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  • 無差別殺傷事件公判の冒陳詳報A 

     東京地裁で28日開かれた秋葉原無差別殺傷事件初公判の検察側冒頭陳述は次の通り。V1~V18は犠牲者、被害者。

     ▽はじめに

     本件は2008年6月8日、秋葉原のメーンストリートで、歩行者天国が始まって間もない午後0時半ごろ、被告が2分間に合計18人に対して殺害行為に及び、7人の命を奪い10人に重軽傷を負わせるなどした事案。

     ▽犯行を決意した経緯

     被告は03年3月に岐阜県内の短大を卒業後、仙台市内の警備会社で働き、その後は派遣会社に登録して派遣先の埼玉県内の自動車工場や栃木県内の木材加工工場で働いた。派遣社員として働く中で自分の存在価値が認められず、部品やパーツのように扱われていると感じて不満を抱くことがあった。06年8月ごろ、木材加工工場での仕事を辞めた。しばらく定職に就くことができなかったので、将来に対して不安を抱くようになった。

     そのころ、携帯電話の出会い系サイトで知り合った女性が心配してくれたのをうれしく思い、交際して結婚すれば幸せになれるかもしれないと思った。しかし、自分の顔写真をメールで送るとメールが来なくなったため自分の容姿が不細工であると思い、コンプレックスを抱くようになった。

     被告は就労状況が不安定なこと、容姿に対するコンプレックス、交際相手が見つけられないことなどを思い悩み、06年ごろから悩みや苦しみを携帯電話サイトの掲示板に書き込むようになった。読んだ者から慰めやアドバイスをもらえたり、自分のことを大事に考えてくれる女性と知り合って結婚できるかもしれないという期待を持っていた。掲示板は不満の唯一のはけ口だった。

     しかし、08年5月の終わりごろから被告に成り済ました「偽物」や無意味な書き込みをして読みにくくする「荒らし」が掲示板に頻発し、悩みや苦しみを書き込んでも被告を思いやる書き込みがほとんどなくなった。

     被告は唯一の居場所がなくなり、存在が殺されたと感じるようになった。慰めなどの書き込みをしてくれた者たちも裏切り、無視していると感じた。自分の悩みや苦しみをまともに受け取らず、無視している者たちを許せないと感じた。自分以外の者すべてが敵だと思い、怒りを深めていき「みんな死んでしまえ」と思うようになった。

     被告は07年11月から派遣会社に登録し、静岡県裾野市にある自動車製造工場に派遣されて塗装検査の仕事をしていたが、08年5月28日、派遣会社の所長から工場への派遣が6月29日で終わると告げられ、新しい派遣先の紹介を受けた。

     工場から必要とされていないと思ってショックを受けたが、6月3日、派遣会社の社員から同月29日以降も工場での仕事を続けられると聞かされた。被告はそのことを喜ばず、単なる人数合わせのために仕事を続けられるようになったと受け取った。自分がまともな存在とは認められていないと感じ、ますます自分以外の者に対する怒りを深めた。

     被告が5日の朝出勤して更衣室に行くと、置いておいた作業着が見つからなかった。誰かが嫌がらせで作業着を隠したと考え、工場を辞めろと言われていると感じて激怒し、更衣室に掛かっていた作業着をすべて投げ捨てた上、手に持っていた缶コーヒーを壁に投げ付けて更衣室を飛び出した。そして、仕事を辞める決意をして寮に帰った。

     被告は誰かが思いやりのある返事をしてくれることを期待し、掲示板に工場を辞めることなどを書き込んだが、慰めやアドバイスなどの思いやりのある反応はなかった。

     誰も自分をまともに扱ってくれないと思い、自分の悩みや苦しみが無視され、まともに受け取られないことが我慢できなくなった。

     被告はついに怒りを爆発させ、「大きな事件」を起こして自分を無視した者らに自分の存在を認めさせようと思った。「大きな事件」を起こすことで、原因が自分を無視した者にあると思わせ「復讐」したいと考えた。

     「大きな事件」として、茨城県土浦市の駅で人が刃物で刺し殺されるなどした事件や、仙台市の商店街のアーケードでトラックに人がひき殺された事件が念頭にあった。

     何度も秋葉原に行ったことがあり、日曜日の正午から中央通りが歩行者天国となり、たくさんの人でにぎわうことを知っていた。そこで6月8日、秋葉原で通行人をトラックではね、ナイフで刺して無差別に殺害する「大きな事件」を起こそうと決意した。

     「大きな事件」を起こして警察に捕まれば、自分の人生は終わりだと思ったが、「もう生きていても仕方がない」と自暴自棄になり、捕まった後のことはどうでもいいと思った。それよりも自分を無視した者たちに「復讐」することの方が重要だった。

     被告は無差別殺人を決意すると、6月5日午前8時48分ごろに「スローイングナイフを通販してみる 殺人ドールですよ」、6日午前2時48分ごろに「やりたいこと…殺人/夢…ワイドショー独占」と掲示板に犯行をほのめかす書き込みをしていった。被告は一方で、誰かに止めてほしいという気持ちも抱いていた。しかし、犯行を思いとどまるよう返事をする書き込みはなかった。

     被告は殺傷能力の高いナイフなどを凶器とするため、6日に雑誌で見つけた福井市のミリタリーショップでダガーナイフ1本、折りたたみ式ナイフ1本、ダイバーズナイ

    フ1本、ユーティリティーナイフ3本、特殊警棒1本と滑り止めの手袋を3万4600円で購入した。

     また、人をはねて殺害するための4トントラックを借りるため、7日朝に秋葉原でゲームソフトとパソコンを売却し、約7万円を手に入れた。同日昼ごろからインターネットで調べたり、夕方に静岡県内のレンタカーの営業所を訪ねたりしたが目当ての4トントラックを借りられず、沼津市のレンタカー営業所で2トントラックを8日午前8時から借りる予約をした。

     殺害するための準備を終えると、7日午後4時3分ごろ掲示板に「無事借りれた 準備完了だ」、午後8時53分ごろには「もっと高揚するかと思ったら、意外に冷静な自分にびっくりしてる。」と書き込んだ。しかし、被告の書き込みに対し、反応はなかった。

     被告は8日午前6時半ごろに寮を出て、電車で沼津駅に行き、沼津市のレンタカー営業所で2トントラックを借りた。トラックを運転して、いったん寮に戻り、ダガーナイフが入っているさやをベルトの右腰辺りに付け、折りたたみ式ナイフを着ていたジャケットの左内ポケットに入れ、さやに入ったユーティリティーナイフを右足の靴下に隠した。ほかのさやに入ったユーティリティーナイフとダイバーズナイフもリュックサックの中に入れ、トラックの補助席の上に置いた。

     トラックを運転して東京に向かい午前11時45分ごろ、秋葉原に到着。その間掲示板に「時間だ出かけよう」「神奈川に入って休憩」「酷い渋滞 時間までに着くかしら」「秋葉原ついた」などと書き込んでいった。

     秋葉原の中央通りでは、毎週日曜日の正午~午後6時ごろまで、歩行者天国が実施されることになっていた。予定通り、歩行者天国は始まった。被告は、秋葉原に到着した後の午後0時10分ごろ、掲示板の親記事のタイトルを「秋葉原で人を殺します」、書き込みを「車でつっこんで、車がつかえなくなったらナイフを使います みんなさようなら」と書き換えた上、「時間です」と書き込み、無差別殺人を予告。実行することをあらためて決意した。

     被告は当初、トラックを運転して、その歩行者天国の区間内にある外神田3丁目交差点(以下「本件交差点」)に進入し、中央通りの歩行者天国に突入して多数の人をはねた上、ダガーナイフなどで人を刺し殺すつもりだった。

     トラックで本件交差点に差し掛かり、対面信号は赤色だったが、中央通りの人通りがあまりに多かったために怖くなり、信号が青色に変わると、本件交差点をそのまま直進した。

     中央通りの歩行者天国にトラックで右折して突入するのをやめて、赤信号を無視して本件交差点に進入して歩行者をはねて殺そうと思った。秋葉原駅前のロータリーを回り、本件交差点に差し掛かったが、このときもためらい、実行できなかった。

     さらに右左折を繰り返して戻り、本件交差点に差し掛かった。しかし、被告人はこのときもためらった。

     3度も犯行に及ぶ機会を逃し、「やらなくてよかった」という気持ちと「何でやれないんだ」という気持ちを抱き、葛藤(かっとう)しながらも、右左折を繰り返して戻り本件交差点に向かった。

      【共同通信】