![]() 「思うようなレースはできなかったが、目標だった箱根駅伝を走ることができて良かった」。「第86回東京箱根間往復大学駅伝」最終日の3日、6区を走った亜細亜大4年の中塚陵太選手(22)=上伊那郡宮田村出身=はチームの順位を上げることができなかった悔しさをにじませながらも、最初で最後の箱根駅伝を走りきった充実感に浸った。 中塚選手が走るのを始めたのは小学5年の時。そのきっかけは父からもらった。 父の誠さん(50)は上伊那農高時代、陸上の短距離選手として活躍。19歳の時に交通事故で失明した後も、全国障害者スポーツ大会や長野マラソンに出場している。中塚選手は父の伴走者として一緒に走るようになり、早朝や夕方に自宅周辺などを親子で走るのが日課となった。 中学に入ってから本格的に陸上競技に取り組んだ中塚選手は着実に力を付け、上伊那農高3年の時に1500メートルでインターハイに出場。箱根駅伝出場を目指して亜大に進学した。 だが、大学では度重なるけがに悩まされた。「3カ月に一度は故障していたような感じ」。年を追うごとに箱根駅伝へのあこがれと情熱が募る一方、3年までは14人の登録メンバーに入ることもできなかった。大学生活最後の今季、トラックの5000メートルと1万メートルで自己ベストを更新するなどチーム内での存在感を示し、念願のメンバー入りを果たした。「出場するまでの道のりは本当に大変だった」と語る口調に実感がこもった。 任されたのは箱根からの山下りとなる6区。往路で出遅れたため一斉スタートとなり、「最初から思った以上に速かった。序盤の上り坂でリズムに乗れなかった」。得意の下りも思うようにスピードに乗れず、「試走の時よりも距離が長く感じた。楽しもうと思ったが、気持ちに余裕がなくなった」。目標より1分以上遅れ、20人中17位だった。 それでも、あこがれだった箱根駅伝に確かな足跡を残した。「走り始めたころは、将来自分が箱根駅伝を走るなんて思ってもみなかった」と、走る楽しさを教えてくれた父に感謝する。宮田村で鍼灸(しんきゅう)院を営み、月1回のペースで亜大陸上部員の治療にも出向いている誠さんはこの日、6区の途中で声援を送った。「緊張しただろうし、副主将としての責任感やプレッシャーもあったと思う」とねぎらい、「中学3年生の時に口にした『箱根を走りたい』という夢をかなえた。家族全員の念願でもあった」と声を詰まらせた。(長野県、信濃毎日新聞社)
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