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 中国四川省・北川県の旧市街地の地震遺跡で、倒壊したビルなどを見て回る見学者=2011年10月25日

 8万人以上の死者・行方不明者を出した2008年5月の中国・四川大地震で最大の被災地となった四川省綿陽市北川県。行政施設や住宅が密集した山あいの市街地は壊滅、約1万5千人が死亡した。直下に断層が走るため、政府は再生を断念。震災の悲劇を後世に伝えようと、倒壊したビルやがれきを街ごと保存し「中国最大の地震遺跡」とする道を選んだ。地元政府や住民は約20キロ先に建設された新市街地に移転、再出発を果たした。

祈りの場

 「亡き家族に祈りをささげる場です」。少数民族チャン族の自治県の北川県。地元政府に勤めるチャン族の高楊(こう・よう)さん(23)の自宅は大規模な山崩れで大量の土砂に埋まった。

 地震発生時、自宅にいた母親と祖父母、中学校にいた弟が死亡。母親と祖父母の遺体は見つからなかった。生き残ったのは、職場にいた父親と、省都成都市の大学にいた高さんの2人だけ。地震遺跡は亡き家族の「墓地」なのだ。

 地震前に約2万2千人だった旧市街地の人口のうち、約7割が犠牲になった。千人以上がいまだに土砂に埋まったままだ。「息子を失った父は壁に頭を打ち付け自殺を図ったこともあった」。当時を振り返る高さんの頬を涙が伝う。

 地震遺跡は約2平方キロで、約5億元(約60億円)を投じて補修工事など安全対策と環境整備が行われた。昨年5月から見学者の受け入れを開始、現在は1日千人以内に制限している。廃虚とがれきの街は「あの日」から時が止まったかのよう。

 あちこちに説明の看板が立てられ、地震被害を伝える記念館も建設中だ。

反発

 遺跡化への道は平たんではなかった。遺体収容や家財回収の望みが断たれるため、反発が相次いだのだ。しかし、地元関係者は「問題はあるが、遺跡保存は国家の決定だ。観光など経済発展を目指し、雇用も創出しなければならない」と言い切った。

 共産党による一党独裁体制の下、国家の決定が最優先され、駆け足で整備が行われた。計約70万人が既に地震遺跡を訪問。周辺にはチャン族によって見学者向けの宿泊施設も新たに建設され、一定の経済効果を挙げている現状もある。

人口増が鍵

 地震遺跡から車で約20分の新市街地。移転後、初のチャン族の正月を10月に迎え、新年を祝う真っ赤なバルーンがお祭り気分を盛り上げていた。

 新市街地は、断層から離れた場所が選ばれた。農地を中心とした5平方キロを既に開発し、今後、7平方キロまで拡大。県庁舎などはチャン族特有の焦げ茶色のれんが造りを基調とし、住宅は6階建ての近代的建築が多い。

 最重要課題は地震直後に7千人に減った人口の増加策だ。当面の目標を3万5千人とし、最終的には7万人を目指す。企業誘致や外部からの人口流入促進が欠かせない。

 その原動力を山東省が担う。沿海部などの豊かな省や市が「一対一」で被災地復興を受け持つ国の政策の一環だ。今までの投資額約100億元のうち、山東省は4割強を拠出し、国の拠出額を上回っている。同省の24企業も進出した。

 北川県の責任者は「新市街地建設には138社が参加し、着工から1年余りで完成させた。一時は工事関係者が5万人に上った」と説明、早期完工に胸を張った。(北川県、共同=辰巳知二)=2011年11月26日


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日本を創る 連載企画原発編 復興への道

①原発と国家

第1部「安全幻影」
第2部「『立地』の迷路」
第3部「電力改革の攻防」
第4部「『電力』の覇権」
第5部「原子力の戦後史」
第6部「原子力マネー」
番外編・原子力の戦後史を聞く
第7部「原子力人脈」
第8部「漂流する原子力」
番外編・アトムの涙 手塚治虫が込めた思い

②復興への道

第1部「漂う人びと」
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第4部「海外の被災地」

③インタビュー

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