メインイメージ

2010年の参院選の投票所(上)と伊方原発(下)のコラージュ

 「前は社民党にいたあなたは、原発を一体どう思っているのか」。2010年の参院選愛媛選挙区に民主党から出馬した元NPO法人理事の岡平知子は、松山市の四国電力労働組合の事務所で、居並ぶ5人の労組幹部から問いただされていた。

 電力会社や関連産業の労組がつくる四国電力総連から推薦を得るための"面接試験"。結果次第では推薦されない雰囲気を感じた。

 「できれば使わない方がいいと思います」と発言すると、伊方原発で働く労組幹部が「全廃するなんてできないんですよ」と厳しい口調に。ほかの幹部がなだめ役に回り推薦は決まったが、「とにかく厳しくて居心地が悪かった」。岡平は振り返る。

協定書

 「推薦はそら、のどから手が出るほどほしいわ。なんせ票が固い。推薦が決まると、労組の担当者が名簿を持って来て『おたくの地区には約90人の社員がいます』と教えてくれる」。民主党衆院議員の元秘書は、電力労組の組織力を解説する。

 しかし支援は条件付きだ。元秘書が関西電力の労組に行くと、A4判1枚の政策協定書と原子力に関する冊子を渡され「よく読んどいて」と言われた。原発を容認する協定書にサインしないと、推薦はもらえない。

 電力会社などの労組が加盟する「電力総連」は、民主党の支持基盤である労組の中央組織「連合」の中核団体だ。菅直人内閣の特別顧問だった元連合会長の故笹森清は、東京電力労組を経て総連会長を務めた。

 結成当初は原子力政策に慎重だった民主党は、2006年に原発容認へかじを切る。政権交代につながった09年の衆院選公約で「原子力利用に着実に取り組む」と明記。10年に閣議決定された「エネルギー基本計画」は30年までに14基以上を増設すると目標に掲げた。

 「福島の事故後も、電力から支援を受けた連中は『国家で賠償せよ』と電力寄りの発言を繰り返していた。ここぞとばかりにアピールしている」。民主党の中堅議員は冷ややかだ。

総動員

 湾岸危機が発生し、石油に依存するエネルギー政策への信頼感が揺らぎ始めた90年代。政府・自民党や電力業界には「原発再評価のチャンス」との期待が膨らみつつあった91年、建設中の核燃料サイクル施設の是非を問う青森県知事選が戦われた。

 白紙撤回や凍結を求める候補の当選は絶対に避けねばならない。電力業界や自民党は激しい選挙戦を展開する。反対の立場で出馬した弁護士の金沢茂は「自民党幹事長の小沢一郎が閣僚を続々と応援に入れてきた。電力業界は総動員態勢だった」と証言する。

 小沢と東電出身の元経団連会長平岩外四との親交は深い。2人は日米交流促進を目指す「ジョン万次郎の会」の代表発起人に名を連ね、小沢は90年の発足当初から会長を務める。

 小沢は市町村長や各業界の代表をホテルに呼び、締め付けを徹底。推進派が勝利した。当時の自民党関係者は「電力業界と政治は一体だった」と指摘する。

 自民党で通産大臣を務め、その後、小沢とともに離党した民主党最高顧問の渡部恒三は「経営者は自民党、労組は民社党。電力っていうのは政治とうまくつきあっている」と語る。

 東電で永田町を担当するのは主に総務部だ。部長は「暗い部分も理解しながら、政治にも顔が利く」(東電元幹部)存在で平岩や那須翔、荒木浩ら歴代トップを輩出してきた。

 福島県への原発増設をめぐり、東電側は97年に約130億円かけたサッカー専用トレーニング施設「Jヴィレッジ」を建設し、県に寄贈した。その3年前には、社長だった荒木が当時知事の佐藤栄佐久と面会し、計画を持ち掛けていた。総務部に所属したことのある社員はつぶやく。「事業を円滑に進めるには、いろんな金を使わないと」(山内和博、倉本義孝)(敬称略)

facebook

日本を創る 連載企画原発編 原発と国家

①原発と国家

第1部「安全幻影」
第2部「『立地』の迷路」
第3部「電力改革の攻防」
第4部「『電力』の覇権」
第5部「原子力の戦後史」
第6部「原子力マネー」
番外編・原子力の戦後史を聞く
第7部「原子力人脈」
第8部「漂流する原子力」
番外編・アトムの涙 手塚治虫が込めた思い

②復興への道

第1部「漂う人びと」
番外編・専門家に聞く
第2部「再建のハードル」
第3部「地方のスクラム」
第4部「海外の被災地」

③インタビュー

震災と文明
震災後論
海外の原発政策
震災後論②
震災後論③
震災後論④