。より多くの人に途上国の現状を知ってもらい、日本が誇るべき技術を世界に広めたいとの思いを強くしている。 ▽婿を取るんだよ 静岡県の江戸時代から続く本家の長女で、何げなく祖父から「婿を取るんだよ」と言われたり、上棟式で屋根に上がりたいと言ったら「女は上がっちゃだめだよ」と断られた。疑問になって印象に残り、大学では伝統的な日本の母性観を研究した。卒業後に東京都内で大学院のゼミに通いながら、立教大にあるジェンダーについての教育・研究活動の拠点で働いていた。 「わたしと妹の2人とも女の子だったことで、母親が『男を産んでほしい』と周りからプレッシャーをかけられ、何となく肩身が狭い思いをしていたのは幼心に感じていました。どうしてだろうと吸い込まれるようにジェンダーの研究を始めました。大学職員になってからも地元静岡県の男女共同参画会議の委員をしたり、どっぷり携わっていましたね」 20代は時間さえあればベトナムやタイ、ラオス、カンボジアなどへ一人旅に行っていたが、2002年に旅行先の国の下調べするため世界人口白書を見た時、女性の平均寿命が30代の国があることを知りがくぜんとした。この状況を改善できないかと考えていた時に、白書の日本語訳も製作しているジョイセフの広報スタッフ募集を知り応募。03年4月から働くことになった。 「日本は恵まれているけど、世界では不公平な国もあるのが気になっていました。大学職員の時はジェンダーの教育施設の立ち上げやホームページの製作企画、男女共同参画について条例づくりの経験もあり、ジョイセフの広報として何か役立てるんじゃないかと思いました」 世界で年間約53万6千人の女性が、妊娠・出産が原因で死亡している。およそ1分に一人の割合で、99%は途上国。1968年に設立されたジョイセフは、女性がいつ何人の子どもを産むか選択できるという「リプロダクティブヘルス・ライツ(性と生殖に関する健康・権利)」の支援をするほか、日本の民間企業と協力してランドセルや自転車などの物資支援をしている。女性と赤ちゃんを救うため世界的に広がっている「ホワイトリボン運動」では、日本の中心的役割を果たしてきた。 「ジョイセフは現地の国やNGOと一緒に地域に入って支援活動をしています。途上国の住民が主体となり、意識を正しい方向に変えて人材を育てて普及しないと、地域に根差した改善にはならないと考えています」 ▽手厚いケア 東京にあふれている女性のための施設、ジェンダーや女性に関連するさまざまな情報を地元でも普及したいとの思いと、結婚のタイミングが重なり2005年に静岡県へ転居。新幹線での通勤を始めた。 「新幹線で自宅から職場までは1時間ちょっとなので、通えるんじゃないかと簡単な気持ちでした。妊娠、出産はまだ考えていなくて、東京で働き続けようと強く思っていたわけでもないんです」 出産に踏み切るにはとまどいがあった。仕事を中断する不安もあったし、子どもがいることをプラスに考えられず「いつかは産みたいけど、まだ今ではない」という時期が長かった。 「何ごともやってみなければ分からないがモットーなんですが、妊娠・出産だけはそうは思えなかった。仕事・母親・自分をすべてかなえたいと思うからこその葛藤で、命を産み、育てることと好きな仕事、好きな趣味や交流との両立ができるか不安でした」 転機は07年、仕事を通じて知り合った出産後も仕事や育児に前向きな母親たちと話す機会があった。「子どもがほしいと思っているのに、どうして先延ばしにするの?」と自然に聞かれ、話すうちに不安が一つ一つ消えていき、産んでみようと考えるようになった。 「間もなく妊娠が分かって、最初は新幹線での通勤に不安もありましたが、リクライニング付きの座席に必ず座れて、トイレや洗面台もあって実はとっても快適。逆に都内で住んでいたら満員電車で耐えられなかったかもしれないですね」 夫と一緒に自由な体勢で自然な分娩をしたいと助産院で産むことを決め、08年4月に長女を出産。産前、産後に助産師とのかかわりを通じて、出産へのきめ細かいケアを体感した。 「妊娠経過に異常があり、早産などのリスクがあれば産婦人科での出産になりますが、正常な場合は助産院で安心して産める。助産院では妊婦へのカウンセリングや体力的、精神的に産む力を最大限発揮できるようにパートナーも教育する。妊娠中の経過から子どもの発達が記録される母子手帳や産後のケアなどが手厚いのは日本が誇るべきこと。頭では分かっていても産むことで実感しました」 「そういう技術やノウハウを途上国に伝えるなど、日本ができることはまだまだある。ジョイセフの活動をより広げるには、20-40代の産む世代、産むことに関心が高い一般の女性にもっと途上国の出産の現状を知ってもらうことが必要と感じました」。09年4月の職場復帰後に最初にしたのは、ジョイセフの日本国内での広報体制や方向性を刷新したことだった。より一般の人に伝わるように、ウェブや紙面など総合的なメディアプランを策定した。 ▽休みはスキンシップ 職場復帰後も新幹線で出社する毎日。長女の発熱など急なことがあった場合、頼りにしているのが自営業の夫、実母、義母だ。 「わが家ではわたしが駅の改札を通った瞬間から『わたしはいない人』と思われています。平日は夫が保育園の迎えや夕食づくり、お風呂に入れたりするので、6:4で夫の方が家事の割合が高く、助かっています。逆にわたしが休みの土日は夫が仕事のことが多いので、2:8でわたしが家事をやっています」 残業した後、電車が遅れたため新幹線の終電に乗れず、帰れないことが1回だけあった。夜に長女と会えないのは初めてで、授乳中ということもあり不安だった。実母に自宅へ駆けつけてもらい、長女が起きるまでに始発で帰ってことなきを得た。 「帰れないことへのショックと責任を感じてしまい、実家の母親に電話しましたが、さすがに落ち込んだ声だったせいか母親も気遣ってくれ、すぐに長女のところへ行ってくれました」 平日の帰宅後や仕事が休みの土日は小野さん、長女とも一緒にいたいという欲求がお互いにあって、その自然と出てくる気持ちに任せて楽しんでいる。 「平日は働いている時間の方が長いので、メリハリをつけようとしています。気を付けているのは、濃く楽しく充実した時間を一緒に過ごすこと。ベビーマッサージでスキンシップをしたり、買い物や公園で遊んだりの日常をそのまま楽しくしたいと思っています。新幹線での時間は仕事、母親モードの切り替えにとってもいいですね」 昨年11月、職場復帰後の初めての海外出張で約2週間、タンザニアへ行った。自分の年齢もはっきり分からない30歳代とみられる女性は、もうすぐ8回目の出産で前回は死産だった。顔はやつれており「もう産みたくない」と話した。周りには出産で亡くなった人も多く、「もう会えないかもしれない」と家族らに最後の別れのようなあいさつをして命懸けで出産する。 「東京都ぐらいの広さに病院が1つのみで、その病院があることさえも知らない人が多い。行政、企業は病院の建物や医者の手当てはしてくれるが、数十キロ離れた住民が病院に行くための方法や産前産後の啓発などはサポートできていない。病院にたどり着けない人たちに、ケアや教育をする人材育成の重要性を再認識し、やることはいっぱいあるなと思った」。出産を経てより責任感、使命感を持つようになったジョイセフの仕事。復帰後には広報グループを束ねるチーフになった。日本の多くの人に関心を持ってもらうために、今後もいろいろな企画をする予定だ。 × × 小野美智代(おの・みちよ)さん 1974年、静岡県生まれ。同志社大を卒業後、立教大のジェンダーフォーラムに勤務し、2003年にジョイセフへ。08年に長女を出産。1年間の育休を経て、09年に職場復帰した。 ▽小野さんの1日 06:00 起床。洗濯、朝食と夕食の下準備 07:00 長女が起床。テレビの曲に合わせて一緒に歌って踊る 07:15 朝食。保育園への用意、身支度など 07:50 自宅を出て保育園へ 08:10 新幹線で出勤 09:20 出社 15:00 帰宅時間を夫に連絡 17:00 夫が長女を迎えに行き、長女を風呂に入れる 18:30 退社。新幹線で帰宅 20:00 家族全員で夕食。長女に本を読むなどだんらん 21:00 長女が就寝 21:30 夫と飲み直したり、残りの仕事があればする 24:00 就寝 【共同通信】
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