47NEWS >  47トピックス > 伝える訴える > 【伝える 訴える】第49回(ロシア) 「記憶の博物館」

【伝える 訴える】第49回(ロシア) 「記憶の博物館」

「なぜ悲劇が」考える場に 若い世代が引き継ぐ信念 

国立強制収容所博物館の展示場に立つ館長のロマン・ロマノフ。ガラスケースの中には過酷な環境を強いられた収容者らに関する品々が入っている。左端のケースに入った木ぎれには「25年の刑を受けた。神よ救いたまえ」と書かれていた=モスクワ(Frank Herfort撮影、共同)

国立強制収容所博物館の展示場に立つ館長のロマン・ロマノフ。ガラスケースの中には過酷な環境を強いられた収容者らに関する品々が入っている。左端のケースに入った木ぎれには「25年の刑を受けた。神よ救いたまえ」と書かれていた=モスクワ(Frank Herfort撮影、共同)

 暗闇に浮かぶガラスケースの一つ一つに、生の証しがあった。「心配しないで」。家で待つ息子を思い、布の切れ端に書かれた母の「手紙」。遺骸の足首に巻かれていた細いワイヤ。弾丸は処刑場跡で見つかった。

 ソ連のスターリン政権が大粛清と政治弾圧を行った1930~50年代の記憶を刻むモスクワの国立強制収容所博物館。旧ソ連各地の収容所跡で収集された小さな品々は時代に翻弄(ほんろう)された人々の叫びを伝える。スターリンを再評価し負の歴史を否定する声がロシア社会で高まる中、マルチメディアを駆使したスタイリッシュな博物館が若い世代の関心をかき立てる。「悲劇が起きた事実を伝え、理由を考える場所にしたい」。34歳の館長ロマン・ロマノフは言う。

 だがロマノフ自身も20代後半まで、祖国の負の歴史を知らなかった。


 ▽「なぜ」と自問

 モスクワ生まれのロマノフはソ連崩壊の混乱期に少年時代を送った。10代の頃、美術館にボランティアで関わる。大学では精神医学を学び、博物館で音や光を使う効果的な展示方法も学んだ。

 2008年、「副館長募集」に応じ、別の場所にあった国立強制収容所博物館を訪ねた。

 館長の歴史家アントン・アントノフオフセエンコは90歳近く。スターリン時代に革命家の父が粛清され、母は刑務所内で自殺。自分は「人民の敵の息子」として20歳前後で逮捕され、計13年間を強制収容所などで過ごした。視力と聴力をほとんど失った晩年期、「繰り返してはならない時代」を「国の記憶」としてとどめるため国立博物館設置に奔走し、01年に創立する。知性と鉄の意志に触れ、ロマノフは初めて自問した。「なぜこの問題を私は知らないのか」

 ソ連時代、強制収容所の存在は公然の秘密だった。スターリンが全土につくった収容所には、約2千万人の市民、日本人ら戦時捕虜・抑留者が送られた。処刑や強制労働による死者は200万~1千万人以上とされる。

 ソ連崩壊後も弾圧の時代は議論されなかった。ロマノフも母の家族が犠牲者だと推測していたが、問うたことはない。「社会の至る所に弾圧の影が残り、国民のトラウマになっている」

        ロシア極東のマガダン州ブトグイチャクの強制収容所跡に残された収容者たちの靴。ウラン鉱での強制労働による被ばくや飢餓などで数千人の収容者が死亡した=1990年(Hans-Juergen Burkard提供、共同)

ロシア極東のマガダン州ブトグイチャクの強制収容所跡に残された収容者たちの靴。ウラン鉱での強制労働による被ばくや飢餓などで数千人の収容者が死亡した=1990年(Hans-Juergen Burkard提供、共同)

 ▽死者のために

 館長が望んだ新たな博物館開設に、ロマノフは走り始めた。

 強制収容所に関する品々や文書、映像や写真を旧ソ連全土から収集し、元収容者の証言を記録するチームを立ち上げ、人権団体「メモリアル」と協力態勢をつくった。ナチスの過去と格闘するドイツの経験も研究した。

 金やウラン採掘で多数が死亡した極東マガダン州などで調査も重ねた。無人の収容所跡を歩くと「人々の声や足音が聞こえる」とロマノフは言う。自分が立つ荒野に確かに彼らは生きた。恐怖に思いをはせ、死者のために仕事をしたいと思う。

 アントノフオフセエンコは93歳で死去。それから2年後の昨年10月末、リニューアルオープンの式典が開かれた。「収容所群島」などで知られるノーベル賞作家故ソルジェニーツィンの夫人やモスクワ副市長のペチャトニコフがスピーチした。

 視覚的に残虐な展示品はない。だが、遺留物や犠牲者の名前、証言者映像などは深い印象を残す。アントノフオフセエンコは、尋問室などを再現し「震撼(しんかん)させる展示」を望んだが、ロマノフは反対し押し切った。独裁体制に市民も沈黙や密告で加担した。これを理解してもらうために「『なぜ起きたのか』を考えさせる展示であるべきだ」

 今年10月、「裏切り者」とのメモを貼ったソルジェニーツィンの写真が博物館前につるされた。ロマノフは「ただのいたずら」と気にする様子はない。危惧するのは、普通の市民が「博物館は米国から金を受け取る裏切り者」「国民の敵」などと口にすることだ。「スターリンが独裁権力を確立する過程の1920年代に口調が似ている」

        モスクワ副市長のペチャトニコフ。背後にあるのは収容所で使われていた扉だ。(Frank Herfort撮影、共同)=モスクワの国立強制収容所博物館

モスクワ副市長のペチャトニコフ。背後にあるのは収容所で使われていた扉だ。(Frank Herfort撮影、共同)=モスクワの国立強制収容所博物館

 ▽民主主義国家でも

  副市長が解説した。「スターリン時代は犯罪的で、政策は失敗続き。でも大祖国戦争と呼ぶ第2次世界大戦に勝ったために、ロシアは当時の政府をドイツのように全面的に批判できない難しい立場なのです」

 市民は生活に不満を抱くと、自分の中に原因を探さず「あなたの問題を解決する」と語る「強い指導者」を夢見てしまう。「どんな民主主義国家でも全体主義者が台頭する危険性がある。それを阻むのは悲劇の記憶だ」。博物館の意義を副市長は熱く語る。

 11月中旬、雪の中を中高生の団体や20代の男女らが次々と博物館を訪れた。「自らの歴史を知らない民族に未来はないって言うでしょう? 今日知ったことを両親と話すよ」。14歳のマトベイ・ザイツェフは言った。

 「忘却の種から『知りたい』という芽が出ているのが見える。芽はコンクリートも突き破るはず」。前館長の「鉄の意志」はロマノフに引き継がれている。

        ロシア南西部ボロネジ近くの集団墓地で発見された人骨。スターリン時代に約4千人がこの場所で処刑されたとみられる。頭蓋骨には銃弾による穴がある=1990年(Hans-Juergen Burkard提供、共同)

ロシア南西部ボロネジ近くの集団墓地で発見された人骨。スターリン時代に約4千人がこの場所で処刑されたとみられる。頭蓋骨には銃弾による穴がある=1990年(Hans-Juergen Burkard提供、共同)

 ◎悲しみの壁

  国立であることで、国家が博物館に干渉する懸念はないだろうか。ロシアの人権団体「メモリアル」の歴史専門家に問うた。「懸念はあるが、それでも国が負の歴史を認めたことに意義がある」

 ロマノフは教育プログラムなど多岐にわたる企画を進めている。55人のスタッフの多くは20~30代。強制収容所関連の資料を持つ旧ソ連内の100余りの施設をつなぐ「記憶博物館協会」もできた。モスクワのサハロフ通りには2017年、国が予算の9割を支出する弾圧犠牲者のためのモニュメント「悲しみの壁」が建つ予定だ。

 新しい博物館を見ずに死去した前館長はよくこう口にした。地球から消える時にようやく、現世の悲惨と魅惑の全容を知るだろう―。「生を愛した人でした」とロマノフは師を表現した。

 (共同通信記者 舟越美夏、敬称略)=2016年12月14日