メインイメージ

 青森県六ケ所村のウラン濃縮工場(日本原燃提供)を背景にした佐藤栄作(左上)、石破茂(左下)、牛場信彦のコラージュ

 「核拡散防止条約(NPT)に参加すると否とにかかわらず、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャル(潜在力)は常に保持する」。1969年9月25日、日本外交の重要課題を議論する外務省外交政策企画委員会が、極秘報告書「わが国の外交政策大綱」をまとめた。省内議論には、首相佐藤栄作側近の外相愛知揆一も参加した。原子力平和利用の背後にちらつく「核オプション」の温存。脱原発の流れが強まるいま、危うい議論が再浮上している。

核武装の可能性

 「当時の牛場信彦外務事務次官と考え方は同じ。(条約加入時には)安全保障に関するあらゆる問題を検討しなければならない。核武装の可能性も」。調査課長として議論に加わった評論家岡崎久彦が振り返る。

 牛場は戦時中、日独伊の枢軸路線を推進する「革新派」外交官だったが、戦後は親米路線に転じ、駐米大使も務めた。日本側記録によると、66年11月の日米協議では「NPTに加入する結果、永久に二流国として格付けされるのは絶対に耐え難い」と訴えている。

 「中国が核を持つなら日本も持つべきだ」(65年1月13日付米公文書)。64年10月に核実験に踏み切った中国に触発され、こんな持論を抱くようになった佐藤の下では、NPT加入の議論の裏で、核武装の選択肢もひそかに検討された。

表と裏

 「日本の核政策に関する基礎的研究(その一)」。68年9月、内閣官房内閣調査室(現内閣情報調査室)が主導した研究チームは核武装の可否を検討した最初の報告書をまとめた。日本で初めて66年に操業開始した英国製黒鉛炉「東海原発」を使えば「年間約100キロのプルトニウム」が生産でき、少数のプルトニウム原爆の製造は可能と明記。ただ原発が「国際原子力機関(IAEA)の管理下」にあることや財政状況などを理由に、実現性を困難視している。

 天然ウランには0・7%しかないウラン235を5%程度に濃縮すれば原発燃料となり、90%にまで高めると兵器原料になる。東海原発のように天然ウランを使い、プルトニウムを作れる原子炉もある。核の軍事利用と平和利用が「表と裏」の関係とされるゆえんだ。

 54年、初の原子力予算計上に奔走した元首相中曽根康弘も防衛庁長官だった70年、専門家を集め核武装研究を実施。国内に核実験場がないため「結局、日米安保が一番安上がりとの結論になった」と参加者は証言した。

世界唯一

 日本は76年、NPTに入り独自核武装を放棄する一方、「平和利用」にまい進。世界で唯一、ウラン濃縮と使用済み燃料再処理の技術を持つ非核保有国となり、「わが国の外交政策大綱」が唱えた「核兵器製造の技術的潜在力」を身に着けた。

 そうした被爆国の原子力史に刻まれた「3・11」。福島第1原発事故後に強まる脱原発世論に対抗し、核技術を保有することで潜在的な抑止力とする「技術抑止」堅持のためにも、「濃縮と再処理に裏打ちされる核燃料サイクルは回し続けないといけない」(自民党衆院議員の石破茂)との意見も聞かれる。

 原発を推進してきた大手紙の中からは、日本の原子力の現状が「潜在的な核抑止力として機能している」との主張も登場し始めた。

 こうした論調に対し、政府内のある原子力専門家は「日本がこんなことを公言し始めると、平和利用名目に核技術を開発するイランを助長するだけだ」と反論。旧態依然の原子力政策の延命のため、「安全神話」ならぬ「抑止神話」が作られかねないと警鐘を鳴らす。

 安全保障専門家を自任する石破も「原子力政策を進めるために、技術的な抑止力論を持ち出すのは本末転倒」と指摘。抑止論を持ち出さざるを得ない原発推進派の議論に危うさを感じている。(太田昌克、敬称略)=2011年10月24日

facebook

日本を創る 連載企画原発編 原発と国家

①原発と国家

第1部「安全幻影」
第2部「『立地』の迷路」
第3部「電力改革の攻防」
第4部「『電力』の覇権」
第5部「原子力の戦後史」
第6部「原子力マネー」
番外編・原子力の戦後史を聞く
第7部「原子力人脈」
第8部「漂流する原子力」
番外編・アトムの涙 手塚治虫が込めた思い

②復興への道

第1部「漂う人びと」
番外編・専門家に聞く
第2部「再建のハードル」
第3部「地方のスクラム」
第4部「海外の被災地」

③インタビュー

震災と文明
震災後論
海外の原発政策
震災後論②
震災後論③
震災後論④